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エピローグ
◇◇◇
「はい、アイスコーヒー。胃が痛くならないように、少しだけクッキーもどうぞ」
俺は、ガムシロップが苦手な優希に、甘さが控えめのクッキーを添えたアイスコーヒーを運んできた。
「ありがとう。今日めちゃくちゃ暑くてバテてるから、冷たいコーヒーとスイーツ嬉しいよ」
顔を綻ばせながらクッキーをつまみ、ブラックのアイスコーヒーを飲んだ。冷たさと香ばしさが優希の緊張を和らげてくれるようにと願って、これは特別に俺が焼いたものだ。
「あー葵のスイーツ、ほんと美味しいわ」
優希が二つ目を堪能しようとしていたところ、後ろからひょいっと一枚奪われていく。
「あ! ちょっと! 返してよー!」
取り返される前に、サトルはすかさずクッキーを口の中に放り込んだ。
「あーあ、もう! 食べられちゃったよ、あおいー。クッキー追加ください。お願いします!」
「はいはい。でも追加は料金いただきますね。サトルからね」
満足そうにもぐもぐとクッキーを食べるサトルは、サムアップしてメニューを見ている。
「腹へった……今ならまだフード頼めるか?」
カフェタイムはそろそろ終了という時間だった。今日はこの後、バータイムは予約されているため、本当はそろそろフードはご遠慮願いたいところだった。
「予約前の準備時間が必要なんだけどね……あ、控え室で食べてくる? それならゆっくり食べられるよ」
じゃあそうする、とサトルは答えた。そして、「ちょっと電話してくるから」と外に出ようとした。すると、優希が無言でサトルのスーツの袖を引っ張った。かなり強い力で引っ張ったので、サトルは少し首を捻った。
「うお! いってえ! ……なんだよ、優希。すぐ戻る……」
優希は今にも泣き出しそうな顔でサトルを見ていた。何も言わない。ただ黙ってサトルの行手を阻んでいた。
俺とサトルは顔を見合わせた。これはあの日の再来だ。サトルが刺されたあの日。優希はまたサトルを失くすことを、咄嗟に恐れてしまったのだろう。
「あ、ごめん。もう大丈夫だって分かってるんだけど……」
優希は、パッと手を開いて俯いた。その優希の顔を、サトルはじっと見つめている。そして、満足そうに微笑むと、横から優希にちゅっと軽いキスをした。
「五分で戻る」
そういうと、足早に外へと出て行った。心配そうな優希を元気づけるために、俺はクッキーを二枚置いた。
「サービスです。新郎様」
優希は俺の顔を見て、弾けるような笑顔を見せた。
「葵。ありがとう。このことだけじゃ無いけど……これまでずっと僕の味方でいてくれた。サトルと出会えたのも、葵のおかげだし。本当に、ありがとう」
「なんだよ。お前だってずっと俺の味方だっただろ? 心配しなくても、これからだってうまいもの作ってやるから」
そう言って、二人で笑い合った。
俺は心から嬉しかった。虐待され、心を病み、それでも自分より人を大切にした心優しい優希が、やっと今日サトルと新婚披露パーティーを催す。あの日流れてしまった幸せな時間を、今日はみんなでしっかり祝うことにしている。
真っ白のタキシードを着ている優希は、オレンジ色の巻き毛を少しだけ整えて、前髪から目がちゃんと見えている。その目が憂いに染まり、視点を彷徨わせることは、もう無くなっていた。
「お疲れ様でーす」
リョウとミドリが入ってきた。二人とも今日は招待客で、きちんと正装もしている。それなのに、どうしてもここに入る時はスタッフのようになってしまうらしい。
「おー、来たな。二人とも、最初のフードの配膳だけ手伝って。防水のエプロン用意してあるからそれ使えよ。後はもう、今日はお客さんでいいから」
「了解しましたー」と言いながら、二人はテキパキと働き始めた。そこへ、サトルが戻ってきた。
