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第14話 守るために
「よお、葵。なんか倒れてたらしいな。もう大丈夫なのか?」
サトルは開口一番、俺の体調を心配して声をかけてきた。サトルといい優希といい、俺の周りの人間はどいつもこいつも自分のことを後回しにして、人のことばかり考えている。昔からずっとそうだけれど、ここまでなのかと少々呆れてしまった。
「いやいや、刺されて死にかけた人よりは元気だよ、間違いなく」
俺がそう言うと「そりゃそうだ」と小さく笑う。その声には、ほんの少しだけだが隠しきれていない疲労の色が滲み出ていた。
サトルは、普通ならまだ転院などできるような状態ではなかったらしい。何か特別な理由があってそれを強行したとしか思えなかった。
「お前は? まだ全然良くなってないのに転院強行したんだろ? そのせいで悪くなったりしてないか?」
「なんだ? やけに優しいじゃないか。まあ、間違いなく大丈夫ではないが、心配するようなことも無い」
サトルがふっと息を吐いて微笑んでいる姿が目に浮かんだ。声や話し方から察するに、本当に心配はいらないのだろう。ほっと胸を撫で下ろしつつ、本題に入ることにした。
「なあサトル、今優希と話せるか? ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」
サトルは途端に「ああ、そうだな……」と歯切れの悪いものの言い方をし始めた。
「なんだよ? 何かあったのか?」
俺が訝しんで尋ねると、サトルはそれでもどう答えたら良いものかと思案しているような回答をする。
「いや、今眠ってるんだ。だからちょっと無理だな」
サトルが俺にはっきり話そうとしないということは、いくら聞いても答えないだろうということだけはわかる。優希と直接話すことは一旦保留にして、内容の確認だけをすることにした。
「ふーん……了解。じゃあ、サトルはあの優希が警察に電話した件は聞いてるか?」
するとサトルはいつものようにはっきりと答えてくれるようになった。やはり、優希の状態を電話で確認されるのだけがダメだということだろう。それについては話せるようになったら話してもらえればいい。
「ああ、聞いてる。あの件について聞きたいのか?」
「そうだ」と答える俺の方を見て、美咲さんの顔に緊張の色が濃くなった。
「優希にメールを送ってきた人が、殺されるかもしれないって言ってたって本当なのか?」
「そうだ。そうとれる内容だった」
俺は嫌な予感がして、視線を美咲さんから動かせなくなった。美咲さんも俺をじっと見たまま目を逸らさない。この先を知りたいようで知りたくないという、矛盾した気持ちが胸の中をぐるぐると駆け回っていた。
おそらく今ここにいる人間は、皆同じことを考えている。そして、それが否定されることを願っている。
「そ、その人の名前は……?」
「高橋だ。そこによく来る、高橋。優希と二人でバータイムに……」
サトルの回答を聞いて、俺と目を合わせていた美咲さんが視界からゆっくりと消えていった。カウンターチェアから滑り落ち、隣の椅子に体をぶつけながらずり落ちていく。
「美咲さん!」
床で頭を打つ直前に、リョウが美咲さんを助け起こしてくれた。美咲さんは、青ざめた顔で目を見開いている。微かに震えながら、口元を押さえていた。
「でも、高橋さんと連絡が取れないだけなんだろう? なんで優希は、高橋さんが殺されたかもしれないなんて確証めいたことを言ってるんだ?」
俺たちは優希を信頼しているから、何か理由があってそう言っているのだろうということはわかっている。でも、優希のことを知らない人がこの話を聞いたら、優希が犯人だから高橋さんが死んだことを知っていると取られる可能性だってあるはずだ。
サトルは苦しそうにふうと一つ息を吐いた。あまり楽しい内容ではないこの話を療養中の人間としなければならないことに、少しの後ろめたさを感じる。それでも、高橋さんの安否確認と優希の潔白を証明してもらうためには、どうしても聞かずにはいられなかった。
「高橋が優希に送ってきたメールに、そう思わせるような内容があったからだ。お前のスマホに転送するから見てみろ」
ピロンっと音がして、メールが送られてきた。そこには、僅かな希望をも打ち砕く、背中がざわつくような文面があった。
『サトルさんが刺された後に逃げる人を見た。その人と話をしてくる。もし俺に何かあったら、警察に連絡してくれ』
美咲さんはその文面を見て、「うそ……」と小さく呟いた。探していた従兄弟が殺されたかもしれないと言う不安が、殺されたのだろうという確信に変わる。否定するための要素が圧倒的に足りなかった。
「正人さん、誰かに殺されたってことですか? なんで? どうして彼を殺す必要があるの?」
