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第2話 運命の番に出会った途端、フラれました

「オンラインで会員申し込みをした、藍沢田鶴です」  美羽姉ちゃんが申し込んでくれたジムは、大きな建物だった。窓ガラスが鏡みたいにピカピカと輝いている。  ボンバージムっていう名前もなんだか強いな。  僕は運動にまったく興味がないので、アンテナに引っかからなかったらしい。受付のお兄さんは爽やかな青年だった。八重歯が可愛い。総かまわれ受が似合いそう。 「あざーっす! よろしくお願いしやーっす! 自分はトレーナー見習いの青木っす」 「青木さん。よろしくお願いします」 「ご健康上、注意しなきゃいけない項目はないようですね。したら、今日から早速使ってください!」  僕はとりあえず、フロアを見渡した。  ランニングマシーンに、名前の分からない筋トレマシーン。そして、「ズンバ」というプレートが掲げられた部屋がある。ズンバってなんだろう。  プールは今日は無理だな。  僕はとりあえずエアロバイクに跨った。  その時のことだった。 「青木! ビギナーさんに挨拶しただけで、オリエンもしないで放置か? おまえのそういうところ、マジ許せん」 「ひいぃっ! 四宮さん。帰ったんじゃなかったんですか」 「おまえがザルな書類作ってくれたから、ケツ拭いてたんだよ」  現れたのは偉丈夫という呼称がぴったりの大男だった。上背があって、戦国武将のように猛々しい顔立ちをしている。うわーっ。青木さんの攻って、鬼上司なんだ。がんばれーっ。 「今日入会してくださった藍沢田鶴さんですよね」 「あ、はい」 「私は当ジムの主任トレーナーの四宮隼人と申します。青木のオペレーションにミスがあって申し訳ございません。今日は私がオリエンテーションを担当させていただきます」 「あの、でも四宮さん、残業なんですよね」 「私は24時間戦うタイプのトレーナーです。お構いなく」  うわーっ。鬼のうえに根っからの体育会系かー。モーレツなんて死語だと思ってた。 「ところで、田鶴さんっていい匂いがしますね。オメガでしょ」 「えっ。なんで分かったんですか……!? あれ、この感じって」 「俺たちはたぶん、運命の番ですね」 「まさか……。でも、確かにフェロモンが……すごい」 「でも俺は仕事と結婚してるので。色っぽい話はナシで。田鶴さんがボディメイクして素敵なアルファを見つけられるようサポートしますよ」 「はあ」  僕……運命の番に出会ったのに速攻でフラれたのか? うぅっ。この人のこと全然タイプじゃないけど、ものすごい挫折感。  それにこの人、さりげなくボディメイクって言ったよね? 僕がぷにぷにしてるからダイエットしにきたと決めつけたな!? ぽっちゃりにぽっちゃりって言ったらダメなんだよ! 体力づくりのお手伝いをしますねっていうマイルドな言い換えをしてほしかった。 「はい、では行きますよ。まずこちらはスタジオ。ヨガやズンバ……音楽に合わせたエクササイズを楽しめます。開始10分前までに受付を済ませてください」 「……はい」 「プールエリアでは帽子を着用ください。水中ウォーキングもお楽しみいただけます」  四宮さんは淀みなく説明していった。  目がキラキラしてる。  本当に仕事が好きなんだな。 「今日は時間外ですが、一度体力測定を受けてください。こちらで田鶴さんに合ったプランを作成します。現在の体重と、目標体重は?」 「うわ、それ聞いちゃうんですか」 「スポーツは科学ですよ。数値がなくては我々も動きようがありません」  僕は背伸びをすると、四宮さんの耳元で質問の答えを教えた。 「それでしたら、3ヶ月スパンでトライしてみましょうか!」 「ちゃんと通えるか不安です……」 「電話サポートも行っておりますので、メンタルが不調の場合はすぐにご相談ください!」  四宮さんはイキイキとした表情で僕を見つめている。  この人って、お金のために働いてるんじゃないんだろうな。ジムのメンバーを理想のカラダに導くことをミッションだと思っているに違いない。   「今日はどうされますか?」 「エアロバイクを、15分だけ」 「いいですね。スモールステップが大事です。エアロに乗る前に、ストレッチをされるといいですよ。一緒にやりましょう!」 「はい」  僕は四宮さんの真似をして、前屈をしてみたり、体を捻ったりしてみた。うぅっ。関節がバキバキいうな。  四宮さん、カラダ柔らかい。  この人、受の方が合うんじゃね? ガチムチで柔軟って、体位のバリエーションが広がるよね。性癖特盛BLみたいな人だなあ。  僕は四宮さんにうっすらと好感を持った。  そしてつい、ニチャアという微笑みをこぼしてしまった。僕がBL妄想をした時のクセである。 「ん? いい笑顔ですね! 体を動かして気持ちよかったですか?」  純粋だな、四宮さん。  僕は今、あんたが美人攻にケツマ×コを穿たれてるところを想像してたよ。  体育会系の受って可愛いな。家に帰ったら、作品を検索してみよう。 「ストレッチをする時にはね。筋肉に優しく語りかけるといいですよ。いい子だね、頑張ってるね。もっとできるよって」  ……四宮さんの今の笑顔、すっごくソフトで可愛かった。声も優しくて素敵。そういう喋り方もできるんだ……。   「四宮さん! 四宮さんって何曜日に来てるんですか?」 「その週によって違いますね。