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第22話 アクシデント

 テレビからクリスマスという言葉が聞こえて来て、もうすぐクリスマスだってことに気がついた。 「いつも何してたっけ」  小学生になる前はお母さんとケーキを食べていた。お客さんがくれたっていう生クリームの小さいケーキだった。どんな味だったか覚えていないけど、とてもおいしかった気がする。モグモグ食べていたら、お母さんが「おいしいね」って笑ったのも覚えている。 「……久しぶりにお母さんのこと思い出したかも」  パスケースに入れたお母さんの写真を見る。この写真も最近はあまり見なくなった。藤也(トウヤ)さんの写真は毎日見ているのに、お母さんの写真は全然見ない。 「藤也(トウヤ)さんのことばっかり考えてるからかもな」  だからか、お母さんのことを思い出す時間が少なくなった。代わりに、毎日どうやったらもっと藤也(トウヤ)さんの役に立てるかばかり考えている。 「藤也(トウヤ)さんは無理しなくていいって言ってくれるけど」  それじゃあ、いつまで経っても役に立てない。だから毎日英語を聞いて、本や雑誌を読んで、テレビを見る。それしか俺にできることはない。  そういえば、掃除と洗濯は早くできるようになった。藤也(トウヤ)さんに偉いなって褒めてもらった。 「もっと頑張らないと」  掃除や洗濯みたいに何でもできるようになりたい。藤也(トウヤ)さんに褒めてもらえるくらい役に立ちたい。そしていつか藤也(トウヤ)さんにたくさんお礼を言いたい。 「……そうだ、クリスマスプレゼント」  クリスマスにはプレゼントをあげる。お礼にはならないかもしれないけど、藤也(トウヤ)さんに何かプレゼントをしたいと思った。でも、何をあげたらいいのかわからない。 「それに、お金もない」  本を買うお金は藤也(トウヤ)さんのお金だ。ほしい本があったら、大きな公園の隣の本屋さんで買えばいいって教えてくれた。 「他のものも買っていいって言われたけど、さすがにな」  お金を稼ぐのはとても大変だ。お母さんも大変だったし俺も大変だった。だから、俺が勝手に藤也(トウヤ)さんのお金を使っていいはずがない。もちろんプレゼントを買うことなんてできるはずがなかった。 「それに、藤也(トウヤ)さんにあげるプレゼントを藤也(トウヤ)さんのお金で買うのはおかしいし」  せめて藤也(トウヤ)さんがほしいものだけでもわからないだろうか。 「そうだ、ボスに聞いてみよう」  ボスは藤也(トウヤ)さんの兄弟だから、藤也(トウヤ)さんがほしいものを知っているかもしれない。もしかしたら、お金がかからないプレゼントが見つかるかもしれない。  スマホを持って、藤也(トウヤ)さん以外でたった一人登録してあるボスの番号に電話した。 「あの、忙しいのに、ごめんなさい」  隣に立っている静流(シズル)さんに、もう一度頭を下げる。そうしたらポンって頭を撫でられた。  ボスに藤也(トウヤ)さんがほしいものを知らないか電話したら、すぐに「クリスマスプレゼント?」って聞かれた。「はい」って答えたら、マンションの前で静流(シズル)さんと待ち合わせることになった。  ボスも藤也(トウヤ)さんにプレゼントを渡したいからって言っていたんだけど、ついでだからって静流(シズル)さんがプレゼント探しを手伝ってくれることになった。 (本当にいいのかな)  ボスといつも一緒にいるってことは忙しいはずだ。それなのに俺のことを手伝ってもらっていいのか気になる。 「あの、」  やっぱり遠慮しようと思って隣を見たら、静流(シズル)さんが「あれは?」って言いながらお店を指さした。 「……洋服屋さん?」  静流(シズル)さんが連れて来てくれたここはショッピングモールという建物で、中にはたくさんのお店があった。洋服屋さんも靴屋さんも、本屋さんもアクセサリーのお店もある。  静流(シズル)さんが指してるお店には洋服がたくさん並んでいた。でも、洋服の隣には食器や文房具もある。ってことは洋服屋さんじゃないのかもしれない。  何のお店かわからないけど、静流(シズル)さんが指さしている服を見た。 (何の服だろう)  赤い服で、首や腕には白いフワフワがついている。赤い帽子もついていた。 「……サンタクロース?」  サンタクロースっぽい感じがする。でもサンタクロースはおじいさんだ。それなのに赤い服はスカートで、しかもすごく短い。 (俺が探してるのは藤也(トウヤ)さんにあげるプレゼントなんだけどな)  それなのに静流(シズル)さんがこの服を指したっていうことは……。 (これを藤也(トウヤ)さんが着るってこと?)  思わずじっと見つめてしまった。上から下まで何度も見たけど、藤也(トウヤ)さんには似合わない気がする。