「どうして」と呟き続け、力無くその場にしゃがみ込んでしまった。リョウとミドリに頼んで、美咲さんをバックヤードの奥にある休憩室に連れて行ってもらう。
「しばらく一緒にいてあげてくれ」
二人にそう声をかけると、無言のまま頷いてくれた。休憩室のドアが閉まるのを確認しながら、俺はサトルに「一つ腑に落ちないことがあるんだけど」と問いかけた。
「普通さあ、この文面を見たら警察ってもっと早く動くもんじゃないのか?」
すると、サトルは大きくため息をついた。その深さに俺は驚いた。サトルはあまり負の感情を表すことがない。俺と同じで、常に淡々としているイメージがある。そのサトルが、苦々しげにしている姿を見るのは極めて珍しい事だった。
「優希が受けている治療には色々制約事項があって、まず最初に自分が危険な人物であるということを認めてもらわなければならないんだ。それが出来ない人には、治験段階での参加はさせないことになってる。そのわかりやすい指標として、犯罪者予備軍リストに自ら登録してもらうことになってるんだ。その事はお前も知っているだろう? 問題なのは、そのリストに名前が載っている人間、もしくは過去に載っていた人間の言うことは、慎重に裏取りをしてからしか信用してもらえないんだよ。だから警察の捜査が始まるのが遅れている。つまり、今回は完全に治療の慎重さが裏目に出た感じだな」
「そっか……そういうことなのか……」
優希がこのメッセージを受け取ったのは、三日前の午前中だ。つまり、高橋さんは三日前の午前中まではいつも通りに過ごしていたことになる。
もし、このメッセージを見てすぐに警察が動いていたら、高橋さんは無事だったかもしれない。
しかし、これは治療のために必要な処措置であったのだから、誰が悪いとも言い切れない。それに、まだ高橋さんがどうなったのかは、はっきりしていない。遺体が見つからない限りは、誰にも確証は持てない。
「可能性はかなり低いんだが、無事であることを祈って探すしかないだろうな。優希のスマホから、高橋の方に『みんなが探している』という連絡は入れてある。それに対しての返事がないのは確認済みだ。会社へも連絡したが、この三日間は出社していない。正直言うと、生きている可能性はかなり低い」
淡々と事実を述べていくサトルの声は、努めて感情を押し殺してるようだった。
高橋さんは本当に毒気のないタイプの人で、話をしに行っていたとしても強請りなどで殺されたという可能性は低いはずだ。
そうなのだとしたら、犯人はかなり残酷な人間かであるか、サイコパスなのだろう。サトルも高橋さんも、逆恨み以外に命を狙われる要素が見当たらない。
そして、もう一つわからないのは、高橋さんを襲った人間とサトルを狙った人間は同一人物なのだろうかということだ。二人と共通の知人がいるとしたら、優希くらいしか思い当たらない。
しかし、優希が二人を狙う理由は無い。二人がいなくなれば、最も困るのは優希だからだ。
「サトル、もし高橋さんが会いにいった人がお前を刺したんだとして、思い当たる人はいるのか? お前と高橋さんの共通の知人なんて優希くらいだろう? 犯人が優希では無いことくらいは、俺にもわかる。ただ、高橋さんも、被害者の会の関係者ではあるよな……」
美咲さんが被害者なので、高橋さんは被害者の従兄弟という立場になる。でも、高橋さんが美咲さんのためにサトルを刺すようなことは、その人柄を抜きにしてもあり得ない。
サトルは優希の最愛の人だ。高橋さんが、大切な友人の最愛の人を傷つけると考えること自体が、不自然極まりない。
「犯人像としては、被害者の会の人間で、高橋とも知り合いの中年女性ということになるんだろうな。それとも、ペドフィリア関連以外の、他の接点があるヤツなのか……そうなるともう俺には見当もつかなくなる。とにかく先ずは高橋を探すべきだろう」
三日前に高橋さんが会った人物は誰なのか、それを特定するために必要な情報は何なのか。全く先は見えないが、とにかく優希の考えも訊いておきたい。
「ところでサトル、優希はまだ眠ってるのか?」
あえてもう一度この質問をぶつけてみた。サトルは俺の問いに何かを諦めたようなため息をついた。そして、徐にテレビ通話に切り替えると、眠っている優希の横顔を映した。
優希はぐっすりと深く眠っているようだ。その右頬に、うっすらとアザが見える。白い肌の中に、赤紫色の花が咲いているようだった。
「右頬を下にして倒れていたからか、そのアザは」
サトルに尋ねると、サトルは「そうだ」と頷いた。
「どうも手をつく暇もなく顔からソファに落ちたようなんだ。足から注入された麻酔の量が、規定より多くなっていた。それが装置の故障というよりは……」
「まさか……誰かが意図的に変更していた可能性があるのか?」
