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第3話
真夜中。
紘はふと目が覚めた。
あんなに早く寝るからだよなぁ…と心中でぼやいて寝返りをうつ。
窓の外がボヤッと滲んで、雲に霞んだ月明かりが部屋に入り込んでいた。
「気味悪いなぁ…」
そう呟いて、再び目を瞑る。
もう一度うとうとし始めた時、部屋のドアが開く音がした。紘は咄嗟に起き上がり
「誰ですか…?何かよ…っぐっ」
起き上がった紘の体の上に何かが飛び乗ってきて、再びベッドへ戻されたが、その何者かは襟首を掴んでまた引き上げようとしてきた。
ハァハァと生臭い息が紘の鼻孔を撫で、まるでキスをしたいかのように近づいてくる顔を必死で押さえつける。
『何?俺襲われてんの?男だぞ〜』
最初はそう思った。だから上に乗ってきたものを、渾身の力で振り払う。
ベッドの下に落とされたものは、すぐに体勢を整え立膝に座るとその顔が月明かりに照らされた。
「え…イゴール…さん?」
立膝に座ったイゴールは、立ち上がってベッドの脇に立っている。
「チヲヨコセ…オマエノチガホシイ…ヨコセ…チ…ヲヨコセ」
先ほどの端正な顔とは違い、目が血走りあろうことか口元には牙が2本見て取れた。
イゴールは紘の髪を強引に掴んできて、その手を横へ引っ張り紘の首筋を露わにする。
『吸血鬼⁉︎』
自分が長年研究してきて、その魔物を調べたいと思ってやってきた旅行だった。 念願の吸血鬼が目の前にいる。いるが自分が吸血の対象になるとは想定外である。
「や…めろ…っ」
必死に抵抗はするが、髪を掴まれてはどうにも逃げられない。その間にもイゴールは舌なめずりをして首を狙っている。
そしてイゴールが首筋に噛みつこうと顔を寄せてきた瞬間に、紘は癖で枕元へ置いていたスマホで思い切りイゴールの目を狙い振り下ろした。
「グアアアアアッ」
と悲鳴をあげて、イゴールはベッド脇から後退る。
その隙をついて紘は部屋を飛び出した。
「丈を探さなきゃ。丈は無事か」
そう言いながら、よくわからない廊下を走り出した。
紘が出た後、イゴールは目を傷つけられた身体で後を追おうとドアまで来たが、その身体は後ろから掴まれた首ごと宙に浮き上がる。
「早まったことをしおって…馬鹿者が…」
暗闇でさえなお映える金髪を逆撫でて、エルセイウが片手でイゴールを掲げていた。
「私達を出し抜こうとはいい度胸だな」
微笑みさえ浮かべて、エルセイウは首を掴む指に力をこめる。
「お…ゆるしくださ…いゆるし…て」
「なんでもない客人ならば、お前たちも我慢ができなかったんだなで済まされるんだがな…紘 はダメだ。お前の罪は重い。しかも計画が丸潰れだ。謝ったくらいで済むと思うな」
「ゆるして…くださ…いゆるし…ぐうっあっ」
エルセイウがイゴールを掴んでいた指は、そのまま握り込まれていた。イゴールは人形のように床へ落ちたが、文字通り首の皮一枚状態でもまだ生きている。
「お許し…くださ…」
「お前なら再生くらい…ああ、無理なんだったな」
ふんっと蔑むような一瞥をくれて、誰にともなく
「そいつを片付けておけ」
と声をかけ、掴んでいた腕を一瞬振ってその血を振り払い、エルセイウは紘が走って行った方へ足を向けた。
『丈の部屋は…丈の部屋はどこだ』
頻繁に後ろを気にしながら、紘は一つ一つの部屋を開けてゆく
「丈!どこだっ返事をしろ!」
走りながら紘は叫んだ。イゴールが吸血鬼ならば、あの3人も言わずもがなだ。
「じょうっ」
次第に追い詰められてゆく感情を押さえ込みながら、紘は辛抱強く部屋を探る。
「どうしたんだい?ヒイロ」
二つ先の部屋の前にバレンティンが腕を組んでドアに寄りかかっていた。
紘は足を止めてバレンティンを牽制する。
「何をそんなに慌ててるのさ。ジョウの部屋なら、その角を曲がって、三つ目の角を左に曲がったらすぐに右にいってバルコニーを越えた右の最奥だよ」
揶揄うような笑みが、バレンティンの顔に浮かんでいる。
「行ってみるといいよ…行けたらね」
廊下にまで敷かれたカーペットの上を、音もなくバレンティンが近づいてきた。
「寄るな…丈はどこだ。言えよ」
「だからさっき教えてあげたじゃないか。その角を…」
「ふざけるなっ!」
寄ってくるバレンティンに後退りして、ドアに背中をつける。
「うちの僕 が失礼なことをしたみたいだね…悪かったよ」
紘の前に立って、にこりと笑う。イフリムもそうだがこいつらの笑みは本当に綺麗だ。魔物ってこうやって人間を騙すんだな…と冷静にそんなことを思いメモをしたくなったが、そんな自分の学者肌な体質は今この現状では呪わしい。
「寄るなって言ってんだろ」
