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【番外編】チーグル・アンド・ヴリートヴァ③

「大人の人は、どうしてそんなにセックスに拘るんでしょうか。俺も、女を抱けばわかるんでしょうか?」  ぽつりと、景虎は悲しそうに呟いた。 「まだ剥けてもないガキのくせに、生意気言うなよな」 「剥けてますが……」  質問を誤魔化したつもりだったのに、思わぬ反撃を喰らってしまい、国枝は目を瞬かせた。 「ウソだろ、だって前に一緒に銭湯に……行ったのいつだった?」 「国枝さんの刺青が、まだ筋彫りだったのは覚えてます」 「えっ、ほんとにい? じゃあ二年前くらいじゃん。そっかぁ……時間経つのはやいな」  国枝は一人で納得して煙を吐くと、右の腰のあたりを撫でた。  出世のために躍起になって駆け抜けて、いつの間にか成人を過ぎていた。ふと立ち止まって隣の少年を観察する。細くて弱々しいと思っていた首筋の真ん中に、喉仏の出っ張りが見えた。  身体の割に手のひらや足のサイズが大きいから、こいつはきっとデカくなる。矢野が連れてきたばかりの景虎を指して、そう喜んでいたのを思い出した。 「あーあ、なんか汚い大人になっちゃったな俺も。……ね、ちょっと付き合ってよ。気分転換にデートしようぜ」  突如、ウインカーとほぼ同時にハンドルが左に切られた。いきなりの車線変更で、シートベルトが胸にきつく食い込んだ景虎は、少し非難めいた声をあげた。 「デートって……どこに行くんですか? 宿題がまだなので早く帰らないと……」 「あはっ、いいじゃんたまには。どこいく? 動物園はどう? ナイトズー。横浜で、イノシシの赤ちゃんが三匹生まれたってニュースで言ってたよ」 「……っそんな、それは……」  つぶらな瞳、短い手足の生えた縦縞の毛玉。動物好きの景虎にとっては誠に蠱惑的な存在だ。 「この時期、ライトアップで桜も見られるよ~。お花見でもする?」  車載の灰皿にタバコをねじり込んで火を消しながら言うと、景虎は言葉を探すように、美しい闇色の目を遠くに巡らせた。 「花って、気味悪くないですか? 真ん中のところがとくに」  思わぬ言葉を聞いて、国枝はうっかり笑ってしまった。自分と似た感性の人間が、すぐそこにいること。そしてそれが、この少年であることが、少し嬉しくなってしまった。  矢野の寵愛を一身に受けているのに気づかない景虎は、憎らしくもある。けれど、真っ向から地獄の反吐を浴びてもまだ立っている姿が、健気に見えたりもする。不思議な存在だ。 「わかりました、動物園行きます。でも、あとで数学のプリント、一緒にやってほしいです」 「えー……まあいいや。おおせのままに、王子様」    でもやっぱりガキって嫌いだ。しおらしくしていれば心配になるし、子供らしくワガママだとそれはそれでムカつく。  心を乱されるのはこりごりだ。さっさとお前も汚い大人になっちゃえよ。楽だよ。  国枝は笑って、景虎の柔らかい髪をぐしゃりと撫でた。夕方の高速道路に入る。唇に乗せる歌はアメージンググレイスだ。 〈終〉

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