「お、ミドリもついたのか? リョウ、久しぶりだな」
俺たちとサトルと優希は、もはや家族同然になった。それぞれが孤独を抱えていた時期がまるで嘘のように、幸せいっぱいの時間を過ごしている。お互いに家を行き来する生活をしていて、顔を合わせない日の方が少ないほどだった。
「始まる前に嫌な話しておくわ」
サトルが四人に座ってくれと促した。四人は座ると、顔を見合わせた。みんな、大体の見当はついている。
「向井のこと?」
俺が切り出すと、サトルは「そうだ」と答えた。
「あの野郎、治療データ改竄してたらしくて、実はほとんどプログラム受けてなかったらしい。それで、ピアスつけた子供を相手に『して』たところを、現行犯逮捕されたみたいだ。これをきっかけに全部明らかになればいいんだけどな」
四人とも険しい顔をしていたが、優希が鬼の形相をしていた。
「一体どれだけの人を傷つければ気が済むんだろうね、あの人」
「まあ、でもこれであいつもしばらくは出てこれないだろう。俺たちは後始末を頼まれるだろうし、所長も捕まってるから、研究所の解散もあり得る。そこで、だ」
俺はニヤリと笑った。サトルも珍しくニヤリと笑っていた。
「俺はあの研究所を手に入れることにした」
店の入り口のドアの向こうから、過激な発言が飛んできた。誰が言ったのかとみんなが振り向くと、ドアを開けて入ってきた有木さんが立っていた。
「有木さん! お久しぶりです。ていうか、手に入れるってなんですか? 買収?」
ミドリとリョウがギャーギャー言いながら質問している。珍しく、リョウも興奮気味で、有木さんが返答する間もなく質問攻めにしていた。
「うわ、うるさいな! ええと、まず、あそこは私立だから株さえ動かせば買収できるんだよ。で、現所長に対しては所員のほとんどが反発していたから、役員もそんな感じで、株の譲渡にみんなノリノリでさ。どうせそのままじゃ潰れそうだったしな。だったら他に売っとけみたいな感じになったわけよ。でも、俺は運営するだけ。経営のトップは……」
「俺だー! 久しぶりだなーみんな! ちょっと最近忙しかったんだよー」
そう言いながら、後藤さんが入ってきた。そして、お決まりのように「んー」と言いながら、俺にキスをする。もう慣れたもので、抵抗する気も起きなくなっていた。
「そういうわけで、里井が戻ってきても健全経営の研究所で働けるってわけさ。ミドリちゃんのお母さんは医療刑務所で治療受けてるし、大体のことはこれで解決だろうな」
豪快に笑う後藤さんの隣で、沙枝姉さんがしかめっ面をしていた。姉さんも俺を見つけると、「んー」と言って後藤さんと同じことをしてくる。抵抗する気力はもう全くなかった。
「瑞稀、声が大きいんだってばー」
少しだけ大きくなったお腹をさすりながら、ヨイショと座った。カウンターは無理なので、テーブル席に二人は座っている。
「なんか、あの……ゲスい質問なんですけど、どっちの子なんですか?」
恐る恐るミドリが俺に訊いて来た。俺は苦笑しながら、ミドリに答える。
「俺たちそれ気にならないから調べてないんだよね。ただ、法律上は俺の子供にする事は出来ないから、後藤さんと姉さんの子供ってことになるね」
ミドリはとても驚いたが、そういうものなのかと受け入れたようだった。
「そうなんですね。私にとっては不思議な話だけど、三人がそれでいいならいいって事でしょう」
「お前本当に物分かりいいよな……。まあ、これから先、うちみたいな家庭は色々言われるかもしれないけどね。抑圧されて生きていくことが不幸を呼ぶってことを痛いほど知ってるから、子供の様子を見ながら慎重に決めていくよ。似たような家庭が増えてくれば、誰も何も言わなくなるだろうから、それを期待したいね」