「ジョウは安心していいよ。今ちょっと眠ってもらっているだけだからさ」
「丈になにをした!」
「別に何もしてないよ。言った通りだよ」
クスッと笑うバレンティンが勘に触る。
紘は舌打ちをして後ろのドアへ入り込んで鍵をかけた。
「そんなことをしても、僕らに無駄だよ」
バレンティンはドアの前に立って気を集めると、バレンティンの体が揺らぎ、次の瞬間には部屋の中へと吸い込まれていく。
「うああっ」
ドアを通り抜けて現れたバレンティンに、紘は部屋の中央まで下がった。
「もっと時間と手間をかけてじっくりやりたかったんだけど…あの僕 のせいでかなり予定が狂ったよ」
優しい声でバレンティンが近づいてくる。
綺麗なプラチナブロンドが、薄暗闇で輝くようだ。
「まあ…ずっと血を補給していなかったからね。あいつが焦っちゃった気持ちはわからないでもないけど…」
「寄るな…」
震える身体で、近づいてくるバレンティンの歩調に合わせて後退る。
「リムがまた熱を出してるんだ。早く君の血をあげたいんだ。ヒイロ」
目を見つめられ体が竦んだ。
「君の血は、リムにとって特効薬なんだ。だから…」
バレンティンはヒイロの前に立って、その肩をトンと後ろへ押しつける。
「そう怖がることはない」
「ひっ」
押しつけられたのは壁かと思っていたところへ柔らかい感触と共に、降ってきた声。
ヒイロは首を捻って上を見上げた。
「お前を襲ったイゴールは片付けた。もう怖がる必要はない」
体を後ろから腕ごと抱き込まれ、すくんでいた体がより一層緊張する。
「これが証拠だ」
前に回した手をヒイロの目線まで上げて、その手に付着している血痕を提示した。
「…あ…うわあっ」
身を追ってヒイロはしゃがみ込んで、意味のない声をあげる。
「もったいないなエリー…殺しちゃったのかい?」
ヒイロが座り込んでしまったがために、抱き込んでいたエルセイウも前屈みになっていたが、それに構わずエルセイウの血のついた右手だけを取って、バレンティンはその指を咥え、残っている血をぺろりとなめとった。
「僕 って言ったって、その血は貴重なのに」
「消してはいない。まだ生きてるはずだ。配下の誰かがなんとか生き延びさせるだろう」
「そうか。じゃあその血を少しリムにあげてこようかな。血なんて久しぶりだからね。少しは元気が出るでしょ」
『こ…殺したとか…血をやるとか…なんだよ…やめろよそういうの…』
頭が痛くなってきた。この現状を理解するには範疇を超えている。
「この場はエリー、君に譲るとしよう。ヒイロの血、待ってるからね。
イゴールなんかのとは格が違うんだから」
「解っている」
エルセイウの返事を聞いて、バレンティンは満足そうに消えていった。
「立てないか?」
上から覗き込んで、エルセイウが問いてくる。
ヒイロはガクガクと震えるだけで、彼の問いに堪えられない。
「怖いか…」
怖くないわけ無いだろうっ!と思ってみても声すら出なかった。
「殺したりはしないから安心しろ。お前には大事な使命がある。それを遂行してくれさえすれば絶対に死ぬことはない…」
クイッと上を向かされてヒイロを覗き込むエルセイウと目が合う。
とっさにやばいっと思って目を逸らしたが、その後に来たものは金縛りではなくエルセイウの唇だった。
自分の唇にそれを感じて、ヒイロは今度は驚いて目をぱっちりと見開く。
「んんんんんんーっ」
焦る声がくぐもって響いた。
ようやく唇が離れた時には、何故だか体の緊張が緩んだように感じる。
「これが…俺がここで行うおれの使命なのか…?」
動くようになった唇でそう言いながら。まだこれだけのことが言い返せる自分にヒイロは少し安堵した。
「まさか」
フッと微笑んで、エルセイウはヒイロを引きずりあげる。
「お前はイフリムのために生きるのが使命だ」
抱きしめるようにして、首筋に一つキスをした。その行為にヒイロの体がびくっと震えるのに苦笑して、エルセイウはわざともう一度キスをした。
「安心しろ。まだ血は吸わん。お前はリムのものだからな。リムがお前の血を吸わない限り、他の誰もお前には手を出さない」
エルセイウの勝手な言い分に、ヒイロは大き聞くため息をつくと
「何だよ。勝手に人を他人 の者にすんなよ。俺は…俺だ」
と、かなり精彩を欠いた声で呟く。
「リムのことを詳しく知りたいか?」
ヒイロの耳元で囁くエルセイウに、まるで恋人同士が抱(いだ)き合っているような気になって、ヒイロは身動 ぎをしてエルセイウを離そうとした。
そんなヒイロの身体をもう少し強く抱きしめると、
「ゆっくり教えてやる」
そう言ってもう一度唇を合わせた。
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