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第11話 死への衝動
彼の言葉に、空気の吸い方がわからなくなった。
胸がいっぱいなのに、息苦しくてたまらない。
「違う、オレは……」
「前向きな死への衝動、それが塔の外に出たいという感情の正体だ。外への憧れだけでは留まらず、王宮に侵入してまで実際に外に飛び出そうとした。それは、死への衝動だからだ。そうだろう?」
「オレは……」
死にたいなんて思ったことはない。彼の言い分はまるで的外れだ。そう言ってやるだけでいいのに、なぜだか息が詰まって言葉にならない。
「だから私は、お前を諦めさせたかった。私は生の楔に囚われているのに、突然現れて、檻から抜け出そうと藻掻く様をまざまざと見せつけてくるお前が気に食わなかった」
アロイスは窓辺から離れ、一歩一歩近づいてくる。
目の前に来た彼は、シリルに手を伸ばす。
「シリル、私と一緒に生きてくれ。この鳥籠 に共に囚われてくれ」
細長い指が、シリルの顎をくいと上げさせる。目が合うと、蒼い瞳が懇願の色を宿していることがわかった。
目を見て悟った。アロイスにとっては、シリルは初めてできた自分と同じ境遇の人間だ。なのに、自分は彼とは真逆の意思を固く宿している。それが、寂しかったのだ。
唇が近づいてくる。まるで誓いの口づけを求めているかのようだ、と感じた。
甘い誘惑だ。塔の中で彼と二人慰め合い、暖かな最上階で過ごせればどんなにか幸せだろう……。
「やめろ!」
シリルは手を振り払い、アロイスを突き飛ばした。彼は後ろによろめき、たたらを踏む。
「オレは絶対に諦めたりなんかしないし、死ぬつもりもない! オレは塔の外に死ににいくんじゃない!」
シリルは寝台の中に逃げ込み、毛布を深くかぶった。これ以上会話をするつもりはないという意思表示だ。
「シリル……」
切なげな声が聞こえたが、それ以上声をかけてくることはなかった。
夜が深まっても、アロイスが寝台の隣で寝ることはなかった。部屋には長椅子もあるから、きっと長椅子の上で寝たのだろう。
柔らかく温かい寝台にいくら横になっていても、シリルは眠れなかった。アロイスが明かした事実について考えていたからだ。
神々の戦がまだ続いていて、そのせいで塔の外が寒いだなんて。外には人が生きていける環境なんて、少しも残っていないのかもしれない。
諦めない、なんて決意に意味はあるのだろうか。
『自殺衝動だ』
アロイスがその言葉を口にした時の、息苦しい気持ちを思い出す。自分は決して死を望んだことなど、ない。あの息苦しい気持ちの正体は……。
「外に、出なきゃ……」
シリルは決意を固めた。
証明しなければならない、外を目指す意味はあるのだと。
苦悩しているうちに、いつの間にやら微睡んでいたようだ。
目が覚めると、昨日と同じくアロイスはもういなくなっていた。本当に朝が早い奴だ。
部屋にはシリル一人だ。
ティーテーブルの上には、遊戯盤が昨日のまま放置されていた。
寝台から抜け出すと、シリルは手首と足首を回したりして、軽く身体を動かす。囚われの身になっているうちに、すっかり身体が鈍ってしまった。
シリルには一つの考えがあった。
脱走できるかどうかは別として、外に出るだけならば今すぐできる。アロイスの居室に移されてから、何も無為に時間を過ごしていたわけではない。
その方法は、こうだ。
シリルは椅子を手に取り窓際に運ぶと、椅子を大きく振りかぶった。勢いよく窓に椅子を振り下ろす。ガシャンと派手な音を立て、一枚目の窓が割れた。
窓は二重になっている。まだ外気が直接吹き込んできたわけでもないのに、寒さが室内に染み入ってくる。
外はよほど寒いのだろう。出れば、きっとただでは済まない。
それでもシリルは、躊躇なく再び椅子を振り下ろした。甲高い音を立てて二枚目の窓が割れ、辺りに硝子片が散った。
途端、寒さがシリルの身体を突き刺した。猛烈な勢いで吹雪が室内に吹き込んでくる。床が白いもので覆われていく。きっと、これが雪なのだろう。初めて直接浴びた外の寒さは、刃のように痛切に身体を突き刺すかのようだった。
命を奪い得る寒さだ、と本能的に感じた。外に出れば死ぬ可能性がある。
それでもシリルは躊躇わない。窓に残った硝子片も、椅子の足で割っていく。椅子を床に置くと、シリルは窓から身を乗り出した。
外に出て初めて、シリルは吹雪がうるさいものだと知った。
吹雪が耳元で轟々と唸る。雪を含んだ突風がもろに顔に当たり、まともに外の光景は見えない。一面真っ白で、眼下には何も見えない。横を見ると、塔の縁にはでっぱりがあった。足を乗せることができそうだ。
下に下りる方法はないが、外に出られさえすれば何か変わるかもしれない。さらに窓から身を乗り出すと、でっぱりに向かって足を伸ばした。その間にも猛吹雪が身体に絶え間なくぶつかり続け、身体が苦痛を訴え続ける。それでも、なんとかでっぱりに片足を乗せることに成功した。
シリルの手が届く位置にもでっぱりがあり、それを掴む。慎重にもう片方の足も、でっぱりの上に移動させた。
でっぱりにしがみついているだけではあるが、シリルの身体は完全に塔の外に出た。ついに外に出ることに成功したのだ。
寒さであっという間に手足が上手く動かせなくなる。足を踏み外したら一巻の終わりだ、と思いながら慎重にでっぱりを横歩きに進んでいく。
進んで、進んで……ガシャリという金属音と共にシリルの歩みは止まった。首輪から繋がった鎖が伸び切っていた。
やはり、どうにもならなかった。外に出ることはできても、鎖を外さない限り離れることはできないし、下に安全に降りる方法はない。
激しい風がシリルをでっぱりから突き落とそうとしているかのように、猛烈に吹いてくる。気を抜いて足を踏み外せば、首輪に全体重がかかって窒息死するか首の骨が折れて死ぬだろう。死体となっても、下界に下りることすら叶わない。
逆側のでっぱりを進めば、何かがあるかもしれない。シリルは一旦、窓のところまで戻ることにした。
カチコチに固まった手足を慎重に動かし、来た道を少しずつ戻る。もはや大きく手足を動かすことはできず、小刻みに進むしかなかった。
進んできた時の何倍も時間がかかる。特に肌が剥き出しになっている顔と手の冷たさが酷い。冷えすぎたせいか、指先に感覚がない。窓まで辿りついたら、一旦室内に戻って身体を暖めたほうがいいかもしれない。とても逆側まで辿りつけそうにない。
もう少しで窓まで戻れる、と思ったその時だった。
「あっ!」
足を踏み外し、下に向かって身体が引っ張られる。手にぐっと力を込めて落下は阻止したが、片足を踏み外した勢いでもう片方の足も外れてしまった。
腕に体重がかかり、引き千切れそうだ。でっぱりを掴んでいるだけに過ぎないシリルの身体を、強風が煽る。
もう数秒ももたない。落下し、首輪に絞め殺されることだろう。
アロイスは首輪の先に繋がった自分の死体を見つけるのだろう。それを申し訳なく思った。
絶望させたくて、外に飛び出したわけではない。その逆だ。彼に希望を与えたかったのだ。
「アロイス……っ」
彼の名を呟いた瞬間、これ以上でっぱりを掴んでいられなくなり、手が離れた。
身体が重力に囚われる。
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