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第5話┋Just Like Honey
今日は絶対に伝えたい事がある。
尾上さんと付き合ってから、はや半年強。デートもしているし、お互いの家に行くことも多々ある。キスもその先も何度も経験して、大きな喧嘩も不満もなく、関係は良好。その上で尾上さんに思うことがある。
それはあまりにも生活力がないことだ。洗濯は溜め気味だし干しっぱなしだとか細かいことは色々あるけれど、特に食事に関しては目も当てられない。自炊をするという発想がないから、冷蔵庫にはいつ買ったか分からない調味料と酒が置いてあるだけだ。キッチンは狭く、自炊をする前提で作られていないのは分かるが、それにしても何も無い。冷蔵庫の隣にあったカゴにはカップ麺や袋麺、レトルトのカレーが山積みに置いてあり、普段の食事というよりは非常食のようだった。これならスーパーの惣菜や外食の方がまだ健康には良い。カップ麺だけで済ませることもあるらしい。ただでさえ尾上さんは痩せていて不健康なのに、そんな生活をしていてはダメだ。俺だって料理が得意ではないのに、何か作ってあげたいとそう思ってしまう。
お節介だとは思うが、尾上さんが家に遊びに来る時は簡単なものでも料理を作る。あまり好き嫌いはなくなんでも食べられるらしい。
「今日はちょっと違うカレーにしました」
尾上さんは既にダイニングテーブルに着いていた。目の前にキーマカレーの皿を置くと、顔を綻ばせている。
「お、美味そう! さすが高松、いつもありがとな」
感謝されると嬉しいし、嬉しそうな顔を見たくて料理をしているところもある。
別に俺だって料理が得意なわけじゃない。一人暮らしをしていた時も典型的な漢の料理がほとんどだった。それらしく味付けして焼いた肉、大味な焼き飯。尾上さんはそれでも美味いと言って食べてくれる気もするが、それじゃ味気ないだろう。人のために料理をするなら、下手なりに力を入れたいものだ。
「いただきます」
軽く手を合わせて、スプーンを握った。
「今日のカレーはどうですか?」
尾上さんはスプーンに乗せたカレーを一口頬張る。
「美味い。キーマカレーまで作れるんだな」
始めてみれば、料理もなかなか楽しいものだ。簡単なものしか出来ないが、尾上さんは美味しいと言って食べてくれるから気分が良い。隠し味と愛情を加えているが、このキーマカレーだってルーを買ってきてレシピ通り作っただけだ。
「これコンソメスープ?」
「そう。野菜切って煮ただけですけどね」
カレーだけじゃ素っ気ないからと、キャベツと人参を放り込んで適当に作ったスープも形にはなっている。中途半端に余った人参も消化できたし。お互い野菜嫌いじゃなくて良かった。まあ、俺は野菜が好きとまではいかないんだけれど。
いっぱい食べる尾上さんを目に焼きつけるのも楽しいけれど、今日は言わなきゃいけないことがある。
「その……わりと大事な話があるんですけど、いいですか」
「……どうぞ」
俺がそう前置きをしたものだから、尾上さんはカレーを食べるのをやめてしまった。緊張させてしまっただろうか。
「良い話だと思うから、大丈夫ですよ。尾上さんが良ければですけど……うちに住みませんか?」
「え?」
尾上さんは目を丸くしたあと、唇を結んで小さく頷いた。照れているんだろうか。そんな姿も可愛らしい。思ったより好感触で、言ってみて良かったなと思う。
「迷惑じゃないか?」
「迷惑だなんてとんでもない! 尾上さん、全然生活力ないから心配なんですよ……」
百パーセント本心ではあるのだが、余計なことまで言ってしまったと言い終わってから気がついた。尾上さんの習慣には、出来るだけ口を出さないと決めていたはずなのに、完全に油断していた。
甘い雰囲気は一瞬でどこかへ行ってしまったようだった。尾上さんは目を思い切り細め、あからさまに不機嫌になった。完全に俺のせいだ。
「失礼な。あんな感じの生活で二十年は生きてるんだぞ」
でも、それじゃ痩せちゃうんだよなあ。
「ごめん。俺は尾上さんに健康でいてほしいんです。良いもの食べてほしいし。俺もそんなに料理上手じゃないけど、練習したら上手くなりますから」
家で何かしら食べさせているからいいものの、放っておいたらそのうち倒れてしまうんじゃないかと心配になってしまう。これはただのお節介だ。
尾上さんは俺より年上だ。彼の言うとおり二十年間その生活が成り立っていたのなら、さすがに余計なお世話なのだろうか。これ以上は言わない方がいいのだろうか。
「一緒に住みたいって言ってくれるのは嬉しい。……けど、お前に迷惑かけるのは嫌だ」
気を使ってくれているのも分かるけど、それ以上にプライドが許さないんだろう。意外と見栄っ張りで意地っ張り。俺の言い方も悪かったから、負担になりたくないと思わせてしまったのかもしれない。
俺らしくない。少し、いやだいぶ焦ってしまった。もっと上手く言えたら良かったのにと少し後悔した。
「俺は迷惑だなんて思ってないですよ。それに、料理は俺がするけど、洗濯と掃除は尾上さんにお願いしようかなって。だからお互い様なんですよ」
尾上さんの世話を焼きたい、健康で笑顔でいてほしいけれど、一方的なものじゃダメだ。二人で住むなら、二人で生きていかなきゃいけない。
「でも、無理なら無理で断ってくれてもいいからね」
俺だけ突っ走ってもダメなんだ。
尾上さんは腕を組んで、ゆっくり息を吐いた。
「……ほ、ほんとの本当に、俺と一緒に住みたい?」
