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孤独な王と従者
ナルキスは一度、イトロスの家に戻った。これから王都から離れたシルバー領に向かうためだ。
「パテル卿は駄目だったか」
「無意識のうちに頼りにしていた。だが、もう仕方がない。諦めて次を考えている」
「次にって……、案外諦めが速いな」
「そうだな。背中を押してくれた人がいたから」
「良かったな」
ナルキスは微笑み、頷く。
「もう、諦めろ、ナルキス」
だが、そんなナルキスを虚ろな目で止める男がいた。
「クラトラスト様……」
「お前! いい加減にしろ! ナルキスはお前のために死物狂いで動いてんだぞ! お前もそろそろ動けよ!」
「うっせぇな、頼んでねぇんだよ!」
「頼んでねぇだ? ふざけんな! お前がこの国を護らねぇとこの国は滅ぶんだぞ! ほら、お前の好きな戦いだ。さっさと準備しろ」
「うれせぇな! 俺はあの戦いで負けてんだよ! 俺は、生き恥をかく気はねぇ、もう死ぬだけだ」
「んだと!」
「イトロス!」
ナルキスの言葉にイトロスは身体をピタリと止めた。ここまで来て止めるのかとナルキスを非難しようとした。だが、ナルキスは申し訳なさそうに眉を下げながら笑った。
「イトロス、すまない」
「は?」
イトロスは一瞬、なぜナルキスが謝罪をしたのか分からなかった。しかし、その瞬間、ナルキスはクラトラストを殴り飛ばしていた。その拳で、頬を。
「……何しやがる」
「それはこちらのセリフだ!」
「んだと……」
「一度敗れたくらいでウダウダ言って、何を不貞腐れてるんだ」
「俺が不貞腐れる? ふざけんじゃねぇぞ! てめぇに何がわかんだよ! えぇ!」
「いいや、あなたはそんな人だ。争いが好き? 戦いが好き? 私は知っている。あなたは別に命のやり取りなんて好んじゃいない。確かにあなたは多くの争いに身を投じてきた。そして、楽しそうに人々を切ってきた。それだけだ。ただそれだけで、あなたは戦争好きの王様になった。本当は争いのない平和な国を望んでいるというのに!」
「ふざけるな! 俺は一度たりともそんなこと考えたことはない!」
「ならば、どうして、どうして……。あなたはどうして、人を殺した後に悲しそうに笑うんだ……。争いが好き? それならアルブムでもなんでも攻めて行けばいいじゃないか。それなら、兄弟の殺し合いの中で一番に兄弟を殺しに行けばよかったじゃないか。あなたはそれをしなかった。強い者なら、兄弟の側近の中にも多くいた。殺したとして、あの時なら誰も責めることなどしなかった。全部、全部、それをしないのは、あなたが本当は誰も殺したくなかったからじゃないのか!」
ナルキスの頬に痛みが走った。今度はクラトラストがナルキスを殴ったのだ。床に倒れるナルキスに、クラトラストが馬乗りになる。
「黙れ! 俺に優しさなど必要ない!」
「それなら、さっさと捨ててしまえ! 異世界人を捕まえた時点で、殺すか拷問するかすれば良かっただろう。そしたら、アデルポルが調子つくこともなかった!」
「あれは価値があったから生かしていただけだ!」
「だから、それなら拷問して言うことを聞かせれば良かったんだ! どうして認めない。自分の優しさをどうして受け入れない!」
「優しさなど、弱いものが持つものだ!」
「あなたは、貴方は、いつまで、いつまであの方の言葉に、あの出来事に囚われるつもりですか!」
