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第四幕 十七、スカベンジャーは嵐に乗じる①
月曜の正午になってから一気に振り始めた雨が、乳児院の窓を叩いていた。昨日のニュースで言っていたとおり、台風は勢力を弱めず、真っ直ぐに首都圏に進路を取っているようだった。
クリーム色のリノリウムの床には、小さな靴の不規則な足跡が、照明の光の加減でそこら中に浮き上がって見えた。カサイは正面玄関を内側から施錠すると、庄助に向かって頭を下げた。
「突然お呼び立てしてしまって、本当に申し訳ない。早坂さんなら来てくれると思って、つい甘えてしまって」
「ううん、全然大丈夫です。こういう福祉の施設って、女の人の職員さんのが多いですもんね」
ぷるぷると犬のように頭を振って、髪についた少量の雨をはらう。噛み跡を隠すために着ているパーカーの襟を正し、庄助は愛想よく笑いかけた。それでも首筋は完全に隠れるわけではなく、あちらこちらにベタベタとコンシーラーを塗りたくっている。
小さな園庭に置かれている、小さな青いプラスチックのゾウの形の滑り台を、玄関の中に入れた。ひとまずこれらを室内に入れ込んでしまえば、風で吹き飛んでいくような大きなものはないと思われた。
台風の準備を手伝ってほしいというのは、カサイから庄助個人へ直接の依頼だった。
当然と言えば当然だが、あんなことがあってなお、ユニバーサルインテリアは、表向きはいつも通りの業務を再開していた。いつものように、庄助が『がるがんちゅあ』で午前中の仕事を終えたところを、カサイに声をかけられた。
台風で帰れなくなりそうな職員には、今日は休みを取ってもらっている。そのせいで人手が足りないから、今夜直撃すると言われている台風の備えを手伝ってほしいとカサイは言った。
なんてホワイトな職場なのだろう。台風どころか、例えトキタのように耳がちぎれても、次の日には頭に包帯を巻き付けて、平気な顔をして出社しなくてはいけない我が社を、庄助は呪った。
週明けのユニバーサルインテリアには、国枝もザイゼンもトキタもヒカリも、庄助と一緒に出勤してきた景虎もいた。
久方ぶりに揃ったいつものメンバーの中で、ナカバヤシだけがいなかった。
「こんな小さな施設の一つや二つなら、僕一人でも台風の備えくらいできると思ったんですが……甘く見ていましたよ、自分の年寄りっぷりを」
腰を擦りながら、カサイは笑った。
庄助が足を運んだのは、カサイ自身の運営する児童養護施設『とりのいえ』ではなく、彼の息子が運営していたという、『キトンブルー乳児院』だった。
日本では現在、〇歳から就学前までの、保護者との生活が困難と判断された子供のための施設を、乳児院と定義している。その後、乳児院を退所した子供が十八歳になるまでは、児童養護施設が受け入れることが多いそうだ。もともと『とりのいえ』は、ここの子供たちが成人するまでの受け皿として、カサイが近隣に作ったものらしい。
「もっといろんな国の福祉の勉強をしたいからと、息子が突然海外に行ってしまって」
廊下の窓の戸締まりを確認しつつ歩く。若い女性職員が、すれ違いざまに会釈した。彼女が廊下に面した部屋を開けると、赤ちゃんの大きな泣き声がわっと漏れ聞こえてきた。都会の中にある乳児院だからか、騒音対策はしっかり成されているようだ。
小さな子供のための施設だからか、建物全体が淡いパステルカラーで統一されている。壁やドアの小窓などいたるところに、職員が色紙 を切り貼りして作ったと思しき、動物や版権のキャラクターがたくさん貼り付けられている。
カサイに促されて、テラスに面する談話スペースの中に入ると、部屋の一角におもちゃ箱や絵本の置いてある、小上がりになった小さなキッズスペースがあった。大人が話をしている間、子どもが退屈しないようにとの配慮だろう。
「カサイさんて、理解のあるええお父さんなんですね。いきなり外国行くって言うて、許可してくれるとか……」
カサイがテラスの植木鉢を屋内に入れたあと、腰の痛そうな彼に代わって、庄助は大きな窓ガラスの内側のシャッターを下ろした。がらがらぴしゃんと、雷のような音を立てて、重厚なスチールが窓を閉ざす。
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