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第13話 務めからの解放

 シリルは医者に身体を診てもらい、軽度の低体温症であると診断された。手足にも重度の凍傷はみられなかった。    再び窓の外へと突撃するのを防ぐためか、シリルには鎖付きの首輪が装着された。   「楽士様、もう二度とこのような無茶はなさらないでくださいませ」    侍従長に涙ながらに懇願されてしまった。  体力が回復してきて、ゆっくりとスープを飲んでいる時のことだ。   「ごめんなさい。楽士がいなくなったら、皆にとって大変ですよね」    アロイスだけでなく、塔の全員が楽士の存在を望んでいるであろうことにまったく気がついていなかった。自分一人が危ない目に遭うだけで、生命の神の存在を証明できるならばと安易に考えてしまったのだ。  自分が大した人物であるという自覚がまったくなかった。   「もちろん、楽士様だからという理由もございます。ですが、楽士様は……シリル様は陛下の大切な方でございますから」   「大切な、方……?」    侍従長の言葉に心当たりがなく、はてと首を傾げた。   「ええ。陛下のことは私が幼い頃から世話をさせていただいておりましたが、孤独な生い立ちゆえに感情を見せないように育ってしまわれました。それがシリル様を発見してからというものの、すっかり朗らかになり笑顔を見せるようになったのです」   「笑顔?」    シリルの脳裏に浮かんだのは、口角を歪めた嫌味ったらしい笑みだった。朗らかとは程遠い。アロイスの奴、侍従長の前では猫被っているのだろうかなんてシリルは考えた。   「シリル様のおかげで、陛下は変わられたのでございますよ」 「はあ」    訝しく思いながら、返事した。    その後、もう二度と窓を割って外に飛び出したりしないことを約束させられた。    窓硝子は現在修復中だと侍従長が言っていた。現在は王の居室は封鎖され、アロイスは急遽別の部屋を寝室としてあてがわれていた。  衝動的な行動で、随分と多くの人に迷惑をかけてしまった。シリルは深く反省した。    一日は安静にしていなければならないということで、アロイスとは別室だ。    翌日になり、アロイスが見舞いに来た。  侍従長が寝台の横にセットした椅子に、アロイスは腰かけた。   「もう身体は大丈夫なのか」    冷えていないか確かめるためか、彼はシリルの手を取る。   「こんなに暖かい部屋に一日いたんだ、大丈夫に決まってるだろ。もうすっかりポカポカだよ」    手を握っていられたくなくて、シリルはすっと手を引っ込めた。指先まですっかり暖かくなっていることは、今の一瞬で確認できただろう。   「それで、何しに来たんだよ」 「お前の容態を確認しに来ただけだ」 「……シに来たんじゃねえの? セックス」    アロイスを上目遣いに見つめた。   「お前はまだ、私のことをケダモノか何かと勘違いしているのか?」   「そうじゃなくて。前にシてから少し間が空いただろ。やっぱり、王様と楽士がセックスしないと困る人がたくさんいるんじゃないか」    思い出すのは侍従長の涙だ。王の力が増幅することによって、助かっている人が多くいるのかもしれないという可能性に今まで気がついていなかった。   「アロイスだって、昔から見知らぬ人とセックスしなけりゃいけなかったんだろ? なら、オレも我慢した方がいいのかなって……」    アロイスの送ってきた半生を聞いた時、囚われの身になっていることを不満に思っている自分がちっぽけに思えた。  働かなくていいし、飢えることもない、凍えることもない。こんな上等な暮らしをさせてもらっているのだから、セックスぐらい我慢して当然なのかもしれない。   「我慢。我慢と言ったか」    アロイスが急に椅子から立ち上がったので、怒らせてしまったかとシリルは驚く。   「少し待っていろ」 「え?」    アロイスは部屋から足早に立ち去ってしまった。一体どうしたのだろうと思っていると、彼はすぐに戻ってきた。その手に長剣を携えて。   「何する気だよ、それで!」 「そこを動くなよ」    彼との交わりを「我慢する」なんて嫌なことのように言ったのが、逆鱗に触れたのだろうか。でもいくらなんでも、それで剣で切りつけようなんて極端すぎる。    シリルは反射的に目を閉じた。    剣が勢いよく振り下ろされる風圧を感じたかと思うと、ガシャンと音が響いた。   「え……?」    目を開けると、首輪から繋がっていた鎖が断たれていた。  いくら剣を使ったからって、分厚い鎖を断つなんて馬鹿力にもほどがある。   「な、なんで?」    