282 / 381

【番外編】チーグル・アンド・ヴリートヴァ①

 綺麗な人やものを花に例えるのって、よくあるけれどどうなんだろうな。実は俺はしっくり来ない。だって、花ってよく見るとグロいだろ。  グロいのは良いことだよ。一生懸命生きてる証拠だ。それなのに一方的に、綺麗なところだけ見るのってなんか好きじゃないんだよな。  三本立ちの純白の胡蝶蘭の、大仰なポットが壁際で無様に倒れているのを見て、国枝は頭の中で独りごちていた。  蹴りを入れて尻餅をついた男の背がぶつかって、四人がけのボックス席のテーブルにぶち当たる。  大理石を模したメラミンの天板に思い切り脊椎を打ち付けて、男は出産中の牛のようなくぐもった呻き声を上げた。店の奥に居る派手な年増の女が、ひいっと悲鳴を飲み込んだのが聞こえた。  髪を引っ掴んで顔を上げさせる。新鮮な血で真っ赤な歯茎の中、あちらこちらに白い歯がバラバラに折れてめり込んだりしてるのを見ていると、修復するのもめんどくさそうだし、もういっそ殺してあげたほうがいいのかもなと思えてくる。寝坊をして遅刻が確定した時の、怒られるのは変わらないのだからゆっくり行くか、という気持ちに少し似ていた。  人間というものは不思議なもので、痛めつけていると段々臭くなってくる。色んな場所から体液が出るのも勿論あるが、おそらく急激なストレスとダメージが、一気に内臓から上がってくるのだろうか、口臭が著しくなる。  グロいのは良いことだ。無様なのも臭いのも、一生懸命生きてる証拠だ。その一生懸命なものを、力で呆気なく蹂躙するのがきっと楽しいのだ。  陳腐に例えるならば、花びらが汚れて地面でねじ切れて、花芯も茎も何もかもが潰れ、汁を撒き散らしてくたばる芋虫のようになってもまだ、踏みつけたい衝動。  暴力とはそのように際限なく昂るものだ。しかし頭の奥はいつだって、きっちり冷たくしておかなくてはいけない。例えるなら、雪の中に置き去りにしたスコップの先端みたいに。それが悪徳のマナーだ。 「どうします? まだやります?」  国枝がそう問うと男は、ぱんぱんに腫れ上がっていろんな箇所が壊れ、毛の生えた血みどろの焼売みたいになった顔の隙間から、許してくださいという声を、辛うじて絞り出した。  携帯電話を取り出して、男と、男の免許証を写真に撮った。国枝よりも十以上歳上のその男は、敵対組織である川濱組の、役職もない木っ端組員だった。 「終わったから。行こ」  国枝の声に、店の入り口の方で膝を抱えて蹲っていた少年がゆるりと顔を上げた。色のない頬が、青黒く腫れている。 「……はい」  声変わりして間もなく、声帯がまだ慣れない音域の振動に戸惑っているような声。長い睫毛が、伏した闇色の目を縁取る。  薄手のニットが包む細くて白い体躯のライン、それはまるで茎から折れた白百合の……いや、彼がいかに美しいとて花に例えるのはよくない。陳腐な例えは、自分は観察眼のない人間ですと自己紹介しているようなものだ。国枝は頭を振った。 「ああ、そうだお姉さん」  キッチンと店内を分けるカーテンにしがみついていた女が目を剥いた。ガタガタと震える彼女の元までいってじっと見下ろすと、国枝は諭すような声で言った。 「彼氏の役に立ちたかったのか知らないけど、ガキ相手に美人局はダメでしょ」  カウンター裏の地べたに置いてあった、酒の空き瓶の入った黄色いプラスチックのクレートを蹴り飛ばす。反射的に頭を抱えて座り込んだ女を見ると、国枝は耳元に唇を寄せた。 「次会ったら、糸くずみたいにして殺す」  侮蔑の中に確かな熱が混じった、小さな声だった。飛び散ったビール瓶たちは、ゴロゴロと乱暴な音を立てて転がり、店の壁に胴をぶつけて跳ね返ってから、ぐるりと弧を描いて止まった。

ともだちにシェアしよう!