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第4話 氷の王

 王の居室がどこにあるのかは知らない。だが、王の部屋なのだ、奥の方にあるに決まっている。シリルは入口から逆の方向へと向かった。  奥へと進み、何回か曲がり角を曲がった頃。   「っ!」    曲がり角を曲がろうとすると召使いと思しき人影が見え、シリルは壁に張りついた。  若い召使いで、トレーを手に持っている。    見つかれば間違いなく誰何される。先ほどと同じく「新しい下働きです」と嘘をついても、召使い相手では通じないかもしれない。    息を殺し、別の方向へと去ってくれと願う。だが無常にも、召使いはシリルのいる方へとどんどん近づいてくる。  ついに召使いは曲がり角を曲がり、壁に張りついているシリルと鉢合わせた。   「……」    だが召使いはぼうっとした表情のまま、シリルを一瞥もせずに横を通り過ぎていった。何が起こったのかわからなかった。   もしかして、気づかれなかったのだろうか。随分と愚鈍な召使いだ。よほど疲れていたのかもしれない。    シリルは人が来るたびに、曲がり角や近くの部屋に隠れるといったことを繰り返し、奥へと進んだ。もっと人がたくさんいると思ったのに、不思議と人気は少なかった。    隠れては進んでを何度繰り返しただろうか。  また召使いが来る気配を感じ、シリルは手近な部屋へと飛び込んだ。そっと扉を閉じ、振り返って室内を見回す。瞬間、驚きに息を呑んだ。   「……っ!」    扉とは反対側の壁に布が張られていた。  布は上から金具によって吊り下げられているようだ。近寄って観察してみると、金具はレールに繋がっているのがわかった。手で簡単に布をどかすことができるだろう。    布でただの壁を隠したところで、何の意味もない。ならばこの幕の奥に隠されているのは……唾を飲みながら幕を開けた。  まるで猛獣が硝子の向こうのシリルに噛みつかんと、襲いかかってきているようだ。  それが、外の世界を初めて見た瞬間に思い浮かんだことだった。    幕の向こうにあったのは硝子製の壁だった。これが窓というものかと理解した。    窓硝子を猛然と白い何かが殴りつけている。何度も何度も白い息のようなものに殴られている窓からは、ひやりと冷気が室内に染み込んでくるのを感じた。  外は本当に極寒の世界なのだ、と肌で感じた。    シリルはバックパックを下ろすと、恐る恐る窓硝子に手を伸ばして触れた。鋭い冷たさが伝わってくる。窓はよくよく見れば、二重になっているようだ。    シリルは戸惑った。  本当に外の世界は極寒の世界で、何もないとしたらどうすればよいのだろう。   「……よし」    迷った末に、シリルは心を決めた。    よくわからない白い風が塔を冷やしているのだとしても、塔の周りだけかもしれない。外に出てみれば、素晴らしい世界が広がっているかもしれない。    何があろうと、まずは外に出てみようと決意した。    それにしてもこの白い風はなんなのだろう、と目を凝らして窓の外を見つめていると。   「それは吹雪だ」    不意に室内に声が響き、シリルはビクリと震えた。    さっと振り向くと、扉を開けて若い男が入ってくるところだった。    男の容貌に視線が惹きつけられる。  長く伸びた艶やかな漆黒の髪に、透徹とした蒼い瞳。人形よりも無表情な顔は、同性のシリルにすら美しく感じられるほど超然と整っている。頭には王冠を戴き、黒い毛皮から青い布が伸びたマントをまとっている。男が高貴な存在であることは……いや、高貴どころかこの塔の頂点に君臨する存在であることは明白だった。シリルは王の居室を探り当てていたのだ。    よくよく見回してみれば、天蓋付きの寝台や衣装箪笥、鏡台など豪華絢爛な家具で部屋は彩られていた。窓しか目に入っていなかった。    この塔で一番偉い存在、王。それが目の前にいる。    今すぐバックパックから布を取り出して窓から外に飛び出さねば、兵を呼ばれる。  そう思うのに、王から目が離せなかった。蒼い瞳が、あまりにも硝子玉めいて生気がなかったからだろうか。門番や召使いの茫洋とした表情とは種類の違う、病的な生気のなさだった。   「金目の物に目もくれず、吹雪に見入っているとは随分間抜けな泥棒もいたものだ」    男の声音に、氷を連想した。下層でも下の方に行くと、あまりの寒さに水が凍りつくことがある。その冷たさを連想させられる声だった。男に触れれば、身体が芯まで冷えてしまうのではないか。そう思わされた。    凍てついた声音に頬を打たれたかのように、王に見惚れていたシリルは正気に引き戻された。心臓が早鐘のように打つ。   「オレは、泥棒じゃありません」    シリルは反射的に答えた。  よりにもよって王に見つかったという戸惑いと、泥棒に間違われそうだという焦りが胸を焦がす。   