12 / 19

12.約束

「だぁ!! くそ!! 負けた~っ!!!」  シーズンオフを迎えた金木犀(きんもくせい)の森。その片隅にある馴染みのベンチで永良(ながら)が叫んだ。  言葉とは裏腹に彼はとても爽やかだった。すべてを出し切ったんだろう。だから、満足している。不満はないんだ。 「厳巳(いずみ)! お前、絶対勝てよ! ンで歴史に名を刻め! いいな?」  五輪 男子 200メートル 平泳ぎ  歴代最年少王者  その座はかつての僕からすれば『終わり』  今の僕からすれば『始まり』だ。  だから。 「いいよ」 「っは、余裕かよ。んじゃ、世界新記録も追加な」 「いいよ」 「~~ンの野郎」 「そのかわりちゃんと追いかけて来てよね」 「んぐっ!?」 「何驚いてるの? 当たり前でしょ? 君は僕を『ざまあ』するんだから」 「あ~……はいはいはいはい……」 「『はい』は一回」 「はーい」  永良は背もたれに寝転んだ。そしてそのまま空を仰ぐ。  何を見てるんだろう? 僕も彼に(なら)って空を見上げた。  青い空の上を桜の花びら達が楽し気に飛び回っている。  春だな。  一年前はバカみたいに(うと)んでいたけれど、今はこうして穏やかな気持ちで季節を味わうことが出来ている。  言わずもがな隣に永良がいるからだ。叶うならこれからもずっと。こんなふうに一緒に時を重ねていきたい。 「俺らってさ、同じ年から泳ぎ始めてるんだぜ」 「らしいね」 「は? 知ってたのかよ」 「調べた。でも、ごめん。しっくりとはきてない」 「だろーな」  永良は笑った。でも、その笑顔はどこか寂し気で。僕は堪らず頭を下げた。 「ごめん」 「バカ。謝るなよ」 「でも――」 「そもそもお前が覚えてるわけねーんだよ。何たって俺はその……、なんだからさ」 「は……?」  沈黙が訪れる。永良はばつが悪そうに咳払いをした。 「話してないってこと?」 「……おう」 「一言も?」 「~~っ、だぁ!!! もう!!! このバカ!!! 何度も言わせんなッ!!!」 「……そんなの覚えてるわけないでしょ」 「だ~から名乗りたくなかったんだっつーの!!」 「ああ……ふふふっ。でも、それでも止めてくれたんだね」  僕は永良に覆い被さった。右腕を彼の右肩の横に置く。これでもう逃げられない。  永良は驚いたのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。だけど、それも束の間見る見るうちに赤くなり出して。 「~~っ、お前何して――」 「ねぇ」 「あっ、……あ゛?」 「後悔してる? あの日、僕を止めたこと」  この答えが欲しかった。だから閉じ込めた。この腕の中に。 「……っ」  永良は息を呑んだ。でも、直ぐに切り替えたみたいだ。満面の笑みを浮かべる。ちょっと照れ臭そうに。キラッキラに輝いて。 「するわけねえだろ。大正解だッ、バーカ!」  ほっとした。胸の奥がじんわりとあたたまっていく。 「そう。それは良かっ――」  ほっぺたに何かが触れた。やわらかくて、あったかい? 何これ? 「っ!? ~~っ、痛っ」  突き飛ばされた。地面に尻もちをつきかけた――けど、辛々バランスを取って顔を上げる。  永良は立ち上がっていた。僕よりも数歩先にいる。 「待っ――」 「はっ、ははははっ~! ざ~まあ~!!」 「ざまあ?」 「おうよ! きっしょいだろ?」 「???」  何のこと? 永良が言っている意味がまるで分からない。 「きしょいっていうか……痛いけど? 君に押された肩とか胸のあたりが――」 「~~っ、ほっぺだ!!!!! ほっぺ!!!!!」 「ほっぺ?」  改めて頬に触れてみる。確かに何かが触れたみたいだった。やわらかくて、あったかい……………………………………えっ? 「キス?」 「っ! おっ、おう! はははははっ! きっしょいだろ?」 「全然」 「ハアァアアァアアッッ!?」 「いっそ口にしてくれれば良かったのに」 「なっ!? ななっ!?」  永良がわなわなと震え出した。  とんでもないことを言ってしまった自覚はある。だけどまあ本心だ。  、何て思いかけてもいるし。 「やり直す?」 「ばっ、バカ! ンなお遊びに俺の大事なファーストキスを捧げられるかってんだよ!!」 「僕も初めてだけど?」 「知るか!! あ゛~~くそっ!!」  永良は照れ隠しか大きく伸びをした。でも、小さい。  僕はあれから更に背が伸びて183センチに。永良はそれほど変わらず163センチ止まりだ。 「~~っ、じゃあな!!」 「待って」 「~~っぐ!! 優しさ0か!! 黙って帰らせろや――」 「ご褒美頂戴。ちゃんと笑って勝つからさ」 「っ!? ~~っ、だっ、だからキスは――」 「いらないよ。」 「テメェ……」 「僕と馴れ合って。手始めに連絡先を教えてよ」  永良の少し太めの眉が寄った。  僕は両膝に力を込める。NOって返されたら押し倒してでも止めるんだ。 「わーったよ。勝って笑ったらな」  永良がはにかんだ。 「えっ……?」  膝から力が抜けた。ついでに頬からも。 「アホ面」 「……うるさいな」 「へへっ、じゃあな!」  永良は走り去った。追いかけることはしなかった。どうせ追いつけないし。 「約束だからね」  五輪まであと3か月。約束を果たしたら徹底的に馴れ合ってもらう。 「ふふっ、楽しみだな」  桜の花びらが舞い落ちてきた。僕はその花びらを手の平に迎える。 「まずはお花見かな? いや、五輪が終わった後だから夏祭りか」  僕は心底浮かれていた。  五輪を終えたその先に波乱が待ち受けているとも知らずに。

ともだちにシェアしよう!