少し恥ずかしそうに、自信なさげに言うものだからいじらしくて抱きしめたくなってしまう。大きく頷いて、自分の中で一番の笑顔を見せた。
「一緒に住みたいです。俺、尾上さんと一緒にしたい事がいっぱいあるんです」
例えば、朝起きて尾上さんの朝食を作りたい。曲がったネクタイを直したいし、尾上さんには行ってきますのキスをしてほしい。風呂上がりの髪を乾かしてあげたいし、同じベッドで眠って同じ夜を過ごしたい。
尾上さんはどうですか? 同じ気持ちでいてくれるのかな。
「俺もお前にただいまって言いたいよ」
「じゃ、じゃあ……」
「うん。ここに引っ越す」
尾上さんは目を細め、口を引き結ぶ。そのニヤケ顔を隠すようにキーマカレーをがっついて、最後の一口まで残さず食べてくれた。
「あのさ……またこのカレー作って」
「もちろん!」
同棲の許可が下りたことも、俺のカレーを気に入ってくれたことも全部が嬉しい。尾上さんが引っ越してきたら、色んなものを食べてほしい。手の込んだものを作れたら、もっともっと喜んでくれるかな。
「あと、玉子焼きも食べたい」
「いいですね。形は悪いと思うけど作ります」
甘いのが好きなのか、しょっぱいのが好きなのか、それとも出汁が効いたものが好きなのか。それもすり合わせていけたら良い。尾上さんの好きな味をこれから覚えていけたらいいな。
無味無臭、昔からなにも変わらない、静かでつまらない日々を送っていたのだ。日も陰り冷たく暗い部屋から飛び出せたのは高松のおかげだ。
元々二人入居可能な物件だったこともあり、手続きはスムーズに進んだ。ルームシェアだと説明したし、しばらく高松が一人で住んでいたから、家賃の滞納もないと判断されたらしい。あれよあれよというまに同棲まで漕ぎ着けた。荷物が少なかったのもあり、引越し自体も難なく終わった。
拍子抜けするほどあっという間だった。初めの頃は無駄に緊張して、不動産屋に向かう足取りも重かったのに。
高松には黙っていたが、これまで同棲が上手くいった試しがない。そりゃあ、高松に同棲したいと言われれば嬉しいし浮かれてしまうが、今まで自分なりに試行錯誤してもなお失敗してきたから、慎重にもなるし臆病にもなる。
正直、高松じゃなければ断っていたと思う。高松は俺の嫌がることをしないし、付き合ってからは必要以上にこちらに踏み込まなくなった。俺のことを心配すれど、わざとらしくないし、それを押し付けるようなこともしない。そりゃ、多少の衝突はあるけれどあまり気にならないレベルだ。たぶん、気を使ってくれているんだと思う。高松といると楽だ。人前ではうるさいくらいなのに、二人でいるとそうでもない、本当に不思議な男だ。
土曜の昼に荷解きをして、物が増えていく部屋を見渡した。空いていた部屋をもらってパーソナルスペースは確保した。好き同士でもずっと一緒にいると不便なこともあるし、高松もそれを心得ているようだった。
お揃いのマグカップ、真新しい歯ブラシ。高松の家に増えていく私物。なんだか気恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しくて胸の高鳴りを抑えられない。前の家から持ってきた服や本、それとゲームも片付けなければ。家電は古い物も多く、ほとんどを処分し、棚は新調した。
高松は休日出勤でいないが、荷物も少ないし、彼の手を借りずともすぐに終わるだろう。窓を開ければ、少し埃っぽい部屋に爽やかな風が通る。
──ここが新しい自分の部屋。高松と共に暮らす場所で、ここから俺たちの生活は始まる。まだなにもかもが始まったばかりで、決めていない事も多い。上手くいくかどうかも分からない。それでも、晴れ晴れとした気分だ。日当たりもよく、西日が差し込む部屋は春の陽気に包まれていた。
物音でハッとする。片付けを終えたら暇になってしまい、本を読んでいたらだいぶ時間が経っていたようだ。時計を確認すると十八時頃で、高松が帰ってくる時間になっていた。ざっと二時間はかじりついていたらしい。栞を挟んで本を閉じると、早足で玄関に向かった。
玄関で靴を脱ぐ高松と目が合った。スーパーの買い物袋を提げている。
「あ……そっか。今日から尾上さんいるんですよね」
そう言って優しく微笑むものだから、俺まで笑みがこぼれてしまう。月並みな表現だが、胸の奥があったかく感じて、これが幸せなのだとそう思った。
今日からここは二人の住処。一緒に生活する人がいて、帰りを待つ人がいる。今日も一日お疲れ様。無事に帰ってきてくれたことが何より嬉しいよ。
「高松」
両手を広げた。彼は意図を察して歩み寄ってくれた。
「お疲れ様」
そっと抱きしめて目を瞑る。肩口に顔を寄せると、香水の残り香と汗の匂いに混じって甘い彼の匂いがする。首筋にかかる息遣い、俺より少し高めの体温。仕事終わりで疲れているだろうに買い物にまで行ってくれて、本当に気が利いて頑張り屋で優しい男だ。本当に、俺にはもったいないくらいの恋人。今は彼の全部を感じていたかった。
「ありがとう。ただいま、尾上さん」
彼がどんな顔をしているのか気になって目を開けた。そこには、少し恥ずかしそうに微笑む高松がいた。どうしようもなく胸が高鳴って、ときめいてしまうこの気持ちをきっと高松も持っている。
「……おかえり」
その言葉が気恥ずかしくて、隠すように口付けた。唇は、とろけるように甘い。
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