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おかえり、カレーライス
尾上さんはカレーが好きなので、カレーを作る機会は多い。俺は元々料理をする人間じゃないし、作るのが楽な料理は結構ありがたい。食器を洗うのがとてつもなく面倒くさいけど、尾上さんが洗うからと気は楽だ。それもこれも尾上さんがカレーが食べたいと言うから。
だから、今日はカレーを作る。材料は揃っているから帰ったら急いで準備しないと。
……と思っていたのに。急に仕事が舞い込んで、残業する羽目になってしまった。そこまで遅くならなければ良いけどなあ。とりあえず尾上さんにLINEして、夕飯のこと伝えなきゃ。
L I N Eのアプリから、一番上にピン留めしてあるトーク画面を開いた。
『残業になっちゃったから、ご飯作れる時間に帰れないかも💦 なんか買うかして食べてください』
すぐに既読がついた。尾上さんはもう会社を出ているんだろう。どこにも寄らず、そのまま帰るのかな。
『今日カレーにするって言ってたよな?』
『そうですよ。』
少し時間を空けて、尾上さんから返信が来た。
『じゃあ俺が作る』
「えっ」
職場なのに思わず声が出た。この人は本気で言っているんだろうか。
『いいんですか❗❓』
『任せとけ』
まさか尾上さんが作るって言い出すなんて……。流石にカレーくらいは作れると思うけど、料理をしているのは見たことがないし不安だ。慣れないから包丁で指切ったりしそうだな。玉ねぎで涙目になるだろうし、具が全部デカイのにじゃがいもは溶けている……きっと。そもそも、じゃがいもの芽の取り方分かるのかな。家にあったものは芽を気にするほどではなかったはずだけど、記憶は定かではない。
『じゃがいもの芽はとってくださいよ。人参は皮むいてね』
馬鹿正直な尾上さんの事だ、経験もないのに包丁で皮むきをしようとするのだろう。
『ピーラー使ってね』
『分かった』
作り方はカレールーの箱を見れば分かるだろう。それでも不安なので、早めに帰って様子を見たい。出来るだけ急がなければ。
「ただいま」
結局、二十時頃に目処がついて、二十一頃には家に帰ることが出来た。玄関からカレーの良い匂いがして、食欲をくすぐる。お腹が空いてきた。これは期待出来るかもしれない。
「おかえり。カレー出来たぞ」
エプロンをした尾上さんが出迎えてくれた。普段は俺が着けている花柄のエプロンだ。顔がにやけてしまう。……尾上さん可愛い。新妻じゃん。
「良い匂いしますね。上手く出来ました?」
「そりゃ、俺だってカレーくらい出来る」
腰に手を当ててやけに得意げだ。左手は絆創膏が何枚か貼ってあってボロボロなのだが……。やっぱり指切ったのかな。尾上さんはとにかく不器用で、例えばカッターとか、手先を使うものが極端に苦手だ。だから頑張ったんだなと思う。
「えらい!」
気が向いただけだとしても、普段は面倒くさい、出来ないとゴネているから褒めてあげたい。褒められて恥ずかしがる尾上さんを抱きしめて撫で回したい。
「ほら、早く食べようぜ」
「まず味見していいですか?」
「いいぞ」
器に盛り付ける前に味チェックだ。キッチンに向かうとカレーの匂いはいっそう強くなる。ただ、どうも嫌な匂いも混じっている気がしてならない。
鍋の蓋を開ける。お玉でかき混ぜると、案の定というか、想像していた通り底が焦げている。煮ている時に目を離したんだろう。そこまで酷くもなさそうだけど、焦げの匂いって結構気になっちゃうからどうしたものか。お玉でカレーを少しすくって、豆皿に入れた。少し水分が多くてシャバシャバなのは気になるが、思い切って啜る。
うわ、やば。
思わず顔をしかめてしまった。とにかくしょっぱいし、謎の苦味があってはっきり言って不味い。カレーをこんなに不味く出来るのはもはや才能だ。
「尾上さんこれ味見した?」
「途中ちゃんと味見したぞ」
「いや、最後に! 自分でも食べてみてくださいよ」
尾上さんは促されるまま豆皿のカレーを啜る。一瞬で顔が歪んだ。ほら見たことか!