「もし何か言われたとしても、この店があればお子さんも力強く生きていけると思うんです。私たちがそうだったように。元々ここはリョウを守るために手伝い始めたんでしょ? 私たちみたいな子供たちが居場所を求めてやってくる。学生のうちはカフェに、大人になったらバーにいられる。そうでない人たちもくつろいで過ごせるから、気づくとここはかなり進んだダイバーシティですよ。理想の通りになったんじゃ無いですか?」
今のオールソーツには、カウンターと控え室の間にはフリースペースがあって、カウンセリングを受けたり遊びながらSSTを受けたりできる。社会の隙間に埋もれて身動きできなくなった人を、楽しく救う場所、それがオールソーツ。
そして、そこで初めて行われる婚約パーティの主役は、同性婚カップルの大切な親友たち。ここから始まる幸せを、みんなと見ていけたらいいなと思って、どうしてもパーティーはやる予定だった。
「アオイ」
リョウがミドリの隣に立った。フードの配膳は終わったようだ。
「お疲れさま。なに?」
リョウはもじもじしながら、口を尖らせている。俺はリョウにガッツポーズを送ると、背を向けた。
「ん? 早くしないと、始まるよ」
遠くの方で、新郎たちの準備できましたーという声が聞こえてきた。二人を迎え入れるため、みんなが並んで待っている。そろそろ扉が開く頃だ……。
「おめでとうー!」
扉が開いて、優希とサトルは腕を組んで入ってきた。フラワーシャワーを受け、弾けるような笑顔の優希と、普段クールで彫刻のような美形のサトルが、うっすらと涙ぐんでいる。
結ばれるまでも大変で、その先にも待ち受けていたたくさんの試練を乗り越えてのパーティー。ゲストもみんな感慨深かったのか、ボロボロになって泣いている。
その中で、リョウが頑張っている声が俺の耳に届いた。
——がんばれ、リョウ。
俺は必死に言葉を繰り出す姿を思い浮かべて、優希の横顔を眺めた。
「アオイ。俺たちもいつか、ここから始めような。その日まで、俺頑張って優希さんと葵さんみたいになるから」
騒音に紛れたリョウの予約のようなプロポーズは、しっかりミドリの耳に届いていたようだった。黙ってこくこくと二回頷いている姿が見えた。
今日の主役はこのことを知っている。優希とサトルがリョウとミドリを見てニヤニヤしている。俺と沙枝姉さんと後藤さんも一緒になってニヤニヤした。有木さんもだ。
それを見て、ミドリはとても幸せそうな顔をした。
「今日くらい自分たちのことだけ考えててよ……」
そう言って、人のことばかり思いやる恩人の姿を見つめていた。
「こんなにたくさんの人が、自分のことを気にかけてくれている。自分の幸せを願ってくれている。それだけで、生まれてきてよかったなと思いました。そう思わせてくれた二人の門出を全力で祝いたいです」
ミドリは優希に抱きついて泣き始めた。優希もミドリをしっかりと抱きしめていた。その手にダイヤモンドの指輪が光っていたが、もうピアスもアンクレットもつけてはいなかった。
優希はようやく、何も制御が無くともミドリに触れることができるようになった。おそらくリョウにもそうだろう。それはサトルと二人で掴み取った望む通りのゴールだった。
「優希さん、おめでとう。幸せになってね。サトルさんをたくさん愛して上げてください」
優希はミドリを五年ぶりに抱きしめ他ことになる。それでも何も起きない自分に安心したのか、わんわん泣き始めてしまった。
混乱し始めた店内を、俺がマイクを握って取り仕切る。
「皆さーん」
ゲストが一斉にこちらを向く。そこにはたくさんの問題を乗り越えて来た人、今現在問題を乗り越えようとしている人、まだ抱えたままの人、さまざまな人がいる。
「今日は友人知人しかいません。カタイことは抜きで、楽しんでいきましょう! オールソーツは、どんな方でもお迎えいたします! でも舵取りは俺がします。それだけは受け入れてくださいね」
(終)
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