うちのシフトは流動的なので」 「そうですか」  まあ、いいか。  四宮さんの出勤ガチャに失敗したら、妄想で補おう。  僕はまたしてもニチャアという笑みを浮かべた。 「田鶴さんって、実は運動好きですか?」 「えぇっ。僕の学生時代のあだ名は漬物石ですよ?」 「漬物石か……。重いもの……、重いもの……。うん、そうだ。ベンチプレスにも挑戦してみましょう!」  体育会系の人ってなんでもポジティブに変換するんだな。人生、楽しんでるなー。  僕はその日、エアロバイクを漕ぎながら四宮さん受の妄想を繰り広げた。満員電車でモブに痴漢されちゃうのも可愛いよねと思っていると、あっという間に15分が経った。 「田鶴さん、お疲れ様です! またお待ちしております」 「はい。よろしくお願いします」  かくして僕は出会い頭に運命の番にフラれたが、大きな収穫を得て帰宅した。  ネットを検索したところ、地獄門マリアンヌ先生というお方がガチムチ受の甘々BLの大家らしい。  僕はダウンロードした電子書籍を読んで、幸福感に包まれた。  地獄門マリアンヌ先生、神! ガチムチ体育会系受、おいしい!  あー。今日は運命の番にフラれたけど、いい日だったなー。  僕は布団を被って、すぐに寝落ちした。 ◇◇◇  藍沢田鶴がすやすやと眠っているその時。  お悩み相談サイト、カキコミ寺の住民は祭り状態に陥っていた。 『27歳アルファです。今日、運命の番に出会いました。でも、その人があまりにももっちりとした美肌で、まつ毛が長くて、黒目がちで可愛くて、おまけにお尻もプリッとしていて、この人のデイジーに俺が触れていいんだろうかと思ったあまり、ついイキって、自分は仕事と結婚していると言ってしまいました。俺はこれからどうすればいいでしょう?』 『まず、この人のデイジーとかいうキモいセンスをどうにかしろ』 『ヤリたいんだろ。アナルって書けばいいじゃん』 『デイジーはないわ』 『俺は切れ痔ー』 『僕は親父ー』  四宮隼人は自室でスマートフォンを眺めながら、憤怒の形相になった。   ——なぜだ。愛しい人のアソコを花に例えて何が悪い? 『質問者です。では、菊門ならいいですか?』  その瞬間、四宮が立てたトピックは、カキコミ寺の日間ホットランキング1位に浮上した。 『菊門! エロ小説の読みすぎ』 『今からきみの菊門をほぐすねとか言うわけ? そんな表現してたらオメガのアソコ、乾いちゃうよ』 『質問者様はまず、セクシャルなことも話せる友達を見つけるのがいいんじゃないでしょうか? ああ、そうか。友達いないからここに書き込んでるんだね』  こいつらに人の心はないのかと四宮が絶望したその時のことだった。 『みんな。人のことを笑うのは簡単やで。  でも質問者さんは悩んではる。一緒に答えを考えてあげよ。  ワシはうちのカーチャンのオ××コを観音様言うてるよ。ワシは昔びとやさかい、このセンスはヤングには受けへんかもしれんが、カーチャンは喜んでくれてる。  オ××コは赤ちゃんが生まれるところや。質問者さんが神聖に感じて、デイジーと呼びたくなった気持ち、ワシには分かるで』  仏だ。  ネットに仏が現れた。四宮は優しいカキコミをしてくれたハンドルネーム、ナイス秘宝館に畏敬の念を抱いた。ナイス秘宝館のプロフィールを見れば、性の悩みカテゴリのマスターだと記されていた。  四宮はナイス秘宝館の次なるアドバイスを待った。 『でも、いきなりデイジーちゃんとか観音様とか言うたら相手はきっと、びっくりなさるね。お布団の中ではアレとかソレとか指示代名詞を使うのが無難やないかなあ。質問者さん、見てる? おっちゃん応援してるで』  ナイス秘宝館のカキコミによって、トピックの流れが変わった。 『質問者さんには無言セッをおすすめします。獣になったつもりで一切言葉を話さずにするのもいいですよ』  他にもバラエティ豊かなアドバイスが連なった。  なるほど、ベッドインしたらそう振る舞えばいいのか。童貞の四宮はレスを繰り返し読んで、イメージトレーニングの幅を広げることにした。  しかし仏もいれば鬼もいるのがネットである。  またしても厳しいカキコミが現れた。 『これって、セッに持ち込む前の段階の質問だよね? 仕事と結婚してる発言を早めに撤回しないと。ヘンな意地張ってるうちにそのオメガちゃん、他のアルファにとられちゃうよ』 『私オメガだけど最近はマッチングアプリでも婚活パーティーでもオメガ優位だって感じるー』 『コレヨシ製薬のヒートシュパットを飲めば、ヒートが一日か二日で収まるしね。そのオメガさん、独身主義者かもよ?』  その可能性は考えていなかった。  四宮はうなだれた。  ストレッチをしていた時の、田鶴のあの天使のような微笑み。あの笑顔を誰かに奪われたら生きていけない。   『質問者です。みなさん、今日は学びの時間をいただきありがとうございます。みなさんのご意見を拝読して、自分の傲慢さに気づきました。素直になることが大事ですよね。お相手には早々に好意を伝えようと思います。  デイジーについてですが、俺の心の中ではデイジーと呼んで、ベッドの中ではアレとかソレといった表現をしようと思います。ナイス秘宝館さん、貴重なアドバイスありがとうございました』  四宮が眠ったあとも、カキコミ寺では祭りが続いていった。

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