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第12話 関係者

◇◇◇ 「いらっしゃいませ、ダクレイズの皆様。本日は皆様で貸切のご予約をありがとうございます」 「あー沙枝さん。今日はよろしくお願いします」  予約してくださった向井様は、店に入ると私の目をしっかり見て、弾けるような笑顔で挨拶をしてくださった。  向井様は普段の視線がとてもキツく、黙っていると決して話しかけやすいタイプではない。ただ、いつもこうして笑顔でご挨拶をしていただけるため、スタッフにとても評判の良いお客さまだ。  サトルくんの研究に参加している民間企業のダクレイズは、治療の中核をなす行動療法でのVR技術の提供をしている。ダクレイズの取引先は、主に医療用のシステム開発業者と、コンシューマーゲームの開発業者が多い。その使用用途が個人仕様になるものでのシェアが高いことが特徴の会社だという。  向井様は、そこで研究所と直接打ち合わせをする班のリーダーをされている。    今日はダクレイズがバータイムを貸切にしていて、性犯罪抑止のためのVR制作をしているメンバーが集まっていた。自由な風潮の会社なようで、入ってくる人それぞれが金、銀、赤、青、緑、ピンクとカラフルな頭髪をしていて、服装もテイストがバラバラ、いつもよりやや明るめにしてある店内では、目がチカチカしそうなほどに色味が溢れていた。 ——これは気をつけないと気分が悪くなるかもしれないな……。  私は視覚が刺激され過ぎて嘔吐しないように、色補正の入ったコンタクトをしていた。それでもまだ視覚が刺激される。アクセサリーから飛び込んでくる光が多いことも影響しているのだろう。とにかく、見ているだけで騒がしく思えるほどに、その情報量が多かった。  一見すると治安の悪い場所に紛れ込んだかのように思える。しかし、彼らの仕事は正確で丁寧だと評判がいい。サトルくんの研究に関しても、打ち合わせやデータ収集等での仕事の丁寧さが群を抜いていて、安心感があると言われていた。  小さな会社ながら、リピーターが多く、安定した売り上げを誇っている。  特に向井様はミスやクレームと無縁だと聞いている。野生のカンが働くと言って笑っているのをよく見かけるのだが、おそらくそれは本当なのだろう。  いつも何かしら事件や事故が起きる直前や直後に現れて、悉く難を逃れている。ただし、私は向井様が仕事の話をしているのを聞いたことがほとんど無いので、本当のところはよくわからない。  その向井様が乾杯の音頭をとるようだ。テーブル席の中央に立ち、周囲に手を振って注目するようにアピールしていた。   「えー、佐藤優希さんが治療の最終段階に入られて、我々のシステムもその功績を国から認められそうです。そうなれば、治験対象者を多く募り、そのデータを集めていくことで今あるものよりも細部まで練ったプログラムが組めるようになります。それまでに今日もらった仕様のプロトタイプを納めることになってます。その納期が……思ったよりもすぐやってきそうです。でも、今日は一旦小休止の慰労会兼決起会です!」  優希がプログラムを終えてパートナーを得ていることは、他の治療中の患者に希望を与えた。そのため、VRの精度を上げ、より効果の出やすい環境を整える事が急務とされ、エンジニアたちは連日激務に追われている。今日は、研究所への中間報告が終了した日で、そこからそのままここへと流れてきたらしい。 「とりあえず、方向性は決まりました。これまでの自分を労ってやってください! 週末は休んで、月曜日からまた激務よろしくです! かんぱーい」 「かんぱーい!」 「お疲れ様でーす!」 「でも激務もういいっす! もう無理っす!」 「俺もやですー」  エンジニア集団の中でも古参の向井さんが乾杯の音頭を取ると、若手集団から乾杯の掛け声と共に不満が飛び交った。彼の世代はこれまで残業をしてでも最速最短での成果を求められ、それに応えてきた世代だ。そういう時代を生きてきた身としては、これくらいで不満を言うなんて信じられないと思っているだろう。実際に向井さんは「え? まだやれるでしょ?」と驚いている。  しかし、今は時代が違う。以前、向井様はここのカウンターで頭を抱えていたことが有った。 「今の若い人たちって無理はさせないようにしないと、すぐ辞めちゃうんだよね。本当にすぐ辞めちゃう」  入ってきたばかりの人に、仕事のイロハどころか人としての常識から教えないといけないようなことが増え、そこからようやく仕事のイを教えたところで「辞めます」と言われるという。