それに……。 「これ、藤也(トウヤ)さんには、小さいと思います」  どこからどう見ても藤也(トウヤ)さんには小さすぎる。そう言ったら静流(シズル)さんが「ブッ」って吹き出した。口を押さえているから笑い声は聞こえないけど、たぶん笑っている。体もちょっと震えている気がする。 「あの、」 「……あぁ、ごめん。予想外の言葉がおもしろくて」 「おもしろい、ですか?」  何がおもしろかったのかよくわからない。でも、静流(シズル)さんが笑ってくれたのはちょっと嬉しかった。 「あれはソウくんが着るんだよ」 「俺、ですか?」 「藤也(トウヤ)さん、意外とこういうの好きだから」 「……?」 「これを着て、俺がプレゼントって言えばいい」 「俺が、プレゼント」 「藤也(トウヤ)さんが一番好きなのはソウくんだから、絶対に喜ぶ」 「……そ、だと、いいです、けど」 藤也(トウヤ)さんはいつも俺に好きだと言ってくれるけど、一番かはわからない。でも、もしそうだったとしたら嬉しい。 (これを着たら藤也(トウヤ)さん、喜んでくれるかな)  静流(シズル)さんはボスから聞いたんだろうし、それなら間違いない気がする。藤也(トウヤ)さんが喜んでくれるものが見つかってよかった。お金は藤也(トウヤ)さんに借りて、俺が仕事ができるようになったら返そう。  そう思ってサンタクロースの服を取ろうとしたら、静流(シズル)さんが取ってくれた。お礼を言おうとしたら、そのままお店の奥に持って行ってしまう。そうしてお店の袋を持って戻って来た。 「あの、それ」 「これは、ボスからソウくんへのクリスマスプレゼント」 「え?」 「次は、あそこのカフェに行こうか」 「え、と」  静流(シズル)さんが指さしたのは見たことがある看板のお店だった。たしか、ちょっと前に藤也(トウヤ)さんと行ったお店もあの看板だった気がする。  お店に入ったら「座って待ってて」って言われた。ちょうど空いていた端っこのテーブルに座ったら、静流(シズル)さんがコーヒーとフラペチーノを持って戻って来た。 「あの、」 「これは、俺からのクリスマスプレゼント」 「ありがとう、ございます」  まさか静流(シズル)さんからもプレゼントをもらうことになるなんて思わなかった。本当にもらっていいのか迷っていると「はい」って容器を差し出された。よく見ると、藤也(トウヤ)さんが買ってくれたチョコの粒が入っているフラペチーノだ。 「ありがとうございます。これ、好きなやつです」 「よかった」 「でも俺、ボスと静流(シズル)さんのクリスマスプレゼント、買えないです」 「あとでそれ、どうだったかボスに教えてくれればいいから」  そう言って指さしたのはサンタクロースの服が入っている袋だ。よくわからないけど、着た感想を教えればいいってことなんだろうか。それなら俺にもできるから「はい」って答えた。 「でも、本当にそれでいいんですか?」 「あの人も藤也(トウヤ)さんと一緒で、小動物が好きだから」 「ショウドウブツ?」 「そう。犬とか猫とか兎とか」  俺も好きだけど、それとクリスマスプレゼントの何が関係しているんだろう。 「可愛いペットができたって喜んでるから、気にしなくていい」  よくわからないけど、ボスがそれでいいって言うならいいかって思うことにした。 「それに、今日は俺とソウくんが一緒にいることが目的だから」 「?」  またよくわからないことを言われてしまった。 (こういうところがダメなんだろうな)  頑張って勉強しているけど、いまみたいにわからないことのほうが多い。とくに藤也(トウヤ)さんやボスの話はわからないことだらけだ。だから、早く頭がよくならないと藤也(トウヤ)さんの役に立てないんだっていつも焦ってしまう。 「ねぇ、あの人かっこいいよね」 「うんうん、超かっこいい」  後ろのほうから女の人たちの声が聞こえた。今度は「やばっ、マジでかっこいい」って声が横から聞こえてきて、そっと静流(シズル)さんを見た。 「どうかした?」  縦線が入った濃い色のスーツと黒のシャツに、艶々の黒いネクタイをした静流(シズル)さんがコーヒーを飲んでいる。……うん、静流(シズル)さんもイケメンだと思う。  フラペチーノをちゅるって飲みながら、今度は隣の席の人を見た。女の人が二人、こっちを見ている。その隣にいる人も、レジに並んでいる人もチラチラこっちを見ていた。  前は周りの人を気にすることなんてなかった。いまみたいに話し声に気がつくこともなかった。でもいまは、ちゃんと見たり聞いたりするようにしている。そういうことも大事だって藤也(トウヤ)さんが教えてくれたからだ。 「静流(シズル)さんも、かっこいい、ですよね」 「『も』ってことは、藤也(トウヤ)さんが基準ってことかな」 「……ええと、」  そうなんだろうか。