クラトラストがナルキスと出会う前。クラトラストは何も持っていなかった。九番目の王子。その肩書に価値などない。ただ、そこにあるだけの存在だった。しかし、クラトラストにある日大切なものが出来た。子犬だ。捨てられた子犬を拾ってから、その犬はクラトラストの飼い犬になった。白くて小さくて潰したらすぐに死んでしまいそうなほどか弱い犬。けれど、誰にも見向きもされないクラトラストにとって、唯一ついて回る子犬は可愛く、大好きだった。しかし、その子犬は呆気なく死んだ。クラトラストを護り、死んでしまったのだ。犯人はメイドだった。メイドはクラトラストの母の宝石を盗んでいた。それを目撃したクラトラストに、気が動転したメイドがナイフで襲おうとした。だが、主人が襲われそうになっていると気付いた子犬はメイドの腕を噛み、ナイフを落とした。子犬はメイドに振り払われ、地面に転がった。騒動を聞きつけた執事長らがメイドを捕らえるのは早かった。しかし、クラトラストを助けた子犬は強く地面に叩きつけられ、瀕死状態に陥っていた。クラトラストが子犬に近寄る。細い息で今にも死んでしまいそうな子犬に、クラトラストの目には涙が溜まっていく。執事に頼み、獣医を呼んだが、既に遅かった。処置が間に合わなかった子犬は呆気なく死んでしまった。クラトラストは絶望した。たった一人の友だちを失い、悲しんだ。そんなクラトラストに母は近づきこう放った。
「なぜ、あの犬が死んだのか分かりますか? 貴方が弱いからです。貴方が弱いからあの犬は死んだのです。悲しいのなら、泣くのはおやめなさい。強くなりなさい」
クラトラストはその後強くなろうと剣術に励むようになった。母も満足そうに笑っていた。だが、そんな母も病に倒れ、呆気なく死んでしまった。強くなっても、大切なものは守れない。母は救えない。涙は絶えず溢れた。そして今度は父がクラトラストに告げた。
「優しさを捨てろ。そこに優しさがあるから強くなれぬのだ」
泣き続ける子供に告げた。クラトラストはそれを鵜呑みにした。優しさを捨てる。そうしたら、強くなる。実際に戦場では優しいやつから死んでいった。精神を病んでいった。クラトラストは成長するたび、優しさを捨て、無情になっていった。そして、今の戦場を愛する男が出来上がった。
「あれは幼い頃の過ちだ」
クラトラストは否定する。ナルキスは頭を横に振る。
「私は貴方と出逢ったのは、貴方の母上が亡くなられてからです。しかし、当時の執事長が私に教えて下さいました。そして、今なお、あの子犬の墓があるのだと笑って話すのですよ」
「それは俺が望んだものではない」
「望んでいないものなら、壊せばよいではありませんか」
「俺はそんな暇じゃねぇんだよ!」
「いいえ、貴方は気に入らないものは徹底的に排除するはずです」
「あれに関心がないだけだ!」
「そうですか、なら、それでいいでしょう。ならば……、ならば私を殺してください」
「なんだと……?」
「私は貴方の命に背きました。第四王子をアルブムへと逃しました。アルブムの騎士を生きていると知っていながら、見逃しました。私は幾度も貴方の命に背いてきました。命を捧げる覚悟はあります。どうぞ、今この剣で私を貫いて下さい」
ナルキスはクラトラストに剣を渡す。クラトラストはその剣を振り払う。
「俺がお前の願いに従う必要はない」
「ならば……」
ナルキスは剣を拾い、自身の胸に刃を向けた。
「私は、私の意思で死にましょう」
静観していたイトロスが驚き、一歩前に出る。ナルキスの目は本気だ。ここで死して構わないというのか。イトロスは手を伸ばし、そしてゆっくりとおろした。ぽつりぽつりと血が滴り落ちる。
「なぜ……、止めたのですか」
「黙れ」
「あなたはっ……!」
「黙れと言っている!」
「……クラスト。いえ、クラトラスト様。私はアデルポルを討ち、異世界人を葬ります。決行は20日後。その間にアデルポルの配下とアルブムの者らを倒すための兵を集めて参ります。もし、貴方がもう一度王となる決意をして頂けるのなら、アギオスの森へとお越しください。私は、貴方を待っております」
ナルキスは立ち上がり、部屋を出た。目的地は決まっている。エルバー領だ。
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