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13.違和感
『厳巳 豪 !! 16歳!! 五輪史上最年少王者!!』
『世界記録更新ッ!! 2分3秒54!! 前人未踏の2分3秒台!!』
『まさに怪物!! 今世界が、絶対王者の誕生に湧いています!!!』
歓声が響き渡る。日本語だけじゃない。英語、フランス語、イタリア語、その他色んな国の言葉が飛び交っている。
一つ一つの音が混ざり合って大きな音になっていく。凄く大きな音であるはずなのに何だか小さいというか、遠くに感じて。
「はぁ……はぁ……」
プールの青い側面に額を預ける。くたくただ。力が入らない。早くカメラの前に。永良 に伝えたいのに。
「厳巳ッ!!」
「コー……チ……?」
顔を上げるとコーチの姿があった。プールサイドから覗き込んできている。
まるでそう、愛嬌だけが取り柄の駄犬を見るような目で。
「掴まれ」
「あっ、はい――」
勢いよく引き上げられた。
「あっ……!」
顔面がコーチの硬い胸に直撃する。
「~~~~~っ!!!」
「何やってんだ。無様晒 してんじゃねえ」
「……すみませ――っ!」
まただ。勢いよく抱き寄せられる。咄嗟 に両手を前に出した。手がコーチの胸に触れる。その手がクッションになって衝撃から守ってくれた。
「いい泳ぎだった」
「……どっ、どうも」
コーチから褒められたのは、たぶんこれが初めてだ。嬉しいを通り越して何だがむず痒 い。
「後は好きにしろ」
「えっ……? うわっ……!」
突き飛ばされた。つんのめった先には取材陣の姿がある。
振り返るとコーチは既に歩き出していた。向かう先には僕の荷物がある。僕に代わって回収しようとしてくれているんだろう。
「辞めてもいいってこと?」
捉え方によってはそうなる。今の僕にはもう辞める理由はない。むしろ続けないといけない。永良を繋ぎ止めるために。
「あ……そっか」
コーチは知らないんだ。永良と僕の関係を。言ってないんだから当然だ。
コーチからすれば、僕は命じられるまま泳ぐ謂 わば『傀儡 』。去年の4月の時点から何も変わっていないんだろう。
伝えた方がいいのかな? あまりにも個人的なことで少し、いや大分気が引けるけど。
「……泳ぐ理由が出来た、ぐらいのことは伝えてもいいのかもしれないな」
「厳巳選手~! お時間よろしいでしょうか?」
「あっ、はい!」
アナウンサーさんが声をかけてきた。僕は足早に彼らのもとに向かう。
「おめでとうございます! 五輪初出場な上に優勝!! それも世界記録更新ッ!! これ以上ないほどの快挙ですね!!」
「一言だけ、一言だけ今の気持ちをお聞かせ願えませんでしょうか?」
「今の気持ち、ですか」
胸に手を当てて考える――までもなかった。レンズの向こうに永良がいる。そう思ったら自然と言葉が出てきて。
「ありがとう」
自分でも口角が上がっているのが分かった。笑えていると思う。永良と会っている時と同じだから。
「「「っ!!!???」」」
「感謝の言葉ですか! いや~素晴らしいッ! 周囲のアシストあっての偉業とお考えなわけですね!」
「先程は的場 コーチと抱擁を交わされていたようですが、どういったやり取りを?」
「褒めてくれました。記憶にある限り、たぶんあれが初めてで」
「「「おぉ!!」」」
そうして取材は続いていく。
――ねえ、ちゃんと観ててくれた?
問いかけたい気持ちをぐっと抑え込んだ。
この向こうには永良以外の人もいる。浮かれるにしたって限度があると思ったから。
けれど僕はこの後心底後悔することになる。
あの時、私情丸出しでもいいから永良に直接語りかけていたら、あるいは彼を失わずに済んだのかもしれない。
――1か月後。僕は馴染みの幾何学的な屋根の下でたくさんの人に囲まれていた。
「厳巳選手ですよね!? 握手してもらってもいいですか?」
「……はい」
「私もー!」
「きゃーっ!! かっこいい~♡♡♡」
「…………いえ、そんな」
次から次へと人が押し寄せてくる。老若男女様々で、いずれも競泳関係者じゃない一般の人達だ。
五輪以降ずっとこんな調子だ。心休まるのは水の中と家の中ぐらいのもので。
正直煩わしい。何もかもがスムーズに運ばない。ただ一人の人を、永良を見つけるのも一苦労だ。
「すみません。人を探しているので僕はこれで」
切りの良いところで引き上げて輪から抜けた。その先で馴染みの人影を捉える。
「我喜屋 君」
「やっほー! 勇者様~! 超超ちょーーーーう人気だね★」
僕が話しかける前から視線を寄こしていた。ずーっと、ずーっとニヤニヤしながら。やっぱり苦手だ。でも、背に腹は代えられない。
「永良はどうしたの? エントリーすらしていないようだけど」
「Oh……やっぱそこんとこ気になっちゃう?」
我喜屋君の表情が曇る。凄く、凄く嫌な予感がした。
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