その度に心労が溜まり、捌け口も無く、どんどん心が荒んでいくんだとこぼしていた。  それでもここにいる方々は、どちらかといえばやる気に溢れている方だし、自分が必要だと思えば進んで残業したりもするのだろう。ただ、その場合は限界を超えても頑張ろうとしすぎるきらいがあるようで、そのあたりの調整はリーダーの腕の見せ所だと息巻いていた。  どう声をかければうまく動けるのかを、今日のような機会で見つけていかなくてはならない。調整する人間にとっては、こういう日は市場調査のようなものでもある。   「そもそも、今は決起会もやることが殆どなく、うまくやっていくための情報が手に入りにくい。うっかり話しかけようもんなら、パワハラだモラハラだ言われてしまう。その匙加減を知るためにも相手の許容範囲を把握することが重要なのに、その機会が少ない。リーダーや主任等の下っ端管理職は、本当に苦労する時代だよ」  あの日の向井様の愚痴が今にも聞こえてきそうだと思い、沙枝は息を吐いた。  エンジニアたちはその後は特に揉めることもなく、淡々とビールやカクテルを飲みながら、穏やかに談笑していた。  グラスを拭いていると、目の端にチカチカと光の点滅が映る。頼まれていた時間が来たようだと思い、向井様の元へと急いだ。  若手の集団に囲まれて、珍しく向井様は昔のパワハラ話に花を咲かせていた。当時は胃がちぎれそうなほどに苦しんだことも、今となっては笑い話なのだろう。とても楽しそうに話して聞かせている。その話の腰を折るのは忍びないのだが、そうするように事前にお願いされていたため、仕方なく向井様の肩をトントンと優しく叩いて声をかけた。 「お話中に失礼いたします。向井様、お声かけするようにご要望いただいていたお時間になりました」  沙枝は、貸切の予約を受けた時に、向井からこの依頼を受けていた。 「健康管理のため、定期的に投薬をしなければならないんだ。二十二時になったら教えてくれないか?」  バーで飲む事が出来るのに、時間で区切られた健康管理が必要なのだろうかと不思議に思ったのだが、そこは立ち入ってはいけないことだろうと思い、事前には聞いてはいなかった。  ただ、向井様が身につけているアクセサリーには見覚えがある。ピアス、リング、アンクレット。その全てが、優希くんと同じものだ。  優希くんは、弟の葵の幼馴染だ。つまり、私も昔から優希くんを知っている。五年前、優希くんが葵に病気の告白をしたことも、この三つのアクセサリーの意味も、知っている。以前このお店を始める時に、三人が直接私に説明してくれたのだから、間違えようも無い。  向井様は私がその存在の意味を知っているとは思われないだろう。私と優希くんが知り合いだと言うことを知らなければ、想像もつかないはずだ。  しかし、本来このことは関係者しか知り得ない話なので、私は知らないふりを決め込んだ。 「あー、もうそんな時間か。ありがとう沙枝さん」  そう言うと、徐に左耳のピアスをグッと押した。  ゲージの大きいピアスをしているのかと思ったら、中に液体の入ったケースがあるようだ。その中身がだんだん赤く染まっていく。その色が変化するにつれ、ピアスが発光しているのがわかった。  そして、ピッと小さな音がしたかと思うと、今度は右耳のピアスをカチッと音がするまで挟み込んだ。右耳の液体は、色が変わらない。左は明らかに血の色に染まっていたが、右からは、血は出ないようだ。  その作業を終えた後、向井はしばらく黙って椅子に座っていた。そして、足元の一点を見据えて微動だにしなくなった。  あまりに動かない向井が少し心配になり、控えめに声をかけて様子を伺った。 「向井様、ご気分が優れませんか?」  私の声が耳に届いたのか、向井様はすっと顔を上げた。心なしか、先ほどよりも顔つきが穏やかになっている。 「いや、大丈夫。ありがとう。ちょっとお手洗いに行ってくるよ」  沙枝はほっとして、営業用の笑顔を貼り付けて見送った。  体調が悪いわけではなさそうなので、それ以上の追求はしなかった。そして、その後すぐに会はお開きとなり、貸切は解除された。  会計用の計算をしている時に、目の前に影ができた。そこには黒縁メガネをかけた背の高い青年が立っていた。 「あの」  その男性は、私に向かって話しかけるタイミングを待っていたようで、私が微笑みかけると待っていましたと言わんばかりに話し始めた。 「あの、向井さん酔って帰っちゃったそうなんで、支払いは僕がやっておきます」  新人だというその青年は、向井から預かったという封筒を差し出した。 「左様でございますか。