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第五幕 十一、嵐のあと②

 なるほど、合点がいった。織原組は三次団体だ。そのトップである矢野が消えたことで、本家、つまり関東馬頭會(かんとうめずかい)が黙っているとは思えない。  矢野が万一このまま戻らなければ、トップは順当に音揃になるはずだが、本家が関与してくればどうなるかわからない。 「わかりました、誰にも言いません」 「ん。……まぁ俺が心配しすぎなだけで、矢野さんのことだから、呆気なくフラっと出てきたりするのかもだけどさ。それでも、油断はしないほうがいいでしょ」  幸い矢野は確かに神出鬼没で、景虎たちの詰めるユニバーサルインテリアや本家にも、気が向いたときしか顔を出さず、数日姿を見せなかったところで、不思議ではない。  しかし、そんなものは時間稼ぎにしかならない。いずれバレることだ。 「ま、俺なりになんとかしてみるよ。ならなかったらその時はその時……。ねえ、景虎」  国枝は意味ありげに、景虎の顔を見つめた。 「……なんでしょう」 「この先どうなったとしても、お前は織原と心中しなくていいからね」  薄く笑う国枝に、返す言葉がなかった。  以前なら、自分はここ以外に行く場所がないからと、迷いもなく織原組の盾であり牙であろうとしただろう。  でも、景虎はもう選んでしまった。自分で選べと、矢野に言われたあの瞬間に。  国枝はそっと立ち上がると、眠る庄助の金髪を軽く撫でた。 「あは、子供みたいな寝顔だ。場を引っかき回しっぱなしの、悪魔のくせにねえ」  うう、と庄助がちいさく呻く。  織原組を捨てて庄助を選んだとして、それでも庄助は笑ってくれるだろうか。カゲさえいればいいと言ってくれるのだろうか。 「あ……」  そこまで考えたところでようやく、景虎は思い出した。  小さな頃、何度も母に読み聞かせてもらったあの絵本。『きみがだれかに食われるまえに』の、最後の展開を。 「どうしたの?」 「いえ……少し、昔のことを思い出していました」  ふぅん? と、国枝は不思議そうに相槌を打ち、スーツの前を正した。 「じゃあ俺、一旦帰るわ。連絡するから、庄助のことよろしく。昼から暑くなりそうでやだな~」 「あの、国枝さん」  ドアに向けて踵を返した国枝の背中に、景虎は立ち上がり声をかけた。 「俺にとって織原組は、家みたいなものです。だからといって心中する気はありません。俺は庄助が一番好きですし……でも、それとこれとは別なんです。上手く言えませんが……ですから」  何を言い出すのかと国枝は面食らったが、真剣な様子で一生懸命に何事かを話す景虎の様子に、しっかりと足を止めた。 「俺は俺で、親父を探します。だから、安心して少し休んでください」  国枝が肩越しに、柔らかく笑うのが見えた。 「自分で過去を清算した男は、言うことが違うね、かっこいい。……ありがと、期待してる」  片手をひらりと上げ、皮肉っぽい軽口を零しながら、国枝は病室を出ていった。  かすかな国枝の残り香と、モニターの電子音。景虎は、庄助の柔らかな頬に触れる。  もう自分の牙も爪も、誰かに命じられ、奪うだけのものではない。  願わくば、庄助や、彼が大事にするもののために。張り切って酷い目に遭って、化けの皮を剥がれて眠る、哀れで愛おしい悪魔のために。  身を乗り出し、温かい頬に口づける。するとまぶたが震え、庄助の目が開いた。 「……カゲ?」  まだ半分夢の中に囚われながら、庄助は景虎の手に頬をこすりつける。 「まだ眠っていていい。薬が抜けるまでここにいる」 「抜けても、()ってや」  薄く開かれた庄助の瞳は、外からの光を反射して、薄い飴色を映していた。 「目ェさめたとき、カゲがおったら……うれしいから」  眠気と薬の影響か、いつもなら言わないような言葉が、ほどけるように零れる。庄助は薄く微笑むと、また目を閉じた。  陽光の降り注ぐベッドの上の寝顔を、景虎はしばらく見ていた。  きっと自分たちには絵本のラストのような、美しい夜明けは来ない。  あるのは嵐を過ぎてなお続く外の灼熱と、白い病室の不穏だ。    景虎はまた丸椅子に腰掛けた。傷が痛み、手の先が震えている。嵐の夜を生き残った実感が、今になってこみ上げてきた。  母親を喪って十七年、ようやく彼女の死と愛に、自分なりに向き合えた気がする。あまりに遅すぎたかもしれないが、心は晴れやかだ。景虎は顔を伏せた。自分の膝頭が滲んで見える。  庄助のこと、矢野のこと、織原組のこと。  まだ問題は終わらず、やるべきことは山積みだ。けれど今だけは。  思い出の中の母と、そばにいる庄助の気配とともに、幸せな疲労感に浸っていたかった。  窓辺には昨日の激しい雨を惜しむように、しずくがただキラキラと光っていた。 《続》

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