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温泉最高

 寒い日が続く今日この頃。シャワーだけではなかなか温もりが足りなくなってきた。たまには湯船に浸かってみるけれど脚を伸ばしきれないような手狭な風呂ではなんとなく消化不良だ。 「温泉行きた~い」  と、俺が溢すとスーパー彼氏こと楓さんはすぐに温泉旅行に賛成して計画を立ててくれるのだが、今月はどうやら仕事が忙しくて難しいとのことだった。しかもこのあたりは温泉地として有名であるが同時にウィンタースポーツも盛んであるため、冬の温泉はスキー客でかなり賑わうそうだ。どのみち温泉デートでしっぽり……というのは叶いそうにない。  そこで妥協案として俺たちはスーパー銭湯に行くことにした。  楓さんとスーパー銭湯に来たのは初めてだ。全国展開している店舗で郊外にあり、楓さんのマンションからも俺のアパートからも離れた場所にあるが、駅から出ているバスで好きな人とぎゅうぎゅうになって座る移動時間は悪くなかった。  その店は露天風呂とサウナが売りらしいが、大浴場も種類があり人気らしい。到着すると広い駐車場には車が何台も停まっており、金曜夜とは言え予想よりも多い客数に期待が高まった。深夜営業もしているとのことで、日頃多忙を極めている楓さんも時間を気にせずゆっくりできればいいなと思い横顔を見上げると楓さんも楽しそうに目を輝かせていた。  カウンターで館内着を受け取り脱衣所へ向かった。21時を過ぎているためさすがにファミリー客は見掛けないがそれなりに客がいる。扇風機の前で涼んでいる中年男性や冷水を飲みながら休んでいるサラリーマン風の客が見えた。それなりに人はいるが皆これからまた風呂に入るのか帰り支度をしている客は見掛けない。常連客が長居するほど良い施設ということだろうか。 「結構混んでるんだね」  隣のロッカーを開け入浴の準備をしている楓さんを振り返りぎょっとした。 (楓さんが、人前で服を脱いでいる……!)  仕事帰りに着替えて来た楓さんは大胆にも黒のセーターからその美しい身体を解放した。真っ白な肌が白いライトに照らされてなお眩しい。無駄な脂肪は無く、程よく付いた筋肉が完璧な骨格を際立たせている。しかも少し赤みがかったベージュ色の胸の頂まで大公開されているのだから俺は動揺した。おいサラリーマン、俺の彼氏が美しいからってじろじろ見るな! 「追加料金とか……?!」 「? このロッカーキーにあるバーコードで最後にまとめて清算できるよ」 「なら、いいか……?」  その辺に居合わせたおっさんに楓さんの裸をただで見せて堪るか、と一瞬取り乱したがすぐにここが大衆浴場であることを思い出して冷静になった。 「光くん早くお風呂入ろうよ」 「たしかに」  彼氏が好きすぎてたまに知能指数が下がってしまうのは良くない。でも楓さんが魅力的すぎるのである程度は仕方がないだろう。  身体を洗い、楓さんと並んでメインの浴槽に浸かった。  ふたりで声を揃えて「あー……」と漏らした瞬間は顔を合わせて笑ってしまった。合流した時は寒さと疲労で顔色が良くなかった楓さんだが、今は血流が良くなり肌がつやつやして光っている。白玉みたいに瑞々しい顔で笑う楓さんを見て俺は幸せを噛み締めた。こうして一緒に銭湯でお風呂に入れるのは同性カップルの利点だと思う。 「僕サウナ好きなんだ。一緒に入ろうよ」  大浴場のあとはジャグジー、薬湯、炭酸湯を楽しんだ。大分身体が火照って来たため寝湯で休んでいるとわくわくした様子の楓さんに誘われた。  この施設にはドライサウナとミストサウナがあるらしい。楓さんは仕事終わりに時々サウナに寄ることがあると聞いている。今日もサウナを楽しむつもりでいるのだろう。 「本当なら付き合いたいけど、俺サウナ苦手なんだ。前にのぼせて大変で……」  そう、俺は以前甲斐と一緒にサウナに入って痛い目を見たのだ。楓さんの楽しみに付き合えないのは悔やまれるが、あの失態を恋人に晒すくらいなら諦めるしかない。 「そうなんだ……。今日はもうたくさんお風呂に入ってるし、尚更のぼせやすいよね」 「ごめんね、でも俺は気にせずサウナに入ってね。俺は露天風呂に入ってようかな」  いつも俺を優先してくれる楓さんの楽しみを奪うわけにはいかない。それに日頃の疲れを少しでも癒すことができるなら是非サウナでもなんでも利用してほしい。楓さんとおしゃべりしながら入るお風呂は最高だけど、しばしのお預けを甘んじて受け入れよう。  よく晴れた夜空に浮かぶ星は綺麗だった。冬の空気はキンと冷たいが火照った頬には心地よい。温かいお湯に身体を沈め、お湯の流れる優しい音に癒されながらぼーっと過ごしていると、露天風呂の隅の方に小さな個室のようなスペースがあることに気が付いた。  あれもサウナの一種だろうか、と気にしていると同じ浴槽に浸かっていた客に話し掛けられた。 「お兄ちゃん学生さん?」  30代だろうか、逞しい身体つきと冬なのに日焼けした肌には髭が良く似合っている。 「はい、大学生です」 「一緒に来てるのは友達?」  尻ひとつ分近くなり、心持ち声のボリュームが絞られた。に、と細められた目元に寄った皺に言い知れない嫌悪感を覚えた。 