処理はもうすぐ終わりますので、少々お待ちくださいね」  沙枝は計算を終えてレシートを印字すると、その封筒から料金を徴収した。そしてお釣りと領収書をその青年に渡し、とびきりの営業スマイルで送り出した。 「ありがとうございました。またお越しくださいませ。そして、向井様にもそのようにお伝えください」  私はまた来たくなるように、目の前の青年が好きそうな妖艶な笑顔を作って貼り付けた。  新人くんは狙い通り見事に撃ち抜かれ、顔を真っ赤にしながら帰って行った。 ◇◇◇ 「いらっしゃいませ」  寝不足で倒れた後、丸一日眠ってゆっくりとした休日を過ごした俺は、一日休んだだけで、完全に復活した。後藤さんも忙しいので、そう何度も店番をお願いするわけにもいかない。  実際、今朝「今日は俺が行けます」とビデオ通話で話すと、「おーよかった。打ち合わせ前の時間が詰まり過ぎててちょっときつかったんだわ」と言いながら笑っていた。  後藤さんは笑っていたけれど、俺にはその目の下にクマがあることも、疲労の影がこびりついていることもわかってしまった。俺に心配をかけまいとしてくれている気持ちが嬉しい。 「忙しいのにありがとうございました。今日からまた通常運転で行けますんで」  そう言うと、後藤さんは穏やかに微笑んで「無理すんなよ」と言ってくれた。近くにいたらきっと優しく抱きしめてくれたのだろう。  後藤さんはいつも大きくてあたたかい。不安になって小さくなる気持ちも、すぐに察知して心も体もゆるゆるとほぐしていってくれる。  オールソーツはずっと前からスタッフの増員を考えてくれている。本来ならここにもう一人のスタッフを入れることはあまり痛手ではないはずだ。それでもそれが叶わない理由があるとするなら、おそらく俺の給料が高いことが原因だ。  後藤さんはリョウを育てている俺のために、雇われ店長としては割に合っていないであろう高給を与えてくれている。正直気後れしてしまうので下げてもらってもいいのだが、そこはリョウのためだと思って一生懸命割り切ろうとしている。  今足りていても、いずれ足りなくなる可能性だってある。マンションでの所得があるものの、これから先の俺の人生にだって何が起こるかはわからない。リョウが成人するまでは、たとえ俺が病気で倒れたとしても、生活の保障をしていってあげたい。  小さい頃に孤独を味わってしまった分、少しでも視野を広げて、少しでも楽しく幸せだと思える人生を過ごして行ってほしい。  どんなに辛いことがあっても腐らずに頑張っているリョウに、選択肢をたくさん持てるような可能性のある未来を用意してあげたい。  そのために大人の俺がしてあげられることは、最大限してあげたいと思っている。  ふと窓の外を見ると、桜の花びらが舞っていた。近くの幼稚園にある桜はもう満開だと聞いた。リョウとミドリの学校の桜もかなり咲いているらしい。卒業式までは持ちそうだけれど、次に入学する生徒たちは見れないかもしれないとミドリが言っていたのを思い出した。 「リョウ、卒業式の時にはイヤーマフするか? するなら学校に説明しておくぞ」  リョウはしばらく考え込んでいたが、ふるふると首を振ると答えた。 「いえ、しません。傷だらけだけど、どうせもう殆どのクラスメイトにこれから会うことはありませんから。見られても、特に説明しないで過ごせます」  裂けていた耳朶は、サトルがキレイに縫ってくれたので、縫いあとがうっすら見える程度だ。腫れも随分引いてきた。それでもこれまでのリョウの耳を知っている人には、若干の違和感が残る。  リョウ曰く、学校のクラスメイトや先生は、そこまで自分に興味を持っていないから、気づかないだろうとのことだ。俺はそれを聞いてかなり驚いた。今時の人間関係はそんなものなのだろうか。 「そうか。信じられないな。俺なら気づきそうなもんだけど」  そう言いながら、俺はリョウの耳朶を指で擦った。触っても、もう痛みはないらしい。リョウは大きな声で笑いながら、「やめて下さいよ。くすぐったくて、なんかヤダ」と、身を翻して逃げて行った。運動少年はすばしっこく、その姿を見ていると俺の中のいたずら心に火がついた。  俺はふざけてリョウをバックヤードまで追いかけて行った。 「なんだあ。触るなって? それが親代わりに対する口の利き方かー?」  まるで小学生のように、二人でギャーギャーと戯れあった。ここ数日間の緊張状態が嘘のように、あたたかくて平和な昼下がりだった。その空気に引き寄せられたかのように、ふわっと柔らかい雰囲気を湛えたお客様がやってきた。カランカランと乾いた玄関ベルの音が、軽い空気に紛れてその到着を知らせる。 「こんにちは。