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第26話
夕食を済ませホテルの部屋に戻ると、七凪は身体を投げ出すようにしてソファーにもたれかかった。
「七凪、そろそろ星空ツアーの時間だよ」
ホテルの人に勧められた天文台の入場券とガイド付きのツアーだった。
「俺行かない。岳一人で行ってきなよ」
七凪はソファーの上で膝を抱え込むと、心も身体も、何もかもを固く閉ざした。
岳はそんな七凪をしばらく眺めていたが、やがてフロントに電話をするとツアーのキャンセルを伝えた。
岳は部屋の明かりを落とすと窓を開け、バルコニーに出て行った。
「七凪、すごい星空だよ、こっち来いよ」
七凪がソファーで顔をうずめたまま動かないでいると、岳は室内に戻ってきた。
「七凪……」
岳の手が七凪の髪をそっと撫で、そのままやんわりと頬に触れてくる。
「泣いてるのか」
ゆっくりと顔を上げると、岳の優しくて悲しい色をした瞳に見つめられていた。
七凪のぬれた頬に岳の唇が触れる。
「おいで」
岳に手を引かれてバルコニーに出る。
「ほら」
岳は後ろから七凪の顔を両手で挟むと、上を向かせた。
宇宙が、広がっていた。
今まで見たことのない幻想的な星空だった。
が、美しすぎるその光景はぐにゃりと歪み、みるみるうちに水没していく。
「七凪」
岳が七凪の涙を唇ですくい取る。
何度も、何度も、やがて二人は唇を重ね、深い口づけを交わす。
口づけがこの後に続く行為の前戯に変わるのに、そう時間はかからなかった。
岳はおもむろに、そばに用意してあったペットボトルを手に取った。中には浄化の塩を溶かした神社の湧き水が入っていた。
一口飲むと、もう一口含み、七凪の口にもっていった。
海の水のように塩っ辛い水が舌で掻き回され、ほのかに甘く感じた。二人の唇の隙間から水が滴り、顎を濡らす。
七凪の喉が小さく上下し、それを飲み込んだことを確認すると、岳は七凪をベッドへ連れて行こうとした。
と、その時、岳のスマホが鳴った。
部屋のテーブルの上で振動しながら青白い光を放っている。
「出なよ」
電話を無視し七凪に再び口づけてこようとする岳から顔を背けた。
一分一秒でも、その時を遅らせたかった。
岳はそれでも少し迷っているようだったが、七凪をベッドに座らせるとスマホを手に取った。
液晶画面に『バルバーラちゃん』と出ているのが見えた。
日本語と英語の混じった短い相槌を岳がうつのを聞きながら、七凪はぼんやりと窓の外に広がる星空を眺める。
「Are you sure? それって間違いないんだよな」
岳の強い口調に、七凪は視線を星空から岳に移す。
「Thank you バルバーラちゃん」
岳は電話を切ると、放心したように天井を見上げた。
やがて喉を鳴らして低く笑ったかと思うと、サッカーでゴールを決めた時のように、うおっー、と、叫び声を上げた。
「岳?」
何事かと目を丸くする七凪に駆け寄ると、岳はひったくるようにして七凪を抱きしめた。
「ただの水だった! 媚薬なんかじゃなかったんだ! 俺と七凪は嘘じゃなかったんだ!」
岳曰く、神社の湧き水に興味を持ったバルバーラちゃんは、さっそく湧き水の成分を分析してみた。
確かに普通の水より鉱物が多く含まれており、健康と美容を促進する効果は認められたが、聖水と呼べるほどのパワーは秘められていなかったという。
実際にバルバーラちゃんは湧き水に自分の血液を混ぜて反応を見てみたが、結果は同じだった。
これだけに止まらず、実際に媚薬を試した人たちを探し出し、その結果をデータにまとめた。まだ三十人ほどだが、恋が成就したのはそのうちの三割で、これは通常の恋愛成就率となんら変わりはなかった。
「俺が七凪を好きなこの気持ちは本物だったんだよ」
岳は息ができないくらい強く七凪を抱きしめてくる。
岳の言葉が七凪の頭の中でくるくると回りながら、パズルのようにはめ込まれていく。
「ほん……もの? 嘘じゃない……」
岳に遅れて今度は七凪が歓喜の声を上げる。
二人はしっかりと抱き合い喜びを分かち合う。
「七凪、好きだ」
岳は七凪の瞳を見つめながら、ゆっくりと一言一言、言葉を刻むように言った。
「俺も岳のことが好き」
二人は誓いのキスを交わすように手を取り合い、唇を合わせた。
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