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第5話 籠の小鳥

 目が覚めると、シリルは鎖に繋がれていた。    身体は見知らぬ衣服を纏っており、寝台に寝かされていた。手首にかけられた手錠から伸びた鎖は、寝台に繋がっていた。シリルは捕らえられたのだ。    目を覚ましたシリルは、恐る恐る周囲を見回した。室内に窓がないこと、家具が比較的質素なものに変わっていること、間取りが違うことから、ここが王の居室でないことがわかる。  アロイスは周囲にいないようだ。   「窓があんなに近くにあったのに……!」    窓から塔の外に飛び出して布を広げるだけ、だったはずなのに。鎖に繋がれ、布をしまっておいたバックパックがどこにあるのかもわからない。おまけに窓のない部屋に閉じ込められてしまった。  このままでは塔の外に行くという夢が果たせない。   「くそっ!」    シリルは力任せに鎖を引っ張った。途端にズキリと腰の辺りが痛んだ。    アロイスにされた行為がフラッシュバックする。何度も何度も甚振られた。無理矢理、後ろの穴を押し拡げられた感覚がまだ残っている。  思い出しただけで、抑えがたい怒りが込み上げてくる。    なぜあんなことを突然されたのかわからない。アロイスは王宮に忍び込んだ盗人を捕えて、拷問する嗜好があるのだろうか。泥棒ではないのに。   「目覚めていたか」    扉が開き、アロイスが入ってきた。冷徹な視線をシリルに向ける。  冷たさは同じだが、初対面の時に感じた病的な生気のなさは感じられなかった。あれは気のせいだったのだろうか。    無遠慮な視線に、シリルは恐怖と怒りを覚えた。負けるものかと、睨み返す。恐怖を見せてはならないと強がった。   「礼を言おう。お前が盗みに入ってきてくれたおかげで、楽士を発見することができた」   「だからオレは泥棒なんかじゃ……って、楽士だって?」    昨日のように怒鳴ろうとしたところ、聞こえてきた単語に眉を顰める。  楽士が見つかったのなら、塔の者すべてにとって喜ばしいことだろう。素直に喜べる心境ではないが。   「それがオレに何の関係があるっていうんだ」   「まだ気がついていないのか? お前がその楽士なのだ」   「は……?」    耳を疑った。アロイスが何を言っているのか理解できない。王は狂っていたのか。   「待った。オレは楽器なんか弾いたことないし、お前の前で演奏したこともないだろ」   「楽士を文字通り音楽を奏でる者のことだと解釈したのが、そもそもの間違いだったのだ」    蒼い瞳がひたりとシリルを見据える。   「お前の顔を間近で見た瞬間、激しい渇きを覚えた。身体に熱が灯り、お前が欲しくなった。交われば、王の力が回復するはずという確信が湧き起こってくるのを感じた。本能的に理解できた、お前が楽士なのだとな。楽士とは、交わることで王の力を癒す者のことだったのだ」   「そんな……」    彼の言葉が信じられず、シリルは口を開け閉めした。    ――交わることで王の力が回復する? そんな醜悪なことがあり得ていいのか?  音楽が関係ないのだとしたら、必死に演奏の腕を上げようと励んでいたエミールの努力はすべて無駄だったというのか。   「最後に楽士を抱えていたのは、三代前の王だった。楽士とまぐわうことで力を回復させていたという事実を、恥ずべきことだと考えていたのだろう。だから事実を隠してしまった。……まったく、非効率的なことだ」   「非効率だって? 恥ずかしく思うのは当然だろう?」    まだ信じがたいが、アロイスの言いざまに反射的に言い返す。こんな悍ましいこと、隠したいと思って当然だ。   「何を言っている? 王とは、塔を永らえさせるためならば何でもする存在であるべきだ。でなければ、存在している価値などない。三代前の王は、楽士がどのような存在か正確に情報を残すべきだった」    冷たい瞳の色に、シリルは確信した。目の前の男は、心まで氷でできているのだと。人の身体を蹂躙したことなど、なんとも思っていないのだ。   「く……っ、またオレを犯す気なのか?」    守るようにぎゅっと自分の身体を抱き締める。   「私を色情魔かなにかと思っているのか? 力は癒したばかりだ、その必要はない」    アロイスは冷たい表情でシリルを見下ろす。   「じゃあ、この鎖を解け! 必要ないんだろう?」   「鎖を解いたら、逃げるだろう。下層は狭いとはいえ、探しに行くのは面倒だ。どこかでのたれ死なれても困るしな」    アロイスはシリルを捕えておき、また犯す気なのだ。    シリルは決意した。ここから逃げ出してやると。こんな男の好きになんかさせない。絶対に塔の外の世界に出るのだ。シリルはまだ夢を諦める気はなかった。   「盗人は指を切り落とすと法で決まっている。お前は楽士だから、捕らえられるだけで済んでいるのだ。自らの幸運を喜びたまえ」   「だから、オレは盗人じゃない!」   「ふん」    シリルの叫びを、アロイスは鼻で笑った。信じる気は毛頭なさそうだ。   「食事や排泄の世話などは、侍従に任せる。なにか不都合があれば、そちらに言え。もっとも、外に出せという要求には従えないがな」    排泄すら他人の世話にならなければならないという事実に、愕然とする。シリルは寝台に繋がれている。これでは確かに、他人の手を借りなければ寝台を排泄物で汚すことになる。   「なんで用もないのにここに来たんだ」   「は?」   「世話は召使いに任せたんだろ。なんでわざわざこの部屋に来たんだ」    わざわざ捕らえられている様を笑いに来たのか、とシリルはアロイスを睨んだ。  彼はシリルを見つめたまま石のように動かなくなってしまった。