「……そうですけど」 「仲良いんだ?」 「まあ」  一時的とはいえ楓さんと離れてしまった今、ひとりでゆっくりしたい気分でもあったのであまり会話を続けたい気持ちにはならなかった。普段ならこういった状況を楽しむ性質なのだが、むしろ今は気分を害されたような、ほとんど不快な感情が胸を占めた。  少し悪いと思いながら湯冷ましのために湯船から上がり、備え付けの腰掛けに移動した。それでも男の視線が追ってきている気がしたので気を紛らわせるのに別のことに意識を向けた。 (そういえば駐車場に停めてあった車の割に混んでないなあ)  最初に浴室に入った時にはそれなりに利用客がいたように思ったがいつの間にか落ち着いている。そもそも女風呂の方が混雑しているのだろうか。それともこの時間帯は休憩スペースや食堂の方に人がいるのだろうか。岩盤浴もあるみたいだからそちらに集まっているのかもしれない。  取り留めも無く考えるが大して面白みのあることでもない。身体の熱も落ち着いてきたところで先ほどの個室に目を向けると入口のところに説明書きとは別に注意書きのポスターがあることに気付いた。箇条書きされた文章をそれとなく読み、ある項目でなんとなく引っ掛かった。 『公序良俗に反する行為は固くお断りいたします』  公序良俗、公序良俗……。多感なお年頃の俺はすぐにピンと来た。 (は~、どこでも盛るやつはいるんだなあ)  たしかに恋人と裸同士で大衆浴場なんて、ちょっと大胆な気持ちになっちゃうのかもなあ、と楓さんとのロマンスを妄想しかけたところで俺は重大なことに気が付いた。  そう、ここは男湯である。男しかいないのである。あのポスターは俺と楓さんのようにただお風呂に入って気持ちいいね♡だけが目的ではない、目の前の個室でおっ始める野郎どもへの警告文なのである。  そして閉ざされた空間は目の前の個室だけではない。 「楓さん……!」  俺はドライサウナ目掛けて駆け出した。 「走ると危ないよ~」  ……めちゃくちゃ小走りで。  サウナの扉を開くとそこにはとんでもない光景が広がっていた。閉館間際を思わせるような閑散とした大浴場とは裏腹に、サウナの中には超満員と思える数の男がひしめきあっていたのだ。その中央に俺の愛しい人が座っている。 「ちょ、なにこれ?!」  楓さんは熱気ムンムンの野郎どもの真ん中でにこにこと微笑を浮かべていた。 「あれ、光くん? 来てくれたの?」 「いや、あの」 「無理して付き合わなくて大丈夫だよ」  見渡す限りの男、男、男の中で楓さんは浮いていた。日本に生息する男の種類をすべて集めたのではないかと思える程の野郎たちがこの密室に詰め込まれている。その誰もが際立って美しい男に視線を注いでいるのだ。俺の彼氏は少し目を離した隙にサウナーの姫になってしまっていた。  しかし意外なことに野郎どもの目にギラギラした物はあまり強く感じない。恐らく楓さんがこの巣窟に足を踏み入れた時はギトギトしていたのだろう。なんとなくその片鱗を感じるのだ。だけど今の野郎たちの目は野花を摘む鬼のような、清流で水浴びをする熊のような、子猫を見るヤンキーのような、徐々に浄化されつつある色をしていた。そういった意味でも楓さんは何かしらのプリンセス化を遂げていると言って過言ではない。 「もう、出よう」 「もしかしてのぼせちゃったの? 大変だ、すぐに出なきゃ!」  大勢の意中の的である姫がわき目も振らずに俺の元に駆け寄った。サウナを後にする俺の背中には灼けそうなくらいの怨念が浴びせられたが、あの中にいつまでも楓さんを置いておくわけにはいかない。  忌々しいことに何人かの男が脱衣所について来たが服を着せてしまえばこっちのものだ。俺は片時も楓さんから離れず、ついでに湯あたりしたと勘違いされたのでソフトクリームを奢ってもらった。 「平気? ふらふらしない?」  楓さんも俺から離れようとしないので内心ものすごく満たされた。 「楓さん、俺のぼせてないから大丈夫だよ」 「そう? ほっぺた真っ赤だよ?」  それはお揃いの館内着でぴったりくっついていられるのが嬉しいのもあるかもしれない。楓さんが心配するあまり、さっきから膝と肩が密着していて友達同士にしては距離が近くなっている。  なんでもないならいいけど、と言って楓さんは溶けかけたソフトクリームを一口食べた。血色の良い唇がバニラアイスによく映えている。 「お風呂気持ち良かったね」  楓さんはにこにこと上機嫌だ。俺は肝が冷えたどころの騒ぎではなかったけれど、楓さん的には大満足な様子だ。 「すごく混んでたね、人気なんだなあ」 「いやサウナの外はガラガラだったよ……」  なんだかどっと疲れたし、楓さんは溶けたアイスに気を取られて俺の言葉を聞いていなかったようだが、この人が楽しめたのなら帳消しになる気がした。もう絶対ここには来ないけど。 「今月は無理だけど、来月は温泉に行けたらいいね」  そう言って向けられた瞳はキラキラと輝き、楽しそうだった。  純粋な眼差しが眩しくて、愛しくて、温まった身体の隅々まで幸福感が巡っていった。

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