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町医者と犬
クラトラストは目を覚まし、辺りを見渡した。確かに死んだはずだった。剣で貫かれ、致命傷を負ったはずだ。
「クラトラスト様!」
眼の前にはナルキスがいた。
「お前がいるってことは地獄か、ここは」
「……いえ、違います」
「まぁ、そりゃそうだろうな、お前が地獄に堕ちるはずねぇよな。能無し」
「も、うしわけありません」
クラトラストは虚ろな目でナルキスを見た。右目に眼帯、左手は包帯を巻いている。引き摺るように歩いてきたことから、足も負傷しているのだろう。王城で務めていた時より随分と痩せた。食事もままならない程重症だったことは想像に固くない。ナルキスは己の情のなさに目を逸らした。
沈黙。ナルキスはもちろん、クラトラストも罵倒すら口にしない。重たい空気を掻き消すようにイトロスが部屋に入ってきた。
「能無しなんて、相変わらずひでぇ言い方だな。クラトラスト様よ」
「……てめぇ、イトロスか」
「ああ、そうだよ、クラトラスト様の元御友人だ」
御友人に反応したクラトラストは分かりやすく嫌悪感をあらわにする。昔からクラトラストとイトロスの仲はよろしくない。イトロスが御友人としてありたくなかったように、クラトラストもイトロスが友人であることを望まなかった。そもそも馬が合わないのだ。
「イトロス、あまりクラトラスト様に突っかかるな」
「はいはい、分かりましたよ、お坊ちゃん」
「クラトラスト様、体調はいかがですか。まだ傷は痛むでしょうがイトロスは素晴らしい医者です。何かあればイトロスに……」
「うっせぇな! 黙れ。なぁ、ナルキス、俺は一つ聞きてぇことがあんだよ。なんで俺を生かした」
「それは……」
「言い訳はいいんだよ! 俺が常日頃言ってる言葉忘れてんじゃねぇだろうな! あ゙? 俺は負けたんだよ、あのクソ野郎共によ! なら、結果は死しかねぇだろ? 負けて生きるくらいなら死んだ方がマシなんだよ!」
ベッドが軋む。クラトラストの覇気にナルキスは狼狽え、一歩下がる。イトロスはナルキスの肩を持ち、ガリガリと頭を掻いた。
「お前、ほんとムカつくな。昔から俺はお前のこと大嫌いだったが、今はもう目も見たくないくらいには嫌いだよ。俺は敵だろうが味方だろうが、医者として救える命は救ってみせる。だがな、一人だけぜってぇに救いたくなかった奴がいる。お前だクラトラスト。俺はお前らを見つけたとき、ナルキスだけを救おうと思った」
「なっ、イトロス!」
「俺がお前を助けたのはな、ナルキスのためだ。ナルキスは傷だらけになりながら、燃える城からお前を救ったんだ。自分だって危ない状況だったのに……お前のことを優先したんだよ! 何が死にてぇだ。ナルキスの気持ちも知らねぇでよ」
「ハッ、知るかよ。そいつがどう思ってようと俺がすべて正しい、それは変わらねぇんだよ」
クラトラストのあまりの言いようにイトロスは傍にあった机を叩きつけた。しかし、ナルキスを見て舌打ちをし、そのまま乱暴にドアを開け部屋から出ていった。
イトロスが遠ざかる。再び沈黙が訪れそうになったとき、ナルキスは口を開いた。咄嗟に出たのはただの謝罪の言葉だ。
「申し訳ありません……」
「謝るくらいならなぜ生かした」
「私はまだ貴方に王でいて欲しかったのです」
「はっ、そりゃそうだ。俺がいなくなったら、お前の父もお前も皆打首だろーよ」
「クラトラスト様は私をそのようにお思いで?」
「さぁな、俺には興味がない」
「知っております。貴方は私に興味がない。しかし私は貴方に忠誠を誓っております。幼い頃からずっと……。だから分かるのです。貴方は、アデルポルより、あの異世界人より、前王より、他の兄弟より、誰より国王に向いておられる。そして、貴方自身も王であることを望んでいた」