無視する気なのかと思っていたら、ぽつりと呟くように零した。   「……時折様子を見に来るくらいは、捕らえた者の責務だからな」    氷の王はくるりと踵を返し、部屋を去っていった。  それから、シリルの虜囚の日々が始まった。    食事の折は召使いが匙からスープをシリルの口に運び、パンは千切って与えられた。排泄は召使いが差し出した桶の中にするように言われ、一日に一度身体を布で拭いて洗われた。    世話をしてくれる召使いは決まって同じ人で、人のよさそうな老爺だ。白髪を後ろに撫でつけていて、いつも清潔感がある。    飢える心配がないのはいい。衣服は身体を洗う際に毎回取り換えられるが、シリルが下層で着ていた物よりも上質だ。おまけに部屋はぽかぽかと暖かく、凍える心配はない。   だが人間としての尊厳がない。何から何まですべて他人に世話されないとできないなんて、まるで赤子ではないか。   「あの、手錠を外してくれませんか?」    捕らえられて二日目、シリルは召使いの老爺に頼んだ。  召使いは困ったように目を伏せる。   「自分の手で飯が食えないんじゃ、情けなくて仕方がないんです」    丁寧に頼み込んだ。    シリルは手錠を外させることで、隙をついて逃げ出すつもりだ。手錠が外れれば、鎖の縛めからも解かれる。この部屋から出て自分の荷物を見つけて回収し、王の居室の窓から外に飛び出すのだ。    召使いは戸惑ったように視線を彷徨わせると、こう言った。   「私は手錠の鍵を持っていませんので……陛下に許可をいただけるか、尋ねて参ります」   「なんですって?」    召使いを止めようと思ったが、その前に部屋を去ってしまった。  あの王に知らされたら、逃げ出そうとしていることがバレてしまうのではないか。アロイスにはそう思わせる空気がある。    少しして、召使いがを連れてきた。   「手錠を外して食事をしたいそうだな?」    アロイスが手錠のものと見られる鍵を手に、薄く笑っている。彼の笑みに、企みが看破されているのではないかと嫌な予感がする。   「よかろう。自らの手でパンをちぎり、匙を掴むことを許可してやろう」    アロイスは手錠に鍵を差し込んだ。かちゃりと軽い音と共に、手錠が外された。    自由だ。すぐさま立ち上がって、走り出すこともできる。だがアロイスがすぐ傍にいる。走り出しても、止められる様しか想像できない。  今回は大人しくして、アロイスや召使いが油断する時を待つのがいいだろう。    シリルは食事を始めた。逃げ出すための口実ではあったが、自分の手で食事ができると多少は自尊心が回復したような気がした。    二人きりにした方がいいとでも思ったのか、召使いが扉を開けて部屋を出ていこうとする。   「侍従長、少しいいか」    食事をしているシリルに背を向けて、アロイスが召使いを呼び止めた。  召使いの爺さんはどうやら、侍従長という役職らしい。思いのほか偉い人だったようだ、と認識を改めた。   「楽士の世話についてだが……」    なんと、アロイスは無防備に侍従長と話を始めた。    アロイスはこちらに背を向けたままだ。扉も開いている。今なら、駆け抜ければ部屋の外に出られるかもしれない。上手くすれば、塔の外に出られるかもしれない。  今回は大人しくしておこうと決めたばかりだが、この機を逃してはならないのではないだろうか。悩んでいる内に、アロイスが振り向いてしまうかもしれない。   「っ!」    シリルは食事の載ったトレイをどけると、猛然と走り出した。扉を抜けようと、駆ける。   「おっと」 「なっ!」    不意にアロイスが振り向き、シリルの腕を易々と掴んで止めた。   「そう来ると思っていたぞ」    アロイスはニヤリと笑う。   「お前は籠の扉が開いた途端、外へ飛び立とうとする小鳥のようだな。籠の中が至福の世界だとも知らず、無意味に自由を求める様がそっくりだ」    相変わらず細身に見合わない膂力をしている。シリルは掴まれた腕を振り解こうとしたが、ビクともしなかった。   「楽士の手錠は私が嵌めておくから、もう下がれ」 「は、はい!」    アロイスに声をかけられ、侍従長は扉を閉めながら立ち去った。   「やめろ、触るな!」    シリルの訴えを無視し、アロイスはシリルを抱え上げた。寝台へと運ばれる。   「お前が逃げ出そうと考えていることは、お見通しだ。あえて隙を見せて誘ったのだ。脱走など考えても無駄だと、思い知らせるためにな」    シリルは寝台に下ろされ、手首に再び手錠を嵌められた。  アロイスは細い指で鍵を手錠の鍵穴に挿し込む。軽い音と共に、鍵がかけられた。   「お前もこれで諦めることができたろう。ついでに、力を寄越してもらおうか」    アロイスは衣服の胸元を緩め始める。彼がこれから何をする気なのか、悟った。   「やめろ、変態!」 「変態だと? 心外だな、お前が楽士でなければ誰が触れるものか」    アロイスは冷笑する。本当にシリルのことなど、何とも思っていなさそうだった。彼にとっては自分など、犬猫に等しいのだろう。   「く……! 嫌なら触るな!」    こっちだってお前なんかに触られたくなんかない、と睨みつけた。アロイスはその視線を無視して、シリルを脱がせる。  シリルを脱がすと、アロイスはシリルの脚を持ち上げた。女のように細長い指なのに、掴まれた脚は少しも動かせない。   「そう、この衝動は……お前が楽士だからだ」    呟くと、シリルを犯し始めた。  蒼い瞳がずっと、シリルの身体の輪郭をなぞるように見つめ続けていた。  深い蒼が苦痛と共に脳裏にこびりついた。

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