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第24話

 日曜の朝、七凪は岳に呼び出された。  その日の雨は軽い霧雨で、風が吹くと薄いレースのカーテンのようにたなびいていた。  岳は石段の途中で七凪を待っていた。  雨も降っていることだし、どちらかの家じゃダメなのかと七凪が尋ねると、岳は外がいいと言った。  部屋で二人きりになるのを岳は恐れているようだった。密室で肌を寄せ合ったら二人がどうなってしまうか、容易に想像がついた。  媚薬の力だとはいえ二人は両想いで、そしてなにより健康な男子高校生なのだ。  我慢の強度は薄氷くらいしかない。 「なに、話って」 「媚薬の解き方についてなんだけど」  そうだろうとは思っていたけど、やっぱそうか。  正直、七凪はもう媚薬を解くことなんかどうでもよかった。  いや、媚薬を解きたくなかった。  七凪はこのままずっと岳と相思相愛でいられるなら、それでいいと思い始めていた。セックスだって岳がしたいならしていい。  将来結婚しなくてよければ、家庭もいらない。七凪の人生に岳さえいればそれでいい。 「なんかいいのあったのか?」  七凪は興味なさげに訊くと、岳は意外な人の名前を口にした。 「俺さ、蓮の彼女のバルバーラちゃんと会ってきたんだよ」  聖水の話を聞いて、岳も七凪と同じことを思ったようだった。  バルバーラちゃんに、神社の湧き水に自分の血を混ぜて作る恋の媚薬の話をすると、それとそっくりの話がハンガリーにもあると、バルバーラちゃんはひどく驚いたそうだ。  そしてまた、バルバーラちゃんが聖水に興味を持ったのも、その恋の媚薬がきっかけだったという。 「バルバーラちゃんの研究は子どものお遊びなんかじゃねぇ、めちゃくちゃ本格的だ」  なんとバルバーラちゃんは、イギリスはエジンバラ大学で超心理学講座の博士課程を取得している天才少女だった。  英語はペラペラ、日本語もすでに蓮のハンガリー語より遥かに上達していて、岳とは英語を交えながら日本語で会話したらしい。 「彼女は媚薬の解き方を知ってたよ」  バルバーラちゃんは恋の媚薬について、膨大な研究資料を持っていて、実際に媚薬を使った人たちに会って話も聞いていた。  岳はバルバーラちゃんから聞いた話を時間をかけて丁寧に説明していくが、そうしている間にも七凪の心はどんどん冷えていく。  岳はそんなに媚薬の効果を解きたいのだろうか。自分と恋仲なのがそんなに嫌なのだろうか。 「それで、結局どうやって解くの?」  七凪は岳がまだ話している途中で、投げやりに尋ねた。  石段をコツンと蹴る。  岳はすぐに答えなかった。  が、やがて覚悟を決めたように口を開いた。 「浄化の塩を混ぜた湧き水を飲んで……、セックスするんだ」  石段を蹴る足が止まる。  七凪は弾けるように顔を上げた。 「え、なにそれ? 恋を覚ますのにエッチすんの?」  皮肉めいた薄ら笑いが顔に浮かんでいる。 「恋の成就を完結させる意味合いらしい。愛し合う二人が一つになることで、その愛は終焉を迎える。そしてその後、二人の魂は二度と交わることがなくなる」 「なんだよ、その交わることがなくなるって」 「一度完結している縁だから、そのあとは磁石の同極のように反発し合う。つまり俺と七凪はもう関わり合うことがなくなるってことさ。たぶん、友達でもなくなる」 「嫌だよそんなの!」  自分でもびっくりするくらいの大声が出た。 「岳と友達でもなくなるなんて、絶対に嫌だ! なぁ岳、もうこのままでいいよ、岳がエッチしたいなら普通にエッチしよう。俺はこのまま岳と恋人同士がいいよ」 「それじゃダメなんだ」 「なんで? やっぱり岳は女の子がいい? 結婚したい? 子ども欲しい?」 「俺のことはどうでもいい。でも俺は七凪の将来を奪いたくないんだ。今回だって俺とこんなふうじゃなかったら、七凪はあの子の告白を受けたはずだ」 「は? なに勝手に決めつけんだよ。そんなの分かんねぇじゃないかよ」 「七凪、俺たちのこの感情は本物じゃないんだ、偽りなんだ! 本物ならまだしも、偽物の感情で七凪の将来をぶち壊したくないんだよ!」  岳は最後は叫ぶように言った。  七凪はそれ以上なにも言えなかった。岳の言葉はそのまま七凪の気持ちでもあった。  本来岳が愛を囁く相手は、みんなの前で彼女だと紹介でき、結婚という未来図を一緒に描き、岳の子どもを産んでくれる女の子なのだ。  そのどの一つとしてもできない男の七凪では、決してないのだ。でも……、 「この気持ちが本物だったらいいの?」  雨雫のように言葉が滴り落ちた。  七凪、と、岳は囁くと、七凪を頭ごと抱きしめた。 「本物だったら俺は絶対に七凪を離さない。七凪が嫌だって逃げても、地の果てまで追いかけていって俺の物にする」  七凪は笑おうとして、押し寄せる悲しみに呑み込まれ、口から漏れたのは嗚咽だった。  二人にまとわりつくように、霧雨がたなびいていた。  日本一の星空の下で七凪を抱きたい。  岳はそう言った。

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