よくわからないけど、俺にとって一番かっこいいのは藤也(トウヤ)さんだ。 「あの人に比べたら、俺なんて子どものようなものだけど。でも、ありがとう」 「静流(シズル)さんは、子どもじゃないです。俺は、まだまだ子どもだけど」 「あぁ、十八のソウくんから見たら三十の俺はオジサンか」 「さん、じゅう、」  それって、静流(シズル)さんが三十歳ってこと? 「見えない……」  三十歳には見えないけど、じゃあ何歳かって聞かれても困る。そういえば藤也(トウヤ)さんもそうだ。四十歳に見えないけど、じゃあ何歳だって聞かれてもわからない。  ボスなんて、藤也(トウヤ)さんよりもっとわからなかった。っていうより、ボスは男の人だけど男の人っぽくなくて、でも女の人っぽくもなくて、年齢よりそっちのほうがわからなくなる。 「ソウくんから見たらオジサンだろう?」  俺は頭を横にブンブン振った。だって本当におじさんには見えないんだ。 「静流(シズル)さんは、全然おじさんじゃないです。かっこいい大人の人だと、思います」 「かっこいい大人の人か。ありがとう」 「……俺も早く、大人に、なりたいです」  藤也(トウヤ)さんみたいなすごい大人にはなれないだろうけど、でも、早く大人になりたい。大人になって藤也(トウヤ)さんの役に立ちたい。 「そんなに急がなくてもいい。それに、俺もまだまだだ」 「まだまだ……?」  それって、静流(シズル)さんもまだ大人じゃないってことだろうか。 「早くあの人に追いつきたいと思ってはいるけど、年齢どころか何もかも追いつけない。まだまだだと、いつも痛感させられる」  静流(シズル)さんがちょっとだけ笑った。 「それが悔しくもあり、同時に蹂躙する高揚感を与えてくれる。俺はソウくんのように純粋な気持ちは抱けないけど、ソウくんが藤也(トウヤ)さんに抱いている気持ちは理解できる」  どういう意味だろう。藤也(トウヤ)さんやボスの話も難しいけど、静流(シズル)さんの話も難しくて俺にはわからなかった。 「さて、そろそろ帰ろうか。このくらい一緒にいれば十分だろう」 「え?」 「この辺りは落ち着いているけど、安全だとは言い切れない。とくにソウくんみたいな子は狙われやすい。でも、俺と一緒のところを見れば狙われることはなくなる。ソウくんに手を出せば、紫堂が出てくるってわかっただろうし」 「……?」 「虫除けみたいなものだ。でも、これ以上ソウくんを連れ回したら藤也(トウヤ)さんに殴られかねない」  買い物を手伝ってくれたのに殴ったりはしないと思う。やっぱり俺にはわからないことだらけだ。  残りのフラペチーノを飲み終えてお店を出た。出るときも、あちこちで女の人たちが静流(シズル)さんを見て「かっこいい」って言っているのが聞こえた。 (藤也(トウヤ)さんも言われてるんだろうな)  一緒にいるときは藤也(トウヤ)さんしか見ていないから、周りの人たちのことはよく覚えていない。でも藤也(トウヤ)さんもかっこいいから、きっと女の人たちに人気があるはずだ。前に買った雑誌にも、そんなことが書いてあった。 “多くの女性を虜にされていますが、好きなタイプはどういった方ですか” “いま、恋人はいらっしゃいますか” “結婚のご予定は”  質問のところを読んだら藤也(トウヤ)さんの答えを読むのが怖くなって、結局答えているところは読まなかった。それから俺は、雑誌を買っても文章は読まいないようになった。だって、読むのが怖いんだ。前はどんな文章を読んでもそんなふうに思ったりしなかったのに、怖くて読めない。  そんなことを思い出しながら静流(シズル)さんの後ろを歩いていたら、ポフって背中にぶつかってしまった。下を見ていたから静流(シズル)さんが止まったことに気がつかなかった。 「向こうから出よう」 「静流(シズル)さ、……っ」  急に肩を触られてビクッてした。相手は静流(シズル)さんなのに、藤也(トウヤ)さんじゃないと体が勝手にビクッてしてしまう。「悪い」ってすぐに静流(シズル)さんの手が離れたから、気持ち悪いのはすぐに消えたけど……。 (……いまの、藤也(トウヤ)さんだ)  一瞬だったけど、回れ右をする直前にチラッと見えた真っ黒で長いコートは藤也(トウヤ)さんだ。どんなに遠くにいても、ほんのちょっとしか見えなくても、俺が藤也(トウヤ)さんを見間違えることはない。  いつもなら振り返って絶対に走っていく。「藤也(トウヤ)さん」って言って、ぴったりくっつく。  でも、今回はそうしなかった。できなかった。かっこいい藤也(トウヤ)さんの隣に髪の長い女の人がいるのが見えて、名前を呼ぶことも近づくこともできなかった。

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