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第6話 距離感がバグってるマッチョ
土曜日の朝。ここ最近、平日は仕事終わりの夜に身体を動かして、週末は朝にトレーニングをするのが習慣になっている。
朝ごはんを食べ終わり、食後のコーヒーを飲みながらテレビで放送されている旅番組をみる。
仕事の朝では味わえない、この時間のゆとりが贅沢で好きだ。
そろそろ準備するか、とジャージに着替え、歯をみがき、ジムに持っていく荷物を鞄に詰める。
ピンポーン
「(朝から誰だ?)」
インターホンのモニターに手を振って何か喋っている叶が映っていた。
ガチャ。
「おはよう。え、なんでいんの?」
「おはよーございます!!今日、トレの日ですよね!迎えにきました!!」
散歩に行く前のワクワクしている大型犬…に見える。
「おぉい!ちょっと待て。なんで家まで呼びに来るんだよ」
「え?行き先が一緒だから?」
だから?じゃねーよ。何でこっちが意味不明なこと言ってるみたいになってんだよ。
「せっかくだし…と思って…先に行っときましょうか?」
元々の集合場所が俺の家の前だったかのように話す叶に心のツッコミが止められない。
「っふ。はは。なんで、気をきかせましょうか、みたいになってんだよ。」
「あ、ええと」
「いいよ、いいよ。待ってて、もう出るとこだったから」
はあーい、と返事をして叶は玄関でグビグビ水を飲みながら待っている。
ジムまでの行き道は、叶はと昨日観た映画の話をずっと語っていて、筋トレの話じゃなないんだなと思った。
「じゃあ、今日のメニューは…」
さっきまで、大型犬のような雰囲気を纏っていたのに、トレーニングの時間が来た途端、ふっとトレーナーの顔になった。
叶の人懐っこさを感じさせるやわらかな顔つきと、男らしいがっしりとした無駄のない筋肉とのギャップは無駄に色っぽく見える。
「(こいつ、ほんと黙ってたらかっこいいよな。…黙ってたらだけど)」
「ん?どうかしましたか?」
眺めすぎた。
「じゃあ、ハイプランクからしましょう!腕立て伏せの体勢のままキープします」
見た目以上にキープしているのはきつい。腹も腕もプルプル震えてしてくる。
「腰が上がってきてるので、もう少し下げましょうか」
「ふぇ、んむ、無理!こう?」
「あ、下がりすぎちゃいました。もう少し上げて」
「これ…くらい?」
「いや、えっと…触っても良いですか?」
「いい」
「は、はい。では…この位置をキープします。それで、肩をの位置をもう少し…」
叶の大きくてゴツっとした手が、優しく腹と腰を挟んだ。
触れたらすぐに離すと思っていた手は離れずに、ずっと俺に触れたままになっている。
「お、い……っと、…わっとけ…て言っ…ない!」
腹や腕の筋肉を震わせながら、声にならない声でつっこむ。
「あ、すみません。何か言いましたか?」
「だ、から…手、も…い…って」
とにかく身体と身体が近い。
「ごめんなさい。もう一度言ってもらえますか?」
耳元で叶の声がした。
「だぁあああ」
急に至近距離に叶の顔が現れたと思った瞬間に、無駄に良い声が耳元で聞こえた。
勢いよく声を出したせいで、キープ時間より前に崩れた。
「やめろ!その無駄に良い声!そんで、近すぎんだろ」
「き、聞き取れなくて…すみませえん」
あわあわと謝る叶は、いつもの大型犬のようだ。
「もう。お前の距離感いろいろどうなってんだよ」
叶なんかにドキッとしてしまったから、なんだか腹立たしくなって八つ当たりする。
「距離…どの距離ですか?」
全て無自覚らしい。
「身体的な距離も精神的な距離もどっちも!」
「せいしんてきなきょり?」
「お前、誰にでもこんな感じなのか?家に迎えに行ったり、至近距離にずっといたりさ。パーソナルスペースも何もかもガバガバかよ」
叶のこの距離感が嫌なわけではない。こんな距離感で人と接することがないから、叶のこの距離感に慣れない。
「えーっと、知らない人にむやみやたらに近づくことはないですけど、鏡也さんとは仲良し?だからです」
体育会系のこういうタイプは、みんな仲良し認定する定義がバグっているのだろうか。
それとも、叶が天然なせいなのかわからなくなる。
「いや、仲良しのハードル低すぎるだろ」
「そんなことないです!鏡也さんにだけです!」
「何でだよ!」
むしろ、それだったら何で俺だけ爆速で仲良し認定されてるのか教えてほしい。
「えー鏡也さん、なんか愉快で、落ち着くんですもん。だから、友達みたいだなあっと思ってたんすけど、よく考えたら家も一緒だし、よく帰り道に会うし、年も近いし、これはもう仲良しじゃん!って」
いろいろ誤解を招きそうな発言をしている。
「は?仲良しじゃな…」
仲良しじゃないし、ただのトレーナーと客だろ、と言いかけたが、なぜか言えなかった。
「まあ、仲良くなってる最中ってとこだな…」
同じマンションだからご近所さんなのは間違いないし、年齢だって近い。
これから行きつけのご飯屋さんや、ショッピングモールでも会うかもしれない。
だから、たまには、こういう不思議な関係性があっても良いかと思った。
「あ、じゃあ、このあとスーパー銭湯でも行きます?僕、今日のレッスン鏡也さんだけなんで!」
なんにも伝わってないなと思った。それに、俺はこのあとに予定を入れていた。
「今日は予定あるから、また今度な」
「あ、来週はどうっすか?」
「はいはい、来週な」
それに、こうやって、絆されていくのだろうなとも思った。
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