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【番外編】孤独を喫むのは大人の証②

 キッチンの方で、何かが動く音が聞こえる。  景虎が目を覚ますと、鼻歌を歌いながら料理をしている庄助の、部屋着の背中が目に入った。  カーテンの隙間から見える外は暗く、随分深く眠っていたようだ。乾燥で喉が痛むが、熱は少し引いたように思う。  額に手をやると、新しい冷却シートがくっついていることに気づいた。 「あ。起きた。なあ、飯食うやろ?」  庄助が首だけで振り向いた。手を洗っているのか、アルミのシンクに水が勢いよく跳ね返る爆撃のような音に、景虎のぼうっとした意識が次第に目覚め始める。水道のレバーハンドルを最大まで開けたり、ドアを足で勢いよく閉めたり、庄助の生活音は賑やかを通り越してやかましい。  裏起毛のスウェットを素肌に着てしまっていたため、汗が気持ち悪かった。景虎は、怠い身体を起こして上半身裸になる。タオルで首や胸を拭いて振り返ると、ちょうど庄助が、百均で買った土鍋をローテーブルの上に置くところだった。   「ザイゼンさんがな、はよ上がって看病したりや〜って。書類関係の仕事代わってくれてん」 「ザイゼンさんが? ……そうか、優しいな」  掛け時計に目を遣ると、時刻は十九時前を指していた。 「優しないって! かわりに週明けに仕事手伝わなあかんようなったもん」  土鍋の蓋を開けると、やわらかい出汁の匂いが立ち上った。薄い黄金色の出汁の中、卵、油揚げ、ねぎ、鶏肉、有名なキャラクターの顔の練られたカマボコが、うどんに乗っている。 「……庄助が作ったのか」 「せっかくやし、関西風の鍋焼きうどんにしてん。誕生日やのにお粥って、ちょっと味気ないやん? 具があったほうがええやん?」  誇らしげに胸を張る庄助を見て、色々作れるようになったものだと、景虎は心から感心する。部屋住みをすれば料理の腕が上がるとはいうが、二人で暮らし始めた当初は米の炊飯すら怪しかったというのに。 「誕生日……」 「今さらやけど、カゲってホワイトデーが誕生日なん、似合ってへんよな」  新しいスウェットに袖を通し、ローテーブルの前に座り直した景虎に割り箸を差し出した、庄助がニヤリと笑った。  当たり前のように誕生日を祝ってくれる、最愛の存在がそこにいる幸せがあることが、景虎にはいまだに慣れない。 「なあ、庄助」  放熱する手のひらで、庄助の手首を優しく掴む。あ……と小さい声を漏らし、庄助は身体を強張らせた。 「ちょお……あかんで、風邪治ってからやで!」 「なんの話だ? 庄助に食べさせてもらいたいんだが」  そっと庄助の右手に割り箸を握り込ませる。豆鉄砲を食らった鳩の顔で、庄助は景虎を見上げた。 「はっ!? 俺に、あーんしろって言うんか!?」 「ダメか?」 「当たり前やろ、アホかっ! 誰がそんなキショいこと……」  そう言えば、キスやそれ以上のことをする仲なのに、あーんをしてやったことはろくにない気がする。いつだったか、景虎が指を骨折した時でさえ(利き手ではなかったとはいえ)庄助は拒んだ。  なぜなら恥ずかしいから。そんな情欲のない子供同士みたいな形の触れ合いを、二人きりのときにやってしまったら、もう恋人みたいで言い逃れができないじゃないか。 「そうか」  風邪で弱って強引に押してこない景虎は、しゅんと尻尾を丸めた大型犬のようだ。庄助は、うっ……と言葉に詰まる。 「……もーっ! 今日だけやぞ」  誕生日だから、特別だからと言い訳して、麺を二本箸先でつまみ上げて差し出すと、景虎は困ったような、呆れたような妙な顔をした。 「熱すぎる、火傷するだろ?」  突如図々しくなった態度に、庄助が眉間に深いシワを寄せ、クソ! と唸る。もしかして、ここまで全て景虎はわかってやっていたのだろうか。  口を尖らせて、麺の表面にふーふーと息を吹き付ける。庄助の肺から出た空気が、口の中を通って麺を冷やしていると思うと興奮するが、それを言葉にすると気持ち悪いと言われるので、胸のうちにしまった。 「見るな。黙って食え」  まるで庄助のほうが発熱しているかのように、耳まで真っ赤になって箸を突き出す。景虎は、子供のように素直に口を開けた。  甘みのある熱い出汁が、煮込まれて柔らかくなったうどんに絡んで、喉を通ってゆく。ネギはスーパーで買ったカットネギだが、大きさがバラバラな鶏肉やカマボコは、庄助が手ずから切ったものだろう。温かさと滋味が、一気に身体に染みていくようだ。 「ふふ、美味い。ありがとう、庄助」 「おう、まあええけどよ……。お前、喉は?」 「ん?」 「扁桃腺とか……痛くないんかなって」 「ああ。十代の頃はよく腫らしていたが……大人になってからはそうでもなくなった」  景虎の立派な喉仏が上下するのを見て、庄助の胸はじわりと暖かくなった。子供の頃の景虎を国枝たちが知っているように、彼らの知らない今の景虎を、自分は知っている。そう思うと、なんだかむず痒い。 「そっか……あ、せや」  カマボコを雑に景虎の唇に押しつけながら、庄助は反対の手で、ゴソゴソとジーンズのポケットを探った。庄助の尻の曲線に合わせてなだらかに湾曲した、薄い茶封筒だった。 「これは?」 「今日、事務所に親父さん来てて。カゲにくれた見舞金が大金すぎて、国枝さんに怒られて……そんで、揉み合ってコーヒーが包みにこぼれてグチャグチャなったから、とりあえずそれだけ渡してって」 「? よくわからないな……後で、電話で礼を言っておく」  景虎が咀嚼しながら中を改めると、八千円が入っていた。えらく中途半端な金額だと、怪訝そうな顔をする景虎を見て、庄助は満足そうにほくそ笑んだ。 「ほら食え、食って寝ろ」  あんなに恥ずかしがっていたのにもう慣れてしまったのか、庄助は次々と景虎の口にうどんを運んでゆく。 「どうした、大サービスだな。だったらこの後フェ「フェラはせえへん」  しょんぼりする景虎を尻目に、庄助はまた笑う。機嫌が良かった。  景虎が色んな人に大事に思われて、愛されていることがこんなに嬉しいなんて、どうかしてると自分でも思う。 「なあ、俺からのプレゼントなにがええ? 連射コントローラーとか欲しない?」 「それはお前が欲しいだけだろ」  珍しく景虎がツッコむと、すぐ隣に佇む金色の髪が笑い揺れた。熱を孕んだ視界が湯気とともに滲んで、潤む。  独りだった頃は、それはそれで心安らかだったのかもしれない。失うものがなかったし、期待もしなかった。  常に傍らに立ち、嫌だと言っても影のように追いかけてくる孤独もまた、庄助とは別の伴侶のようだった。  生まれてきて良かった。人を踏み躙って生きる自分には、そんなふうに思う資格はないと、景虎は考えている。 「おめでとな、カゲ〜! はよ良くなれよ、看病めんどくさいから」  けれど他ならぬ庄助の前でだけは、この日を喜ぶことを許されたいと思ってしまう。  少しだけ特別な日常の匂いと風景。庄助と出会ってから、忘れたくないことや願いばかりがばかり増えてゆく。    景虎は静かに庄助の肩を抱き、まだ熱い額を頬にくっつけた。  口づけは、全快の楽しみにとっておこうか。

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