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クソみてえな気分の中、自分の腹の音が虚しく響いた。
腹は減ってるし、全身の気だるさも抜けていない。そもそもこの環境が悪すぎるせいで全身の疲れが取れていないのだろう。
徳永のやつはまだ来てないのだろうか。
そもそも今が何時か、時計も窓もないこの部屋では判らないが、腹時計からするにいい時間ではあるはずだ。
なんて思っていると、噂をすればなんとやら。
地上の方から扉が開く音が聞こえてくる。
――現れたのは徳永だった。
「徳永」
そう身体を起こせば、どこか疲れたような顔をした徳永が食事を載せたトレーを手に降りてきた。
「近江屋君……昨日大丈夫――じゃなさそうだな」
「ああ、馬場のやつにボロカス言われてすげームカついた」
「本当にごめん。俺のせいだ。……君の食事用意してもらおうとしてたところに馬場がやってきて」
なるほど、そういうことか。
徳永徳永言っていたのでそんなことだろうとは思ったが、そのせいで空腹に見舞われたのだと思うとやはりあの男許せない。
「俺は別にいいけどよ、お前は大丈夫かよ。すげー疲れてるけど、顔」
「ああ、まあ、大丈夫だよ。それに、どうせバレたんだからこれからは隠さなくてもいいことになったし」
「……お前、結構大胆だな」
しかも開き直るタイプか。
目の前までやってきて、そのまま近くの段箱をテーブル代わりにトレーを乗せる。
徳永が目の前までやってきてからようやくばつが悪かった。イカ臭くない、わけがないだろう。バレないように、不自然に思われないように振る舞おうとすればするほどどんな状態が自然だったのか自分でもわからなくなるのだ。
「ほら、それよりもお腹減っただろ? おやつもつけてもらったから」
「おー……うまそう」
「うん。じゃあ食べさせるよ」
「……あ、待った。俺、先に飲み物がほしい」
「ああ、じゃあこれ。ストローもらってきたから、これだったら飲みやすいだろ?」
「ん……」
なんか本当に子供扱いされてるようで癪ではあるが、背に腹は変えられない。俺は徳永に差し出されたグラスに突き刺さるストローを咥える。その中に入った水を吸い上げる間、こちらを見下ろしてくる徳永の視線がなんとなく気になったが無視した。
それからは、例のごとく徳永に食事を手伝ってもらうことになった。
今回はおにぎりだけではない、おかずにスープ、しかもデザートまである。さっきから見てるだけで腹が減って仕方なかった。
――なによりも肉、肉が食える。
「徳永、俺そのカツ食いたい」
「はいはい、これね。……はい、近江屋君」
「んあ……んぐ」
「美味しい?」
「……美味い」
「そりゃよかった。管理人さんたちに感謝だな」
「――ああ」
世の中馬場みてーなやつらばっかだったら、流石に俺も参っていただろう。
しかし、今回はおかしいのは馬場だけで、他の奴らはちゃんと常識と倫理観が備わってるだけありがたい。
「……徳永、まだ上は吹雪なのか?」
「ああ、みたいだよ。天気予報も見れないからどれくらい続くか分からないし、……」
「――なあ、今ってあれからどれくらい経ったんだ」
ずっと気になっていたが、なかなかタイミングが掴めずに気になっていたことを口にする。
『あれから』という言葉に、徳永もいつからか指してるのか分かったようだ。
「ああそうか、ここは時計ないからわからないよな。……君が捕まったのは今朝で、今は夜――あと少しで一日経過するくらいだよ」
「……え」
正直俺はこの時点で言葉を失った。まだ一日も経ってなかったのかよ。
「もう二日三日経ってるもんかと思ってた」
「……まあ、色々あったからね。いくら冬とは言え、流石に何日もここから出られないのは困るしな」
「……なあ、あいつらの死体ってどうなった?」
