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第6話
最初は媚薬を飲ませてしまったことをすぐに岳に言おうと思っていたが、岳の七凪を見る目がこわいくらい真剣で、なんだか言うに言えなくなってしまった。
とりあえずもう少し様子を見てみて、これ以上はヤバいっていうふうになった時に言っても遅くはないのではと思った。
ヤバいって何がヤバいのか分からないが、媚薬の効果もいずれ切れるだろうしと、七凪は半分開き直った。
それに、岳にこんなふうに優しくされるのは悪い気分じゃなかった。
三月に入ったといってもまだまだ寒く、桜が咲くのはもう少し先のその日は卒業式だった。
三年生を見送った後、教室に戻って友だちとしゃべっていると、知らない上級生が七凪を呼びにやって来た。
友だちが音楽室で待っているから行ってやってほしいと言う。
なんだか嫌な予感がする。また男から告白されるのか?
けど無視するわけにもいかず音楽室に行ってみると、ピアノの前にいたのは以前七凪に告白してきた先輩だった。手には卒業証書を持っている。
七凪は相手に気づかれないような、小さなため息をついた。
はっきり断ったから諦めてくれたと思っていたのに、弱ったな……。
「最後に思い出が欲しい」
先輩の声は固く緊張していた。
お、思い出とは?
よくあるセリフだが例えが曖昧すぎて想像が悪い方へと膨らむ。ま、まさかヤらせろとかじゃないだろうな、ん? その場合どっちがどっちをするんだ?
「七凪君に、さっ、さわっ、いや、七凪君を抱きしめてもいいかな」
な、なんだ、それくらいだったら……って、おいおい、それでいいのか。
先輩の顔はゆでだこみたいに真っ赤で、卒業証書の筒を握りしめる手が小さく震えていた。
「いいですよ」
気づいたらそう答えてしまっていた。
先輩は驚いたような、今にも泣き出しそうな顔をして「ありがとう」と言うと、じれったくなるくらいモジモジしながら腕を伸ばしてきた。
最後はカクカクとロボットみたいなぎこちない動きで、恐る恐る七凪を腕の中におさめた。
一秒、二秒、三秒……。まだかな……。
「七凪君……」
見ると先輩の顔が迫ってきている。
キスされる!?
「ちょ、ちょっと」
抱きしめるだけだって言ったのに、話が違うじゃないか。
七凪は先輩を押しやろうともがくが、先輩も負けてはいない。さっきとはうってかわっての素早い動きで、これが最後のチャンスとばかりに必死に唇を寄せてくる。
「うわっ」
きわどいところで顔を逃すが、先輩の唇が七凪の唇の端に触れる。ねちゃっと生温かく濡れた感触が気持ち悪い。
先輩は七凪の顔をつかみ、再び正面から唇を奪おうとする。
その時、ドシンと地響きのような低音と振動が音楽室に響いた。
「なにしてる」
入り口に岳が立っていた。地響きは岳が壁を蹴った音だった。
「先輩、そいつ嫌がってるじゃないですか。それになんですか卒業証書なんか持って。先輩って二年生だから、まだ卒業じゃないですよね」
えっ? えっ? ええーーーーーー!!!
先輩は七凪から飛び退くと、脱兎の如く音楽室から出て行った。
岳は大袈裟なほどのため息を肩でつくと、ジロリと七凪を睨んだ。
岳は元々の眼光が鋭いので、迫力満点だ。
「七凪もそれくらいすぐに気づけよ」
岳は呆れたように、ハッと短く息を吐いた。
「キスされたのか?」
凄みの効いた声で聞いてくる。
「見てただろ、未遂だよ、あ、ちょっと端があたったけど」
七凪は先輩の唇が触れた部分を手で拭った。岳は七凪のその手を掴むと自分の方に強く引っぱった。
「わっ」
七凪はぶつかるようにして岳の胸の中に倒れ込むと、そのまま息ができないくらいきつく抱きしめられる。
「が、岳、苦しい……よ」
岳の胸は先輩より広くて、岳の腕は先輩より逞しかった。先輩の時は平常運転だった心臓がいきなり加速し出す。
ふいに岳の指先が七凪の唇の端に触れた。
「ここか? あいつにキスされたところ」
七凪がうなずこうとすると、ぐいっと顎を持ち上げられ、岳はそこに口づけた。
「消毒」
怒ったような声が、少しだけ震えていた。
岳の肩の向こうで窓の白いカーテンが風にはためいていて、小さくて硬い蕾をつけた桜の木が見えた。
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