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第三幕 一、ペルソナ・ノン・グラータと悪の帝国⑥*

「あぁぅ゙っ、痛、痛いって……」 「そんなに身体に傷をつけたいなら、俺がやってやるよ」  逃げようとしても、腿にズボンが絡みついて足が上がらない。ネット記事か何かで読んだことがある。ズボンの女性を狙った強姦は意外と多いらしい。膝まで下ろされてしまうと走って逃げられないからだと。  なるほどな、とそう思ったあと、庄助は目を閉じた。額から落ちて眉骨で止まっていた汗が、つるりと目に入って染みた。 「……ぁ、あ。や、あかん、痕つけんの……っ」  唇で吸い上げて歯で扱き上げるように、皮膚に鬱血のあとを強く残してゆく。引き剥がそうと掴んだ景虎の黒髪は、じっとりと濡れている。  おそらくまだ雨は降っているだろう。ドア越しに、水の流れる優しい音がする。けれど、きっと今に獣のような激しさのセックスに流されて、何も聞こえなくなるに違いない。  耳や鎖骨や胸板など、景虎はいたるところに次々と痕をつけてゆく。まばらで赤黒いそれは愛の証というより、まごうことなき虐待の痕跡だった。  それでも、押さえつけられて好き放題にされる身体の奥、胸を掻き毟りたくなるような屈辱の中に、震えるほどの歓びが芽吹いていること。庄助は、それを認めたくなかった。  それを認めることは、自分という存在への冒涜のようだった。 「ぅ、ンうっ……こんなことしても、俺は……っ」  肋骨を包む薄い皮膚を舌でザリザリと舐め、また噛まれて声が出た。骨付きカルビにでもなったみたいな心持ちだった。  鳥肌とともに立ち上がる乳首を口に含むと、景虎はそこに軽く歯を立てながら薄らと笑った。 「こうやって痕をつけたら、他の奴の前で裸になれないだろ? 消えそうになったらまたつけてやる、ずっと。ずっとだ、お前が心を改めるまで何回でも。……庄助が、好きなんだ」  手酷い性行と裏腹に、耳元で愛してる、庄助は俺だけのものだと切なげに囁かれると、思考が心地よさに霧散する。  本当に? 本当にこれは愛なのだろうか。景虎の言う愛はいつも濁流みたいに激しくて、身を任せているうちにだんだんと庄助にはよくわからなくなる。  いつの間にか玄関の上がり(かまち)に手をつかされ、後ろから景虎のペニスに貫かれていた。  ろくに慣らしもせず突っ込まれている尻の縁は、引き攣れる痛みにたまにピクンと痙攣を起こす。まだ靴も脱いでいない。人形みたいに犯されている事実が辛くなる。  それでも庄助の脳は、このビリビリとした感電のような痛みが、甘やかで幸せなものなのだと錯覚して、海綿体に血液を送り続ける。心と身体が引き裂かれそうだった。 「俺は嫌いや、カゲなんか……だいっきらいや」  それは最後の抵抗だった。乱暴に抱かれても気持ちいいだなんて、束縛すら心地良いなんて。それを認めたらもう、境界がなくなってしまう。自分が自分でなくなる。  脳みそごと揺さぶられる暴力の中で、庄助は細切れに「嫌いだ」と鳴き続けた。  嵐のような雨は夜中には止んだようで、ベランダの室外機にばたばたと落ちる水滴の音を聞きながら、庄助はいつしか気を失っていた。

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