「主の許可なく部屋に侵入する者が、泥棒以外のなんだというのだ? どれ、顔をよく見せてみろ」    王は兵士を呼んでくるどころか、こちらへと歩みを進める。舐められているのだ、と感じた。こちらは腰にナイフを提げているのに。    思えば、王こそがこのくそったれな世界を作り出した元凶ではないか。王の治世がもっとマシならば、エミールが死ぬこともなかったのだ。  王に対する怒りが湧き起こってくる。   「違う、オレは外に出たいんだ! 塔の外に!」    怒りにより、口調が強くなる。    目の前まで来た王を、シリルは睨みつけた。王の方がシリルより頭一つ分は上背があり、見上げる形になった。間近で見ると、蒼い瞳を長く黒い睫毛が縁取っているのが見えた。非人間じみて美しいと感じた。   「はっ、死の世界に自ら飛び出したい者がいるはずがなかろう。よく口の回る鼠……だ……」    シリルの翠緑の瞳と王の蒼い瞳が交錯した瞬間、蒼い瞳が大きく見開かれた。まるで何かに興味を抱いたかのように。いや、興味を抱いたどころか魅入られたかのように、シリルを凝視した。硝子玉のようだと思った印象が、様変わりした。青玉に爛々とした光が宿る。   「お前は……」    王はシリルに手を伸ばし、くいと顎を上げさせた。  そして――唇を奪われた。   「ッ⁉」    咄嗟のことで、避けられなかった。    合わさった唇の間から、湿ったものが口内に侵入してくる。入ってきた舌先は無遠慮にシリルの口蓋や舌を舐め回した。  王は舌でシリルの口内を蹂躙してくる。    なぜ突然こんなことをされているのか。極度の混乱により不快感すら麻痺して、抵抗するという発想が瞬間的に思い浮かばない。    シリルの中から何かを啜ろうとしているかのように、王は舌と舌を絡ませてねっとりと舐った。  ハッとして王の胸板を押して逃れようとした。だが王は逃げられぬように、シリルの後頭部を掴んだ。シリルは王の衣服を掴んで、皺を作ることしかできない。    王がシリルの口内を舐る舌遣いからは、執着心めいたものすら感じる。理解できない異様さに恐怖を覚えているのに、舌を舐められた瞬間にぞわりと不快感以外の感覚が走ることがあるのが悔しい。    長い時の果てにやっと舌を引き抜かれた時には、シリルは息も絶え絶えだった。   「ははははっ、なるほどそういうことか。これが『楽士』か……!」    よろよろとその場に崩れ落ちたシリルを見下ろし、王は笑い出した。   「まさか『楽士』が隠語だったとはな。それもそうか、子孫が目にする公式文書に真相を書き記せるはずもないか」   「何を、訳のわからないことを……っ!」    奇行の意味はわからないが、怒りは倍増し腸が煮えくり返る。   「寝台に行くぞ」    怒りをぶつけようとしたが、王はシリルの身体を抱き上げてしまった。シリルよりも上背があるとは言え、成人男性の身体を軽々と抱き上げるとは。細身に似合わぬ膂力だと感じた。   「し、寝台って」   「古文書には『王は時おり楽士を部屋に呼び、妙なる調べに慰みを得て、御力を癒した』とあった。私も先代も先々代もそれを字義通りに受け取って、音楽家を養成した。それはすべて無駄だったというわけだ」    王はぶつぶつと呟きながら、シリルの身体を寝台の上に横たえさせた。   「説明になってねえ! お前はオレをどうする気なんだ!」    恐怖に押し潰されそうになりながら、懸命に怒鳴った。不敬だと言われようが、怒りという仮面を被っていないとこの意味不明な状況にどうすべきかわからない。   「どうする気かって? ……お前を抱くのだ」    王が寝台に上がり、氷の瞳がシリルを見下ろした。   「は……? てめえ、何言って」   「『てめえ』ではない。私の名前はアロイスだ」    王は、アロイスはシリルの衣服に手をかけると無理矢理引き千切った。貧相な糸で縫いつけられていたボタンは簡単に弾け飛んだ。シリルの白い肌が露わになる。   「や、やめろっ!」    シリルの身体は片腕で簡単に押さえつけられ、毟るように服を脱がされた。シリルの衣服だったものは放り捨てられ、一糸まとわぬ姿にされた。ナイフは服と共に放り投げられた。  服を脱がされると、虚勢まで一緒に剥がされてしまったかのような頼りない気分になった。   「ひっ!」    足を開かされ、中心が空気に晒される。本当にアロイスは自分を犯すつもりなのだと悟り、恐怖に身体が固まった。  アロイスの指が、強引にシリルの穴を割り開いた。いきなり二本の指を挿し入れられ、痛みが走る。   「ひっ、あ……!」    中を割り開かれる痛みに、涙が零れ落ちた。逃げる気力さえ失われ、目を閉じて我慢した。  しばらくして苦痛の末に、やっと指が引き抜かれた。  ほっと息を吐くと、指を引き抜かれたばかりの穴にすかさずもっと太いモノが充てがわれた。   「さあ、私に力を寄越せ」    訳のわからない言葉と共に、シリルの身体は貫かれた――。

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