8 / 32

第8話 気まぐれな優しさ*

 朝目覚めると、部屋に見慣れぬ物が増えていた。    寝台脇のサイドテーブルに、果物籠に加え遊戯盤が増えていた。寝ている間に、召使いが置いていったのだろうか。  間違いなくアロイスの差し金だとシリルは思った。贈り物で気を許すとでも思っているのだろうか。    遊戯盤の上には駒が整然と並んでいる。互いに一手ずつ駒を動かし、相手の「主神」の駒を取ることを目的とした遊戯だ。エミールが遊戯盤を持ってきてくれて、遊んだ経験がある。   遊戯の名は「神々の戦」という。駒は光の神側である白の駒と、影の神側である黒の駒に分かれている。    その昔、神々が光の神側と影の神側に分かれて戦争をしたという伝説にちなんでつけられた名だ。戦争というものがなんなのかシリルはよく知らないが、この遊戯のように大人数で戦うことを指すのだろう。  神々が大人数で戦い合うなんて、塔の中で起こったら大変だ。神々の戦争が本当にあったことだとしたら、それはきっと塔の外でのことなのだろうなとシリルは思った。   「いつもお早いですね」    ほどなくして朝食を持ってきた侍従長が、にこやかに声をかけてきた。いつも侍従長が来るよりも早くシリルの方が目を覚ましていることを、「お早い」と言っているのだろう。  当たり前だ、朝早くから仕事をしなければ飢える。だから早起きは習慣になっているのだ。どうせ王様であるアロイスは、遅くまでぐうたら寝ているのだろう。   「そこの遊戯盤は、あなたが?」   「いえ、私は持ってきておりません。きっと陛下が持ってきたのではないでしょうか」   「アロイスが?」   「昨日楽士様とあまりお話しできなかったのを、残念がっておりましたから」    侍従長の言葉に、シリルは渋面を作った。あまりにも信じられなかったからだ。    あっちから挑発してきた癖に、健気に贈り物を持ってきて寝顔を見て帰る? そんなアロイスの姿は、まったく想像できなかった。  きっと侍従長はアロイスの印象がよくなるような言葉を言わされているのだろう、とシリルは推測した。遊戯盤を持ってきたのも侍従長に違いない。   「さて、こちらが今日の朝食でございます」    今日の朝食も豪勢だった。パンとスープに加え、大きな皿に様々な量が少しずつ盛られている。一見しただけでは、名前のわからない料理もある。    どんな料理かわからなくても、食べないという選択肢はない。食べ物が目の前にあるのに、残すなんていう贅沢なことはできない。真四角の白い物体などいかにも不気味だったが、一口食べてみて挽肉を固めて焼いたものだとわかって大喜びで平らげた。    アロイスがシリルの部屋を訪れる間隔や時間帯はまちまちだ。朝に来ることもあるし、夜のこともある。連日訪れることもあれば、三日以上空くこともあった。  シリルは警戒していた。部屋を訪れる間隔がまちまちであっても、性交の間隔があんまり空くことはないからだ。次にアロイスが来る時は、また抱かれるだろう。    その日、アロイスが現れたのは夕方頃のことだった。   「宮廷料理が気に召したようで何より」    とアロイスは言った。   「宮廷料理?」   「宮廷料理が口に合わない可能性があるからな。今日の食事は様々な料理を少量ずつ出すようにと、料理人に命じておいたのだ。特に合鴨の挽き肉固めが気に召したようだと、侍従長が言っていた」   「あれ、合鴨の肉だったのか」    道理で初めて食べる味だと思ったと、シリルは呟いた。    植物は王の力で生えてくる。他にも水や照明も王の力で保たれている。だが、動物だけは王の力でも生み出せない。家畜を飼育している人は、決して絶やさぬように大切に育てている。  ところが十数年前に、合鴨の間に病気が流行り数が激減してしまった。以来、合鴨は上層民しか肉を口にできない高級肉となってしまった。  合鴨肉がああいう味だったとは。   「動物の肉だけでなく、魚のすり身を固め焼きにすることもできる。明日はそれを饗するよう、料理人に命じておこう」    魚のすり身もそれはそれで美味そうだ。