「ハッ! お前が俺に何を求めてるのか知らねぇけど、俺は戦うのが好きなだけだ。勝手な妄想してんじゃねぇよ、キモいんだよ」
突き放されていることは分かっている。クラトラストからの信頼も底辺だ。それでも、ナルキスはクラトラストを信じていた。クラトラストが王の器であることを、本気で。
「私はそれでも……」
「うっせぇんだよ! 出ていけ!」
「……申し訳、ありません」
足を引きずりながら歩くナルキスの姿を、クラトラストは最後まで見届けることなく背中を向けた。燃える城。剣がぶつかる音。今でも思い浮かぶあの日の情景。新たな武器と新たな敵。その高揚感。あの場で死ぬべきだった。クラトラストは、あの場で死にたかった。無駄に生き残ってしまったことに悔いしかない。
イトロスは沈んだナルキスに声を掛けた。
「お前もまだ本調子じゃないんだ。休め」
「ああ」
ナルキスが目を覚ましたのはここ一、二週間のことだ。本来はまだ動いていい身体ではない。そのくらいの大怪我だった。致命傷となったのはおそらく腹の中にあった鉛玉だ。クラトラストの身体にもあったそれは初めて見る代物だった。おそらく、イトロスでなければ、それを取り除き、かつ回復まで持っていくことは不可能だった。
「何度も言ってるが、歩いていいのはこの家だけだからな」
「分かっている。感謝してるよ、イトロス」
「……はぁ、まぁいい」
「なぁ、イトロスはその……、怒っていないのか?」
「突然なんだよ」
「私は、その、イトロスとの関係を一方的に切っただろう。」
イトロスは目を瞑る。イトロスとクラトラストが御友人としていたのは学生時代の短い間だけだった。学院卒業後は御友人の任を解かれ、関係を断ち切った。しかし、ナルキスとの交友はかわらず続けていた。王が死に王位継承争いが始まるその日までは。
「ナルキスは後悔してるのか」
「申し訳ないとは思っている。今でも、あの日のこと、嘘でもついていい言葉ではなかった」
「俺はさ、ずっとお前のこと友達だって思っていたよ。何言われようと信じてた。だってお前、クラトラストの次くらいには俺のこと考えてくれてただろ? 俺を突き放したのだって、全部王位継承争いに巻き込まないためだったろ?」
ナルキスがイトロスとの関係を断ち切ったのはひとえにイトロスの安全と医者になる夢を守るためだった。クラトラストは王となってもいつ狙われるか分からない立ち位置だった。そのクラトラストの側近であるナルキスにも敵は大勢いた。ナルキス自身が敵に襲われようと構わない。だが、大切な友人であるイトロスに危害が加えられる可能性があるのは許せなかった。
「イトロスは国一の医者を目指していた。あのまま私がイトロスを守っていれば、守れる力があれば、イトロスはこんな王都のはしで医者なんてしていなかったはずだ。きっと……、国一の腕だと認められ、多くの人を助けていた」
「馬鹿言うなよ。確かに国一の医者になること今でも諦めてねぇよ。でもよ、きっとあのまま城のお抱え医師として生きてても国一の医者になんてなれなかったよ。だって、貴族や王の病気や怪我なんて大したことないだろ?」
「だが……」
「うるせぇな。許すって言ってんだろ。それよか、俺は一つ聞きたいことがあんだよ」
「なんだ?」
「お前、いつからクラトラストのこと“クラトラスト様”なんて気持ち悪い呼び方にしたんだ」
目線が下がる。思い出したくない過去が過ぎていく。
「言いづらいことなら別にいいけど。可笑しいだろ。お前ら仲がいいとかそんなんじゃなかったけど、少なからず今よりかは主従関係ってより、友達の関係に近かったはずだ。いつからだ、俺が離れる間に何があったんだよ」
「そうだな……、ここまでしてくれているのに、もう隠していても仕方がないな。聞いてくれるか」
「当たり前だろ。話せよ」
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