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第12話 奇跡
「――シリル!」
吹雪が吹きつける音しかなかった世界に、聞き慣れた声が割って入ってくる。
温かな手に腕が掴まれ、落下が止まった。
「アロイス……?」
見上げた顔は、見たことないほど必死だった。
「今引き上げるから、じっとしていろ!」
シリルの身体は、力強く引き上げられていく。
アロイスはシリルの身体を軽々と抱き上げられるくらい膂力があったが、それは片腕だけでも同じようだ。彼が怪力の持ち主である理由は、きっと神の血を引いているからだろう。
シリルは窓の上まで引っ張り上げられ、アロイスの身体に覆いかぶさるように室内に倒れ込んだ。
「氷のようではないか……!」
シリルの冷え切った身体に、アロイスは蒼白になる。
彼は慌てて首輪を取り外すと、シリルを抱きかかえて吹雪の吹きこむ部屋を後にした。素早く温かな部屋に移動させられ、寝台の上に寝かせられた。
アロイスはシリルの服を脱がせていく。このままでは衣服に付着した雪が融けて濡れ、さらに体温を奪っていくからだろう。
「陛下、一体何が!」
ドアの開く音がして、侍従長の声が聞こえた。
「シリルが窓を割って外に出た。早くお湯を!」
「かしこまりました!」
足音が遠ざかっていった。侍従長は去ったのだろう。
「シリル、死なないでくれ……!」
特に冷えている指先を、アロイスが手に取る。シリルの手を擦り、温めようとする。
それでは無駄だと悟ったのか、アロイスは自分の衣服を脱ぎ始めた。裸になると、シリルの身体を抱き締めた。素肌から直接、彼の体温が伝わってくる。彼の体温が、発火したかのように熱かった。身体を重ねたことは何度もあるのに、こんなにも彼が温かく感じたのは初めてだった。だんだんと身体が温まっていくのを感じる。
「シリル……そんなに私と共に生きるのは嫌だったのか」
痛切な声が聞こえてくる。アロイスはやはり、シリルが死のうとしたと考えているようだ。
「ちがう、オレは死のうとして外に出たわけじゃない……」
シリルは声を絞り出して言った。
「え?」
「むしろ死にたいって思っているのは、お前の方だろ。だからオレの無謀さが……お前には自殺衝動に見えた」
塔の外に出るという望みが自殺衝動だと断じられた時、息の詰まるような苦しさを感じたのは、アロイスの内側に死への渇望が見えたからだったのだ。一晩の時間を置いて、それが理解できた。
彼は死にたいと思っている。彼の父が亡くなってしまった時からの渇望だろうか。それとも不自由な生活のを過ごすうちに、希死念慮が育っていったのか。死にたいけれど、塔のためと言われて彼は生きてきた。初対面の時に感じた、病的なまでの生気のなさはきっとそれが原因だ。
「……その通りだ」
静かに認める声が、耳に届いた。
「オレは死のうとしてなんかいない。それに生命の神は絶望して塔を去ったってお前は言ったけれど、オレは違うと思うんだ」
「なんだと……?」
「生命の神は神々の戦争を止めにいったのかもしれないし、吹雪を止める方法を探しに行ったのかもしれない。決して塔を見捨てたわけじゃない。今もどこかで見守ってくれていると思うんだ」
考えた末に、シリルの辿り着いた結論だった。だから、シリルは外の世界への希望を捨てていない。
「一体、何を根拠にそのようなことが言えるのだ」
「王宮に入る時に、神様に助けられたからだよ」
シリルは、王宮に侵入する時に起こったことをゆっくりと説明した。適当に吐いた嘘がなぜか通り、召使いに目撃されても素通りされた。今思えば、神か何かの介入があったとしか思えない。生命の神が、楽士であるシリルとアロイスを引き合わせてくれたのだ。シリルはそう考えた。
「そんなことが……」
「オレがもう一回無茶なことをすれば、生命の神がまた助けてくれると思ったんだ。そうしたら、お前だって神様がいるって信じられるだろう」
「まさか、そのために?」
蒼い瞳が、大きく見開かれる。
「希望が生まれれば、お前も死にたいって思わなくなると思ったんだ。少しくらい塔の寿命を延ばしても、いつかはみんな死ぬ。その絶望がなくなれば、きっと死にたいって気持ちもなくなるだろ?」
元気づけるために、弱々しく笑顔を浮かべた。
「でも失敗しちゃったな、ごめん……」
蒼い瞳からぽたり、ぽたりと温かい雫が落ちてくる。
「そんなことはない。充分だった。奇跡は起こったのだ」
「……?」
どういう意味かと、首を傾げる。
「執務中、硝子の割れる音が聞こえてお前のところまで駆けてきた。どんなに激しく割ったところで、執務室まで音が届くような距離ではないのだ。今思えば、生命の神が起こした奇跡だったのだろう」
「そっか、安心した。なら、アロイスも信じられるよな……」
安堵を感じると、急に眠気を覚えて瞼が重くなってくる。
「お湯をお持ちしました!」
そこに侍従長が飛び込んでくる。
「そこに置け。スープも用意しておけ」
「既に手配しております。医者も呼びました」
「そうか、大儀だ」
二人のやり取りを耳にしながら、シリルは眠りに落ちていった。
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