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第五幕 十一、嵐のあと①

 空は、明け方までの雨が嘘のように晴れている。  雨で気温が下がったためか、外はひんやりと涼しい。ここぞとばかりに歌う小鳥の声が、病院の白い廊下を抜けて病室にまで届いている。  台風が雲を飛ばしてしまったから、きっとそのうちに地獄みたいな暑さがやってくるに違いない。その予兆の、痛いくらいに明るい日差しは、もうカーテンの隙間から入ってきていた。 「それ、大丈夫なの」  国枝に指をさされて、ようやく肩の痛みを意識した。肩の刺青の上には、大きなガーゼがべったりと貼られて、半袖からはみ出している。 「問題ありません、かすり傷です。……国枝さんに折られた指のほうが、よほど後を引いています」 「ふふ、根に持つじゃん」  平気なポーズを取ってはいるが、国枝はそうとう疲れているようにも見えた。  昨日の午前中に会ってから一日ぶりだというのに、またいっそうやつれていた。隣の丸椅子に座る彼の髪やスーツから、強いタバコの匂いがした。いつも綺麗に整えられているヒゲも、少し伸びている。昨日から、家に帰っていないのかもしれなかった。  景虎は、病室のベッドですやすやと眠る庄助の顔に目を遣った。  昨日のセックスのあと。  朝になって、庄助の幻覚症状や皮膚の知覚過敏は、消えたように見えた。部屋の何もない場所に顔を向けて、うつらうつらする姿を見て、薬効が消えて眠気がきているのか、と景虎は思った。  顔を覗き込むと、庄助の目は開いていた。夜には大きく拡がっていた瞳孔が、今度は針の穴のように小さく縮んでいた。ものも言わず、ごく浅い呼吸を繰り返す庄助を、景虎は朝一番に病院に運び込んだのだった。 「……庄助」  名前を呼ぶが、まぶたは動かない。  タイガー・リリーの覚醒効果が切れ、オピオイド系の深い鎮静状態に入ったのだろう。穏やかな寝顔だった。  繋がれた点滴が、音もなく落ちてゆく。庄助の指先に着けられたパルスオキシメーターの小さな赤い光が、痛々しい。 「これから、どうなるんだろうねえ」  国枝は掠れたため息を吐いた。彼にしては珍しい、疑問の形をした弱音だ。  無理もない。昨日の夜、景虎が屋上を後にしてから、矢野は姿を消してしまったのだ。  何度電話をかけても繋がらず、彼が一人で暮らす家にも帰っていないのは、国枝が確認している。  それだけではない。あの場からミズタニも消えた。  国枝はあらかじめ、準備をしていたのだ。矢野を保護し、ミズタニを捕らえる。景虎が去った後、金で雇った外部の人間とともに、児童養護施設に向かった。台風の目を通過し、二度目の嵐に乗じて、後始末のために。  しかし。 「消えたんですよね。職員も、ミズタニも、みんな。生きていたのも死んでいたのも」  国枝が到着した頃には、施設の中はすでにがらんどうだった。倒れていた職員たちは姿を消し、すべての窓は開き、雨が真っ暗な廊下や部屋の中に入り込んで水浸しになっていた。  居住エリアにいるはずの子供たちも消え、二段ベッドの上にぽつんと置いてあるおもちゃだけが、誰かがここで過ごしていた痕跡のようだった。 「うちの仕業じゃない。どこかのプロが、意図的に消したんだ」  二人で黙り込んでいると、モニターの音がやけに大きく聞こえた。その規則的な音が、疲労した神経をかえって逆撫でする。 「親父は……自分で幕を引くと、そう言っていました。だから、黙って自ら消えた……というのは、楽観的すぎるでしょうか」  ミズタニの腕を一刀両断した、凶猿(ましら)のような矢野の姿が目に浮かぶ。 「楽観的だね。でも、理解はできるよ。事が急展開してるのを黙って見てられないからってんで、勝手に退院して、ミズタニのところへ行ったんでしょ。矢野さんはそういう人だよ、ヤクザのくせに曲がったことが嫌いだ。自分のけじめは自分でつける人だよ。でも矢野さん一人じゃ、施設の中の人間丸ごとは消せない」 「だったら誰が……そうだ、ミズタニは誰かと協力しているようでした。そいつが」 「落ち着きなよ、景虎」  国枝が、静かな声で遮る。 「気持ちはわかる。俺も焦ってる。でも矢野さんがいなくなったこと、まだお前にしか話してない。この意味がわかる?」  そう言われて、景虎は考える。言葉の含みや不文律を察するのは苦手だが、真剣に。しかし、国枝はあっさりと焦れたのか言葉を続けた。 「他の組員を混乱させたくないってのと、本家に口を挟まれたらめんどくさいからだよ」

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