「大丈夫だよ。ちゃんと傷まないように別の部屋に運んで保管してる。――本当は早く弔ってやりたいんだけどな」
「……そっか、ありがとな」
あのまま久古が放置されていたら、と思ったが、徳永の言葉を聞いて安心した。
まだ一日も経っていないからは分からないが、あいつがもういうないという実感は少しだけ沸いてきた。
「……」
「近江屋君……」
「なあ、徳永」
「ん?」
「――久古に会わせてほしいって言ったら、お前困るか?」
徳永の目がこちらを向く。
驚いたような、それでも咎めるよりも憐れむようなそんな顔だった。
「いや、止める権利は俺にはないよ。君たちは一緒に旅行するほどの仲だったんだろ? それに、近江屋君はあれからすぐにここに連れてこられてろくに顔も見れなかったんだ。……けど」
「けど、なんだよ」
「……辛くないか?」
それはシンプルな質問だった。
「会えない方が辛い」
少なくとも経った一日でこのザマだ。
あいつを殺された怒りを忘れたくなかったというの大きい。それ以上に、あのときはろくに顔も見れなかった。
せめて、最期くらい会いたかった。
そんな風に思う自分が正しいのかもわからないが、徳永は「わかった」とだけ口にした。
「このあとなら皆寝る時間だろうし、連れ出せると思う。――先に皆の様子見て、また準備して来るよ」
「……いいのか? 見つかったらお前まで共犯、なんて言われるんじゃないのか?」
自分から頼み込んだとは言え、やはりそのことが気がかりだった。
そう尋ねれば、徳永は「もうそれ、言われた」と笑った。その笑みはなんとなくぎこちなかった。
それから、一度徳永は地下を出た。
そして暫くして戻ってきた。「今なら大丈夫そうだ」と迎えに来てくれた徳永は、そのまま出ていこうとした俺に「ああ、ちょっと待って」と声をかけてくる。
「もし他の人に見つかったときその格好がまずいから、一応これ」
「……? なんだ、それ」
「ハサミだよ」
「そりゃ見たら分かるっての。なんでそんなもの……」
そう言いかけた矢先だった、「後ろ向いて」と徳永に言われ、言われるがまま徳永に背中を向けた。瞬間、ずっと縛れていた手首が自由になる。
「お、お前……これ、いいのかよ」
「多分だめだけど、そもそも連れ出すこと自体本当は駄目なんだから一緒だろ」
「……」
「それに、もし見つかったとき近江屋君が縛られたままだと危ないし――最悪、帰ってきたときまた俺が縛り直したら同じだろ」
……そういう問題なのか。
俺としちゃあ願ったり叶ったりなのだけど、先程のこともあってなかなか思いきるやつだなと驚いた。
「俺がお前を殴って襲うかもしれねえってのに、お前不用心すぎるんじゃねえの?」
「近江屋君はそんな子じゃないよ」
「……なんでそう言い切れるんだよ、まさかまた妹に似てるからとか言わねえよな」
視線で詰れば、徳永は笑って誤魔化した。
「話は後からにしよう。……誰か起きてきたら厄介だし」
なんだか上手く流された気がするが、確かにそれもそうだ。俺は「分かった」とだけ答えた。
そんな俺に徳永は嬉しそうに笑う。
「それじゃあ、一応これも渡しておく」
そう徳永が渡してきたのは俺の着替え一式だ。受け取れば、下着までちゃんと用意してある。
「これ……」
「勝手にで悪いけど、君の荷物から拝借させてもらった。流石に俺の着替えを渡すのも嫌がられそうな気がしたし」
「って、勝手に荷物見たのかよ……」
「ああ、本当に着替えだけだから触ったの。部屋、あのまま開けっ放しになってたからさ」
いくら犯人疑惑かけられている立場とはいえだ、部屋に鍵くらいは掛けとけよ。
流石にムカついたが、まあ盗られて困るようなもんもない。今すぐにでも戸締まりさせたいところだったが、鍵がかかってて変に怪しまれても面倒だ。
ようするに放っておくことしかできない。