想像して空腹を覚えた。  明日の食事が楽しみだ、なんて考えてハッとする。自分は塔の外に出なければならないのだ。食事を楽しみにするなんて、アロイスの思惑に嵌っている。自分は餌付けされて懐く犬などではない、断じて。   「……遊戯盤には触れていないのか」    駒が整然と並んだままの遊戯盤を見やり、思わずといった風にアロイスは零した。   「そりゃそうだろ、一人でどうやって遊ぶんだ。遊戯盤は二人で遊ぶもんだろ」   「二人で……?」    シリルの言葉に、アロイスは不思議そうな顔をした。   「白の駒と黒の駒を交互に動かせば、一人でも遊べるであろう」   「なんだよその変な遊び方、何が楽しいんだよ。さては、一度も二人で遊んだことがないんだろ」    意地悪で冷たいアロイスと遊びたい人間なんて誰もいないに違いない、と思って言った。  アロイスの瞳が動揺に揺れたように見えた。   「……先代が生きていた頃は、遊戯盤の相手をしてもらうこともあった」    蒼い瞳が、過去を思い出す様に遠くを見据えた。   「先代ってことは、お前の父親ってことだよな?」   「そうだ。幼い時分は、父が遊戯盤で遊んでくれることもあった。だが父は忙しくてな。一人で遊ぶ方のことが多かった」    そこで初めて、シリルはアロイスが王にしては酷く若いことに気がついた。今まで、彼の若さなど気に留めたことがなかった。恐らくはシリルと同年代か、少し年上ぐらいだろう。親方が死んで工房長を継ぐことになった、自分の境遇を想起させられた。   「先代ってことは、お前の父親はもう……」    何もなければ、こんなに若い人間が王を継ぐことはないだろう。つまり……。   「父は流行り病に倒れ、お隠れになった。母は身体が弱い人間だったらしく、私を産んだ時に亡くなっている」    アロイスは淡々と答えた。だが、言葉の内容にシリルは胸を打たれていた。   「オレも一緒だ。両親は、流行り病にやられたって親方から聞いてる」    シリルには、両親の思い出などほとんどない。それくらい小さい時のことだった。だがアロイスは違うのだ。死別の傷は深く残っているのだろう。親方が死んでしまった時の自分のように。  今まで理解不能だと思っていたアロイスに、つい自分を重ねてしまった。   「そうか、流行り病に……。あの病の流行は、塔にとって大きな災禍であったな」    塔を寒さから守り木々や水などを生み出す王でも、病はどうにもできない。病の流行は凄まじく、王すら倒れたという話は聞いたことがあった。だが、そんな話すっかり忘れていた。王なんて雲の上の存在で、自分とは関係ないと思っていたから。   「ああ……」    アロイスとシリルの間に、しんと沈黙が落ちた。  なんと言ったものかわからず黙っていると、アロイスはそっと寝台に近寄り、シリルの手に触れてこう言った。   「さて、そろそろ務めを果たしてもらいたい」    彼の言う務めとは、まぐわうことだ。  そうだこういう奴だった、とシリルは思い出した。同情なんかしたのが馬鹿みたいだ。    濃厚な薔薇の香りが、呼吸を邪魔して息苦しくさせる。尻に塗りたくられた香油の匂いだ。  初めての時は指だけで拡げられたが、今は香油を塗られて後ろを拡げられることが多い。   「……っ」    入口に彼自身をあてがわれ、挿入される。  アロイスと繋がりながら、シリルは目をつむってそれに耐えている。    身体の力を抜けば、接合の苦痛に上手く耐えられることを覚えた。少しの間耐えさえすれば、男に犯される屈辱の時間は過ぎ去る。  入口を拡げ、挿入し、事務的にピストンし、外に出す。アロイスの行為はいつもそんな調子だった。    速くなってきた律動に、終わりが近いことを悟る。もうすぐモノを引き抜いて、適当な布で精を拭き取るはずだ。    ところが今日は違った。   「く……っ」    アロイスが呻いたかと思うと、どろりとした感触が中に溢れてくるのを感じた。中に出されたのだ。   「すまない」 「え……?」    中に出されたことよりも、彼が口にした言葉の方に驚きを覚えた。    ――今、すまないと言ったのか。アロイスが謝った?  シリルは耳を疑った。    モノが引き抜かれ、接合が解かれる。同時に行為の終了を察したのか、ドアがノックされる。行為の後はいつも侍従長が世話をしてくれて、シリルの身体を清潔にしてくれる。    入れ、とアロイスが命じて侍従長が入ってくるはずだ。そう思っていたら、なんとアロイスの方から歩いてドアの方へと向かった。  小さくドアを開け、アロイスは侍従長と低い声で短くやり取りをする。やり取りを終えたアロイスは、桶と清潔な布を手に戻ってきた。   「今夜は私が身体を拭く」    アロイスは無愛想に短く言った。   「へ? なんで?」    理由がわからず困惑するシリルをよそに、彼は温かいお湯がたっぷり満たされた桶の中に布を浸し、布を絞る。庶民的な動作を行うアロイスを、ついぼうっと見つめてしまった。    彼は布をシリルの肌に滑らせる。首、胸、肩……と汗が拭き取られる感触が気持ちいい。  全身を拭き終わると、シリルはアロイスを背もたれにするように上体を起こされる。彼は後ろから手を伸ばすと、シリルの入口に触れた。   「やめろっ!」 「中から掻き出さねばならないだろう」    接合に使う場所に触れられた抵抗感から暴れようとすると、耳元に囁かれた。ぞくりと走った感覚に、シリルは思わず動きを止めた。   「いい子だ」    アロイスはシリルの穴に二本の指を挿し入れた。先ほどまで繋がっていた場所は、容易く彼の指を受け入れた。  細長い指が、シリルの中を探る。指が中に出された精を掻き出していき、その度に湿った音が響いた。    いつもと変わらない手つきだ。なのに、いつもより優しく感じる。   「ん……っ」    変な吐息が漏れ出てしまった。妙な気分になってしまう。   「ん?」    ふと、指の動きが止まった。    どうしたのだろう、とシリルは視線を下げる。  彼の手が止まった理由はすぐにわかった。シリルの中心が兆していたからだ。  苦痛なだけのまじわりの中で、今までシリルのそこが反応したことはなかった。   「ほう」    興味深そうな声に、肩越しにシリルのそこを覗き込んでいるであろうことが感じ取れる。羞恥に頬が発火しそうなほど熱くなった。   「――抜いてやろうか?」    囁き声に、心臓が大きく飛び跳ねた。   「なっ」    アロイスはシリルの返答を聞くことなく、シリルの中心に手を伸ばした。  細長い指がシリルのモノに絡み、扱き始めた。接合とは違い、直接的な快感が襲ってくる。   「……っ」    思わず声が出てしまいそうになり、唇を噛み締めた。  彼はシリルのモノを扱き続ける。感触に反応して、先端から蜜が滴り始めた。彼が手を動かす度、ぬちゅぬちゅといやらしい音が響くようになる。   「あ……っ」    ついに声が漏れ出てしまった。   「そんな愛らしい声が出せたのか」    アロイスが驚いたように呟いた。   「あ、愛らしい……?」    アロイスの言葉にシリルの方が驚いた。自分が愛らしいだなんてそんなわけはない。ましてや、アロイスがそんな風に感じるなんて。  きっと嫌味なのだ。シリルはそう思うことにした。   「あっ、あ……っ、ん……っ」    射精感が高まってくるのを感じる。   「シリル。私の手の中に出せ」    囁きに、再び驚く。本当に今日の彼はどうしてしまったのだろうか。手の中に精を出される不快感を、自分のために我慢してくれるだなんて今までの彼の印象と真逆だ。   「あ……っ!」    扱く手の速さが増し、シリルはあっけなく果ててしまった。否応なく彼の手の中に精を出すこととなった。  アロイスは手の中に出された精を布で拭き取ると、桶の中の湯で布を洗う。最後に後ろの入口から掻き出した精を拭き取ると、服を着せてくれた。   「……それでは」    アロイスはさっさと自分の衣服を整えると、そっけない言葉と共に去ってしまった。いつもと同じように。  意外な言動の数々は、ただの気紛れだったのだろうか。

ともだちにシェアしよう!