美味いと言われたらどうしようと思っていた。安心した。味見して『これ』だったら、味覚が狂っているとしか思えない。
「まっっっずいな!! うわ……これは、その……スイッチ入れっぱなしでコーヒーメーカーに放置してたコーヒーとか、網の端っこに放置されてる焼きすぎてほぼ炭になった焼肉みたいな……」
混乱しているのかあまり要領を得ない。不味いという点はお互い一致しているが、同じものを食べているのにどうしてこうも感覚が違うんだ。ほぼ炭って、自分が焦がしたからだろう。
「どうしたらこうなるの……」
「レシピ通り作って味見したんだけど、高松のカレーと味が違うから、隠し味を入れた」
頭を抱えてしまった。料理が下手な人はレシピ通り作らない、というのは本当だったんだなあ。よく分からない隠し味を適当に入れておきながら、本人はレシピ通り作ったと言い張るのだからタチが悪い。
「何入れたんですか」
「ウスターソースとインスタントコーヒーと」
しょっぱいのと苦味の正体が分かった。ついでにこのカレーがこんなにシャバシャバな理由もわかった。
「どんだけ入れたんですか!」
ウスターソースもインスタントコーヒーも、カレーの隠し味としてはメジャーなものだ。大方、ネットで検索して一番上に出てきたものを入れたのだろう。気持ちは分かる。
「ソースは大さじ一。コーヒーは小さじ二」
いやいやいや、それだけの量じゃこうはならないでしょ。
「……尾上さん大さじって」
「これで測れば良いんだろ?」
尾上さんが見せてきたのは、200ミリリットルの計量カップだった。そりゃ多いわ。
「じゃあ小さじは?」
普通よりちょっと大きめのスプーンを持ってきた。明らかに『小さじ』ではないだろ。この人もしかして、さじの意味を分かっていないのか。
「計量スプーン見たことないんですか!?」
「見たことはあるけど、ここにそんなもんないだろ。大さじって50ミリリットルだから……」
「ちょっと待ってください……大さじは15ミリリットルですよ。あと、計量スプーンならそこの引き出しにあります……」
流石に計量カップいっぱいに入れているわけではないと知って安心した。尾上さんはたまにズレているところがあって、心配になる時がある。本人は気にしているのかいないのかすら分からないが、俺が支えにならなければと、もはや使命感まで抱いている。
「あれ? 間違えて覚えてて、そのままだったのか」
心なしか尾上さんがしょんぼりしている。本当はソースとコーヒー以外にも何か入れただろうと詰め寄るつもりだったが、流石に可哀想になってきた。ヤバいものを生成したのは確かだが、尾上さんがせっかくやる気を出してしてくれたんだから、料理に興味を持ってもらいたい。なんとか次に繋げるために、ここは俺が頑張るところだ。
「これからリカバリーします!」
我ながら無謀なチャレンジだ。正直出来るか分からないけど、やるだけやってみよう。
「う、美味い。お前すごいな……?」
尾上さんは鍋の前で感動していた。
ネットで情報を集め、悪あがきを繰り返し、色んな手を尽くしてリカバリーをした結果、奇跡的に美味しいカレーが出来上がったのだ。我ながらすごいと思った。
「自分でもすごいと思います……」
正直なところ、イチから作り直した方が美味しいものが作れるんだけど、不用意に尾上さんを傷つけたくない。全否定だけはダメ。
それにしても『アレ』からこの味にした俺は天才じゃないか。料理の才能があるとしか思えない。
「余計な事してごめんな」
「ううん。俺のために作ろうとしてくれたんでしょ? 嬉しいです」
尾上さんが俺の事を思って、気まぐれでも苦手な料理をしようとしてくれた。その気持ちだけで嬉しいのだ。
「いつも任せっきりだから、悪いと思って」
バツが悪いのだろう。そんなこと気にしなくてもいいのに。
「そうだ。良かったら、今度一緒に作りませんか?」
尾上さんに少しでも料理を覚えてもらいたい。俺が家を開けている時、具合が悪い時でも『自炊をする』という選択肢を増やしておきたいから。そうじゃないと、ものぐさな尾上さんがカップ麺とコンビニ弁当の生活に戻ってしまう……!
「お前と一緒なら絶対失敗しないな」
嬉しそうに言うから、こちらまでつられて嬉しくなってしまう。笑顔が見られて良かった。
「何にしようかな」
「カレーが良い」
「いいですね、リベンジしますか!」
一緒に作るならきっと楽しいし、上手くできる。ちょっと豪華にして、上に揚げ物でも乗せるか。カツでもいいし、唐揚げでもいい。何も決まっていないけれど、今から楽しみで仕方がない。
「おう。あのな……」
尾上さんが言い淀む。顔を顰めたまま口を開かない。仕方がないので大人しく待っていると、そっぽを向いてしまった。
「たぶん勘違いしてると思うけど、カレー自体はそこまで好きじゃないんだ。お前の作るカレーが好きなんだよ」
思わず面食らってしまった。少し恥ずかしそうに言うのが、あまりにも可愛くて嬉しくて。
「え……あ、あの。また作ります!」
何度もカレーを作ってしまいそう。
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