俺の疑い晴れたら覚えとけよ、という煮えたぎる思いのまま俺は着慣れた服へ着替えた。
風呂に入れたらもっと最高だったのだろうが、今はワガママ言えない。
それから、徳永と一緒に階段を上がってペンションの一階へと向かう。
一日ぶりとはいえ、ずっと縛られて転がされていたお陰でようやく手足に血が流れていくようだった。
流石に歩き方を忘れるなどということはなかったが、それでも階段を昇るときは何度か徳永に助けられることになる。
――ペンション一階・地下倉庫扉前。
地下と比べ、宿泊スペースになっている通路は暖房が効いていて思わず「あったけえ」と声が漏れた。ハッとし、慌てて口を塞いだが、徳永は「それくらいの声量なら大丈夫だろ」と笑ったあと「こっちだ」と歩き出す。
宿泊客が止まる部屋とは正反対にある、従業員用のスペースから裏口へと回る徳永。
薄暗く明かりすらついていない中、びゅうびゅうと風の漏れるような音がどこからか聞こえてくる。先程までとは打って変わって、裏口の方の通路は肌寒い。下手すりゃ地下より寒いんじゃないかと思えるほどだ。そりゃ徳永も俺に服を着せるわけだ。
窓の外は吹雪で何も見えない。そんな中、徳永は通路を歩いていく。
「ここなら、声を出しても大丈夫だよ」
「風の音がうるせえしな」
「それもあるけど、管理人さんたちの部屋はさっきの通路だから。……こっちの方は滅多に人が来ないんだって」
「……そんなところに死体置いてんのか?」
「まあ、流石に目に見えるところにあるよりかはってなってさ。それに、死体を保存するときは寒いところの方が良いってテレビで言ってたし」
「……冷凍食品じゃねーんだぞ」
「生物には違いないだろ」
ジョークのつもりなのか、全然笑えない。
徳永を睨めば、本人もまずいと思ったらしい。小さく咳払いをする。
それから少し歩いたときだ。徳永が「ここだ」ととある扉を指さそうとし、そして止まった。
「あ? どうした?」
「……明かりが漏れてる」
「あ?」
つられて顔を上げ、再度徳永の視線の先に目を向けた。確かによく見れば扉の僅かな隙間から部屋の中の明かりが漏れていた。
それに気付いた瞬間、ぞくりと背筋が震えた。
誰かいるのか。
咄嗟に徳永の顔を覗き込む。やつもこちらへと目配せをした。
少なくとも、こんな時間に人目を盗むようにこそこそ死体の様子を見に来る奴が俺たち以外にいるのか。
と、そこまで考えて殺人犯が俺達ではない外からの侵入者だという可能性を思い出す。
下手すりゃ犯人と鉢合わせだ。――けど、なにかの手掛かりにもなるかもしれない。
そのまま扉へと向かおうとすれば、慌てた徳永に腕を掴まれる。
「お、近江屋君……?!」
小声で呼びかけてくる徳永に釣られて、俺も「なんだよ」とつい声のボリュームが落ちた。
「いや、なんだよじゃなくて……まさかこのままいくつもりか?」
「当たり前だ、俺は散歩に来たんじゃねーし。久古に会いに来たんだよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「じゃあお前が先に一人で中に入って誰がいるのか確認しろよ。俺がそのまま行ってまずいってんならな」
中にいるのが誰なのかもわからない状況だ。流石に徳永も嫌がるだろうと思って煽ってつもりだったが、徳永は意外なことに「わかったよ」と観念するのだ。
「分かったって……」
「中の様子俺が先に見てくる。それで大丈夫そうだったら近江屋君を呼ぶ。それでいいなだろ」
「……お前、マジで言ってんのか?」
「おいおい、なんで言い出しっぺの君がそんな反応するんだよ」
「だって、もしかしたら殺人犯がいるかもしんねーぞ」
てっきり嫌がると思っていた分余計戸惑っ。
そんな俺の言葉に、徳永は笑った。
「そのときは助けてくれ。そうすればもう君も犯人扱いされずに済むんだからこそこそする必要もなくなるしな」
