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白の騎士と黒の従者
ニガレオス国とアルブム国にはその領域を踏み越えることを許さぬかのように、山脈が隔たる。その山を乗り越えることは通常不可能とされ、幾人もその険しい山に挑戦しては命を落とした。唯一両国を跨ぐことができるのは、海からの回路である。しかし、南の海は渦巻き、危険な海獣が生息している。その為、アルブム国からニガレオス国に渡るには北の海を使用するか、貿易のため建築された橋を渡るしか方法はない。
ナルキスはクラトラストから蝿取りを命じられた。蝿とは言わずもがな、アルブム国の騎士らのことだ。彼らは現在、北の海に面するエルバー領近辺にいると見られる。王都から馬を乗り継ぎ5日で彼らの消息を掴んだ。現在、彼らは仲間を募っているという。向上心の強いニガレオス国民のことだ。言葉巧みに仲間になる人間もいることだろう。既にニガレオス国民の一人が仲間についたという情報が回っているくらいだ。
ナルキスは部下と共に早馬に乗り換え、アルブムの騎士が潜伏している街に急いだ。
アルブムの騎士は傷一つない美しい顔と痛みの知らぬ金色の髪、汚れのない蒼眼という。女は一目見て惚れるという。ナルキスは初めて対峙して、思う。
クラトラスト様の方が美しい。
純粋にそれだけを感じたナルキスは美しい君に貰った剣を撫でる。
「ナルキス様、あれがアルブムの第一騎士団長、デルフィエイダです。その横にいるのは、アルブムの冒険者リヴール。そしてニガレオス人の巨漢の男が海賊のグリズリーです」
「そうですか。国を跨げたのはそのグリズリーという男のおかげというわけですね。であれば、殺しても良いでしょう。海賊などと時代遅れも甚だしい行為を行っているのです。いつ淘汰されても可笑しくないと理解しているはずです。」
「しかし、グリズリーといえば、多くの討伐騎士を殺しております。それに、デルフィエイダはアルブム随一の剣士、冒険者リヴールも冒険者とは名ばかりの殺し屋という噂もあります」
「そうでしたか。私にはとても弱そうに見えますが」
「弱そう……、ですか?」
「貴方達が出張る必要はありません。私が一人で片付けましょう」
「ナ、ナルキス様!」
ナルキスはゆっくりと歩く。冒険者のリヴールがそれに気付き、後ろを振り返る。音もなく現れたナルキスにリヴールは剣を抜くことさえ出来ぬまま地面に倒れた。
血が滴り落ちる。リヴールは腹から血が流れていることにようやく気がついた。
「おい! リヴール、しっかりしろ!」
デルフィエイダがリヴールの名を呼ぶ。しかし、その血は止まることなく溢れている。
「お前、いきなり現れてなんなんだ!」
唐突に現れ、リヴールの腹を刺したナルキスに戸惑いを見せる。襲撃を受けてなお、まだ剣を抜かぬデルフィエイダにナルキスはヌルいと言わんばかりに冷めた目で見ていた。
「私は王の命により、貴方がたを殺しにきただけです」
「王の命……、お前がクニヒロを攫いやがったのか!」
「攫ってなどおりませんよ」
「ふざけるな! お前らが攫ったんだろ! クニヒロを無理やり!」
デルフィエイダは漸く剣を抜いた。全く狂いもない一太刀がナルキスに向かう。しかし、ナルキスはいとも簡単にその刃を振り落とした。
「フィーダ! 待て! そいつを相手にするな!」
ニガレオス人の海賊グリズリーが声を荒げた。何かを考えるかのように黙っていたグリズリーだが、ナルキスの剣に描かれた紋章を見るなり、何かに気付いたようだ。
「フィーダ、そいつは国王の側近ナルキスだ! 今までの騎士たちとはわけが違うぞ! そいつは国王に次いで強い。国で二番目に強いんだよ!」
「それがどうした! 一番にもなれない男だろ! そんな奴には俺は負けない」
過剰な自信だとナルキスは思う。自信は時に人を惑わす。ニガレオス人のグリズリーはナルキスとデルフィエイダの力量の差に気がついている。当の本人はナルキスを殺せると本気で考えているようだ。
「やめろ! フィーダ! 死ぬぞ!」
「死んでも戦わないといけないときがある。それが今だ!」
「くそっ、ここまで来たら仕方ねぇ。俺も戦ってやる!」
グリズリーも逃げ腰だった身体をナルキスに向けた。ナルキスは物語の主人公のように踊り狂う男達に小さく笑った。
「それなら、私は悪役にでも乗じましょうか」
ナルキスはデルフィエイダの剣を見切り、振り落とす。そしてグリズリーが放った短剣を今度は剣で跳ね返す。隙を狙ったデルフィエイダが剣を大きく振る。横腹に突き刺そうとしているようだ。同時にグリズリーも大剣をナルキスに振り落とそうとした。だが、ナルキスはすべての攻撃を剣で受け流した。
弱い、とても弱い。
ナルキスはグリズリーをまず落とそうと先程跳ね返した短剣を持ち、グリズリーの腹に向って投げる。間一髪で防いだグリズリーだったが、既に目の前にナルキスはいた。
「グリズリー!」
デルフィエイダの声が響く。ゆっくりと倒れていくグリズリー。ナルキスは剣についた血を振り払った。
「くそっ! 俺が二人の仇を取る!」
デルフィエイダは真っ直ぐ走りナルキスに剣を振り上げた。しかし、気付いた時にはデルフィエイダの後方にナルキスは立ち、剣を納めていた。デルフィエイダは訳も分からず、後ろを振り向き倒れた。
「な……ぜ……、見えなかった……、何を……」
「私の剣さえ見えぬのなら、貴方の刃が王に届くことなどありませんよ」
「く……そ……、くそ……! 待て……、俺はまだ……まだ……」
ナルキスは騎士たちの元へ戻る。一滴の血さえ流していないナルキスに、騎士たちは驚きを隠せず唖然とした。
「ナルキス様、敵は……」
「始末しました」
「お一人で……?」
「ええ、それが何か」
騎士たちがどよめく中、ナルキスは一人、連れてきた愛馬のシルフィに乗る。
「ナルキス様!」
「これ以上この場に留まっても意味がありません。王都に戻ります」
「休まれなくてよろしいのですか!」
「その必要性を感じませんので、もし貴方達が休みたいというのであればそれでも構いません」
「いえ……、すぐに出発の準備を致します」
ナルキスは木々に囲まれた草の中に気配を感じた。一瞬剣に触れたが、目を瞑り、馬を歩かせた。
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