鎖を一時的に外すだけならば、鍵を持ってきて首輪を外すだけでいい。わざわざ鎖を斬るなんて、二度と縛めたりしないという意思表示にしか思えなかった。   「我慢などする必要はない。逃げたかったら逃げるがいい」    アロイスの言葉に、ぱちくりと瞬きをする。   「でも、オレがいなかったら皆が困るんじゃ」 「また元に戻るだけだ。死人が出るわけではない」    彼は端的に言った。  喜びは湧かなかった。むしろ、突然放り出されたようにすら思えた。  シリルは沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。   「なんだよそれ、お前の匙加減一つで放り出せるようなことだったのかよ! なら、なんで最初からそうしなかったんだよ!」    どうして今まで捕らえられてきたのか、と怒りをぶつけた。   「……塔の寿命を少しでも伸ばすためならば、必要だと思っていた。だがお前は、生命の神は今でも我々を見守っていると証明した。であれば、楽士がいなくても塔が続いていくことはできるのかもしれない」    アロイスの言う通りかもしれない。神が見守っているならば、なんとかしてくれる可能性はある。   「それに私は、お前を一人の人間として尊重したくなったのだ」 「一人の人間として、ってなんだよそれ……?」    ピンとこない言葉に、首を傾げる。   「人は本来、自由であるべきなのだろう。お前まで囚われている必要はない」 「そんなこと、今まで少しも思っている風じゃなかった癖に……」    シリルは半ば呆然と呟いた。アロイスがこんな人間的な意見を持っていることが、あまりにも意外だったから。    だが、次に彼が口にした言葉にはさらに驚かされた。   「王が楽士に対して感じる衝動は、無限の渇きに近い。衝動のままに、私はお前を手籠めにしてしまった。それが非人道的なことだと知っていながら、捕らえ続け犯し続けた。ならば、形だけで反省の伴わない謝罪など私に口にする資格はない。謝罪とは、その行為をもう二度とする気のない人間だけが口にできるものだろう?」    シリルは唖然とした。  思わず数秒間黙り込んでしまった。   「……つまり、ええと。お前はそんな面倒くさい理由で、オレに悪いと思っていながら謝らなかったってことか?」    やっとの思いで口を開く。    だとすれば、食事が豪華になったり突然採寸したりと待遇がよくなっていったのは、罪悪感の表れだとでもいうのだろうか。    アロイスが形だけでも謝罪の言葉を口にしてくれれば、悪い人間ではないのだなと理解できてもう少し心地よい監禁生活を送れただろうに。    この男は、これからもそうやって不器用に生きていくつもりなのか。そう思うと途端に、許せないという感情が湧き起こった。これまでも寂しい人生を送ってきた癖に、不器用に生きて自滅するように不幸になっていくだなんて許せない。   「そうだ。弁解のしようもない」    許せない。この男のことは、自分が傍で見張ってやらなければ。   「オレの好きにしていいんだったな?」   「ああ、どこへなりとも行くがいい。ただし、塔の外だけはやめておけ」   「じゃあオレはオレの好きにするぜ、後悔するなよ」    言うなり、シリルは寝台の上に大の字になった。   「……何をしている?」   「好きなところに移動した結果、ここにいるだけだけれど? 何もしなくても飯が出てきて、こんなにぽかぽか暖かいんだぜ。離れるなんてありえねえよ。ああもちろん、ただ飯食らいは嫌だから『務め』は果たすさ」    シリルは、これまで通りの生活を望んだ。それがシリルの一番の望みだった。    アロイスは、一度二度と瞬きをした。まるで、理解不能だというように。   「馬鹿な、あんなにここから逃げたがっていたではないか」   「違う、オレは逃げたがっていたんじゃない、外に出たかったんだ。今だって、まだ諦めていない。ただ吹雪が思いのほか強敵だってわかったから、新しい作戦が思いつくまでの間いてやるって言っているんだ」    寝台に横になった体勢のまま、アロイスを挑発的に見上げる。  彼は挑発に乗るかのように寝台に上がると、シリルの両腕を掴んで覆い被さった。   「王は楽士に惹かれると言っただろう。私はこれでも、今まで衝動を自制してきたのだ。だが、ずっと一緒にいれば箍が外れる瞬間が訪れるかもしれないぞ。それでもいいのか?」    長い黒髪が落ちてきて、すだれのように外界と遮断した。二人きりの世界で、蒼い瞳がシリルを真剣に見つめている。   「……いい。それくらい、覚悟している」 「後悔するなよ」

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