「……お前って、やっぱ変なやつだな」
「ええ、そうか……?」
そんな会話を最後に、徳永は扉へと向かう。俺も扉の前までは徳永についていき、そして陰に身を隠すように少し離れたところから徳永が扉を開く様子を見守っていた。
ドクンドクンと心拍数が上昇する。寒いのに熱い――あのときと、久古の死体を見つけた時と同じ感覚だ。
これが恐怖なのか、それとも緊張なのか未だに自分でもん分からない。
ゆっくりと、音を立てないようにドアノブに触れた徳永はそのまま掴んだそれを捻った。そして、やつはそのまま数センチ扉を押し開こうとした時だった。
僅かに開いた扉の隙間から突風が吹く。「おわ」と小さく声を漏らした徳永だったが、すぐにドアノブを掴み直してそのまま扉を押し開いた。
開かれた扉から光が漏れる。そして、そのまま部屋の中を見回す徳永はそのまま俺の方へと目を向けた。
――誰もいない。
そう確かに唇は動いた。
まだどこかに隠れている可能性もある、徳永は俺に『こっちへ来い』と言うよりも先にそのまま部屋の奥へと入っていく。
しかしそれも数秒。部屋の中を確認したらしい徳永は再び扉から顔を出した。
「大丈夫だ、中には誰もいない。窓が開いてただけみたいだ」
「明かりも消し忘れて窓も開けっ放しだったってことか?」
「……確かに、おかしいな。一応窓の外も見たが、雪に足跡は残っていなかった」
「……」
なんとなく引っかかったが、一応部屋に誰もいないというのなら大丈夫なのか。
胸の奥がざわつくのを感じながら、俺は徳永の後について死体が安置されてるという部屋に入った。そこにはブルーシートが敷かれていた。そして、その上にはシーツで覆われた人の形のようなものが置かれている。
「久古君のはそっちだよ」と徳永は入って右側のシーツの塊を指差した。
「……ああ」
いざ、こうしてあからさまに死体が並べられているのを見ると来るものがある。
沸かなかった実感が、今込み上げてきていた。
これが久古なのだと突き付けられるとやはり一瞬怖気づいてしまいそうになる自分に喝を入れ、俺はそのまま久古の元に寄る。そして全身を覆うシーツの端を掴み、そっと顔を確認しようとする。
そして、息を飲んだ。
目を瞑った青白い顔がそこにはあった。
「……ッ、……」
「……近江屋君、大丈夫か?」
「あ……ああ、悪い」
死んだ人の顔がこんなに白くなるものと初めて知った。それ以上に、まるで別人のように見えた。久古はいつも俺の隣で笑ってて、だからだろう。こんな生気のない顔を見たとき、違和感がどうしても拭えなかった。
この仏さんが久古だと、心が受け入れることを認めようとしなかったのだ。
久古の顔に触れる。開いた窓から冷気に当てられたからか、その死体は氷のように冷たかった。
「……」
「近江屋君……」
いつの間にかに隣にやってきていた徳永に肩を抱かれる。慰めてるつもりなのか、「いらねえよ」とその腕を振り払えば徳永は「悪い」とうなだれる。
「……なあ、徳永」
「うん?」
「少し一人にしてくれないか」
そう久古の死体を見つめたままぽつりと口に出せば、徳永は「分かった」とだけ頷く。
「俺は外で見張ってる」
「……悪い」
「気にするな、そのために連れてきたんだし」
部屋を出ていく徳永。そしてそのままパタンと扉は閉められた。
徳永が部屋を出ていったのを確認して、俺はそのまま隣の死体のシーツを捲くる。ここには確か馬場と徳永の友人だという高野とかいう男の死体があるはずだ。
そのはずなのに、そこには死体はなかった。
――否、正確には死体の代わりに死体の形を模したように包められ、縛られたシーツの塊がそこに横たわっていたのだ。
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