お久しぶりです」  艶のある漆黒のウエーブヘアを揺らす女性客は、両耳にリョウやミドリと同じピアスが光っていた。ただ、彼女のピアスはルビーのように真っ赤で、その色味には透明感がある。  サトル曰く、この装置を持っている人は限られているのだが、取り違いが発生しないように擬似宝石部分の色分けがされているのだそうだ。  そして、ルビー色の彼女のピアスは、スイッチ発動と同時に加害側が昏倒するほどに強い麻酔が使われる。そこには、深いワケがあった。 「いらっしゃいませ、美咲さん。本当にお久しぶりですね。今日はお一人ですか?」  俺は美咲さんが一人で出歩いていることに驚いていた。 「はい。最近は結構一人で出歩いてます。明るいうちなら、随分長い時間出かけていても平気になって来ましたよ」 「……このあたりに来ても大丈夫になったんですね。良かったですね」  感慨深い思いがあった。  美咲さんは十年前、この付近を歩いていたときに男に連れ去られたことがある。当時十歳で、相手はペドフィリアだった。  連れ去りが発生する前からストーキングされていて、心配した両親がアンクレットタイプのGPSをつけさせていたためにすぐに見つけることが出来た。  加害側の男は優希と同じピアスをしていた人間だったため、現地に到着するより早く遠隔で気絶させることに成功した。そして、その時以来、美咲さんは護身用のピアスをして自衛するようになった。 「リョウくんも、お久しぶりだね。ミドリちゃんは元気にしてる?」  リョウとミドリは、三日前に部屋に行った時以来、顔を合わせていない。リョウは学校を休んでいたけれど、ミドリは学校に行っていた。学校から帰って来てからも、リョウに会うよりも先にどこかへと出かけて行っていた。  ただ、二人はメッセージのやり取りだけはしているらしい。そして、今日はこれから店に出てくると聞いている。 「元気だと思います。三日くらい会ってないんですけど」  リョウにとっては、三日はものすごく長い。今までこんなに離れていたことは、おそらく無かったはずだ。  当たり前にあった接触がなくなったことで、ミドリに対する思いがどんなものであったのかを痛烈に自覚してしまったらしい。  昨夜珍しく恋愛相談をされた。同居したのが十歳からで、俺はなるべく親としてと言うよりは面倒を見ている知り合いの兄ちゃんとしてのスタンスを崩さないようにしてきた。だから、恋愛相談も普通の親子よりはしやすいのだろうか。  心のうちを見せてくれるのは、なんであっても嬉しい。そう思ってリョウの顔を見ると、何を考えているのか、頬が赤く染まっていた。 「お前なんかやらしいこと考えてる? 顔赤いんだけど」  ニヤニヤ笑いながら問いかけると、俺の肩を拳で軽く小突きながらリョウは美咲さんをチラリと見た。美咲さんは、誘拐の恐怖から恋愛の話をすることも怖がるようになっていた。  でも、今の彼女は楽しそうにケラケラと笑っている。 ——そうか、もうこういう話をしても大丈夫なくらいには回復してるんだ。  そう思うと、なんだか親のような気分になった。安心して暮らせることが子供への一番の願いだ。怖いものは少ない方がいいに決まっている。 「あ、美咲さん、そこ座ってね。何にしますか?」  カウンター席を促しながら、俺はメニューを指した。美咲は目をキラキラと輝かせながら、コーヒーの名前を追いかけている。 「私、最近やっとコーヒーの美味しさがわかるようになったんですよ。これまでずっと苦いだけだったけど」 「おお、それは良かった。でも甘い方が好きでしょ? それともブレンド飲みながらスイーツにする? 今日は、季節のスイーツにタルトタタンもあるよ」  店の中は、りんごの甘酸っぱい匂いと焼き菓子特有の香ばしさでいっぱいだ。美咲さんは鼻をすんすんと鳴らすと、「ブレンドとタルトタタンでお願いします」と微笑んだ。 「かしこまりましたー」  オーダーをチェックしながら美咲さんへ笑顔をお返しして、ブレンドの準備にかかる。 「あ、リョウ、後でまた焼くからさ、タルト生地の数量確認しといて。足りなかったら解凍もしておいてくれ」   俺が残数チェックをしながら指示をすると、リョウは「はい」とバックヤードへ消えていった。  ローストした豆を計量していると、美咲さんが「あの」と声を潜めて尋ねてきた。 「はい? どうかしました?」 「あの……ちょっと訊いてもいいですか?」 「うん。どうした?」 「あの……私の従兄弟って、最近ここにきましたか?」

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