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第四幕 十七、スカベンジャーは嵐に乗じる②

「とんでもない。僕も昔アジアを転々としていたことがあるのですが、福祉の底を自分の目で見るのは大事なことだと思うので」 「福祉の底……?」 「ええ。例えば、日本では子供が一人でも野垂れ死ぬとニュースになるでしょう? 貧しい国ではそうはいかなくて、むしろそれが日常なんです。民を見捨てないというそんな建前を、国が言う余裕すらないんです。そういう国もあるというのを、息子に知ってほしい」  学校の社会の勉強で習った、遠い国のストリートチルドレンや難民たちの姿を、庄助はぼんやりと頭の中に思い描いた。 「そっか……でも、大丈夫なんですか? ここにはちっちゃい子たちが何人もいてるのに、息子さん、そんな危なそうな国に行って」 「……早坂さんの仰りたいことはわかりますよ。遠い国の子供より、まずは目の前の子供たちを救うべきだと。僕もそう思います」  カサイの視線が、建物の中へ向けられた。廊下の向こう、アクリルのガラス越しに見える保育室で、女性保育士に抱かれた乳児が哺乳瓶からミルクを飲んでいる。 「でも僕が元気なうちは、多少の無理は聞いてあげないとと思ってね。いくつになっても息子は息子ですので」 「そう、ですか……」  神妙な面持ちのカサイに対し、庄助は下手なことを言わないように口を噤み、キッズスペースの絵本の棚にちらりと目を向けた。  置いてあるのは定番の絵本に、離乳食や子育ての雑誌が数冊のみで、当然だが、昨晩景虎との話題にのぼった本はなかった。  庄助は、おもちゃ箱からはみ出て床にいる、四角い顔の食パンのヒーローのぬいぐるみを拾い上げ、埃を払った。ふと顔を上げると、甘い匂いが鼻をつく。一組のテーブルの上に飾られていた真っ白なユリの花が目に飛び込んできた。  思わず息を呑む。景虎の家に送られてきた、あのまだら模様の花もユリだったのを思い出したからだ。 「ああそれは……カサブランカです。今が開花の最盛期なので」  窓枠を軋ませ、風が唸る。木が大きくたわんで、雲の流れが速い。ぎこちない表情をしているのを悟られないように、庄助は話題を変えた。 「最近、アリマのおばーちゃんとはどうですか?」 「シノさんと? 仲良いですよ」  カサイは椅子に浅く腰かけた。腰が痛むのか、顔をしかめてゆっくりと、患部を庇いながら。 「この前デートに行ったんです。神田の方まで行って、蕎麦でも食べようって。ちょっと迷いそうになったとき、シノさんは颯爽とスマホを取り出してね」 「もしかして、スマホ使いこなしてるんですか?」 「いや。彼女、お店に電話して、ここからどうやって行ったらいいですか? って。僕はてっきり、地図アプリを開くのかと思ったのに」 「まさかのアナログやったんや」  たどたどしくスマホの画面をタッチして、電話をかけるアリマの姿が思い浮かぶ。庄助とカサイは笑い合った。 「あ、わかった。息子さん、カサイさんがあまりにもアリマのおばーちゃんと仲ええから、新婚さんの邪魔せんように出て行ったんちゃいます?」  からかうような庄助の口ぶりに、カサイは目を丸くしたあと、からからと豪快に笑った。 「ははっ確かに! もしかして、そうなのかな? シンタロウはそんなに気が利くタイプだとは思えませんが……」  手持ち無沙汰に遊んでいたぬいぐるみが、庄助の手のひらから落ちた。あ、と小さな声を出すと、庄助はそれを拾って埃を払い、今度こそおもちゃ箱に入れる。 「せや。俺、そろそろ帰らんと」 「あ、ああ。そうですよね、長くお引き止めしてすみません。もう倉庫の非常用リュックの点検だけですので、あとは僕が。いやあ、すみませんでした」  カサイは立ち上がって、また申し訳なさそうに頭を下げた。窓の外は、先ほどよりも雨脚が強まっている。 「会社まで帰られますか? 雨も降っていますし、裏口に車を回してきます」 「え! いいんですか? すみません、ありがとうございます! あ、じゃあ俺、その間にちょっとトイレに行ってきます」  カサイは庄助に向かって微笑んで見せ、スーツのポケットから出したキーケースを手に持ち、職員用出入り口の向こうに消えていった。

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