俺は息を呑んだ。なぜそこまでして優希を狙うのだろうか。それに、やけに治療内容について詳しい気がする。そしてその変更の手を加えることができる人間など、限られている。それを考えなければならないことが恐ろしかった。
「なあ、高橋さんを狙ったやつは全く検討がつかないけれど、優希を狙っているやつって……」
うんざりしたようにため息をつきながら、サトルは答えた。不快極まりないと言いたげに目をとじ、何度も首を縦に揺すっている。眉根に寄った皺の深さが、その苛立ちを表していた。
「そうだ。研究所の人間である可能性が高い。というよりは、研究所に関わる人間にしか出来ないことばかりされている」
「そんな……! でも、そうか。だからお前はそんな状態なのにそっちに移ったんだな。自分で優希を守るために」
俺の問いかけに、サトルは頷いた。そして、僅かに疲れた表情を見せ、がっくりと項垂れていた。
——研究所の人間が怪しいなら、周りは全て敵だと思わないといけないのか……。
研究所内で優希の命が狙われる可能性が高いと思い、まだ傷が癒えないにも拘らず転院を強行した。俺やリョウは研究所内には入れない。サトルが守るしか無かったのだろう。
孤立無援状態のサトルを不憫に思い、その虚しさを思うことしか出来ない自分の無力さに胃がチクリと傷んだ。
「世理ー! 向井さんとの打ち合わせの時間だぞ……あ、市木さん。この間はどうも」
俺たちがしんみりしていると、画面の奥側からひょっこりと有木さんが現れた。画面越しに俺に向かって「よっ」と手を振って挨拶をしてきた。俺も軽く手をあげて応える。
サトルもどうやら有木さんだけは疑っていないようで、警戒が緩んだ。俺には何もしてやれないから、今はその存在が有り難い。
「リョウくんの耳はどうなった?」
彼はずっとリョウの耳を気にしてくれているとサトルから聞いていた。あの日にも感じたが、このチームは子供への思いやりに溢れている。
特に有木さんは、抑止力強化チームで開発した装置のうち、VR以外の全てに設計段階から関わっているほど、この仕事に力を入れてきた。それほどこの病気による被害者を減らしたいと思っている人だ。
それなのに自分の研究が結果的に子供を傷つけてしまった。その事実に、かなり打ちのめされていたらしい。
「傷はサトルが綺麗に縫ってくれました。聞こえの方には、全く問題なかったです。後は見た目が戻るのを待つだけです。それもそんなにひどくはありませんよ。ホラ」
ちょうど休憩室からフロアの方へリョウが戻ってきた。俺はリョウを手招きすると、「有木さんに耳の経過を見せてやれ」と言って、画面に耳が見えやすくなるように近づいてもらった。
「ああ、本当だな。だいぶ良くなってる。良かった。痛みは無いかい?」
「はい、大丈夫です。さすがにケガをした日はかなり痛みましたけど、もう全然平気ですよ」
リョウは、有木さんに向かってニコッと微笑んだ。それを後ろから見ていたミドリは、何か言いたげな顔をしていた。しかし、リョウの気持ちを汲んだようで、何も言わずに唇を引き結んで黙っていた。そして、それを察した俺に目配せをした。
——全く、人がいいんだから。中学生のくせに。
痛みがないわけはない。もちろん、有木さんとサトルにもそれはわかっている。それでも、なんでも無いという茶番のようなやり取りをして、お互い気を遣い合わずにはいられなかった。
「すまん、葵。これからVR担当の向井さんと定例会議があるんだ。優希はまだ眠っているし、明日また話そう。午後からなら時間が取れる。お前は、夕方以降の方が都合がいいんだよな?」
「おー。時間内に話すよりは、終業後の方が後藤さんから怒られずに済むな」
サトルが吹き出しながら俺の方を見た。そして、意味ありげに画面を覗き込見ながら言う。
「あの人がお前に怒ることがあるのか? 無いだろう。まあでも、そうだな。じゃあ十八時に俺から連絡するよ」
そこでサトルとの通話を終了した。
最後は多少笑えたけれど、全体的に捉えるとかなり絶望的な状況のようだった。
高橋さんはもう亡くなっているかもしれない。それに、優希もこのままだと命を落とすかもしれない。そしてその犯人が、研究所の人間かもしれない……。
それなのに、近くに差し迫っている悪人の尻尾が全くつかめない。ただ、優希の身の安全はサトルに任せるしか選択肢がないことははっきりしている。
「俺は俺の出来ることを頑張るしかないな」
俺は、高橋さんを探すことと、リョウを守ることに専念しよう。そのために出来る事は何か。
——高橋さんがここでどう過ごしていたか、ピアスに関する情報を知っている人は誰か、リョウはなぜ狙われたのか……。
十五時のお茶の時間になり、増え始めたお客様に笑顔で接客をしながら、今自分に出来ることを必死に探して行った。
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