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第18話 二人で下層へ
「侍従長、私は今度シリルと共に他出することに決めた」
「……陛下、初耳でございますが」
部屋に戻るなりアロイスが口にした言葉に、エリクがにこりと微笑みを返した。間違いなく、戸惑いを隠すための微笑みだと思われる。
「つい先ほど思いついたことだからな」
「陛下、それは大臣など他の方にご相談すべきことかと。ちなみに、どちらに足をお運びになる予定でございますか?」
「下層だ。シリルの生まれ育ったところを見たいのだ」
「か、か、下層⁉」
ついに驚きを隠し切れず、エリクは大きな声を上げた。
エリクは恥ずかしげに咳払いをする。
「こほん、大変失礼をいたしました。残念ながら、それは決して許可が下りないと思われます。下層など、どのような病気をもらうかわかりません。もしくは、陛下を害そうとする輩がいるかもしれません。陛下はこの塔の希望、決して失われてはならないお人なのです」
エリクは切実に訴えた。
「シリル様と仲良くなられたのは喜ばしいことではございますが、他出されるならばせめて上層のいずこかでお願いいたします」
アロイスは人々に本当に大事にされているのだろう。下層に行くと言ったら猛反対されるだろうという彼の言葉は、大袈裟でもなんでもなかった。
反論のために、シリルは口を開いた。
「下層はそんなに危ない場所じゃありません。病気なんて流行っていたのはもう何年も前ですし、王に危害を加えようとする馬鹿なんていません」
エリクに下層が勘違いされているのが悲しかった。下層は寒くて生きづらいだけで、かつて自分を引き取り育ててくれた親方など親切な人たちばかりなのだから。
アロイスは直接見に行って、どんな場所か知りたいと言ってくれた。偏見だけで決めつけたりなど、しなかった。
「シリル様の生まれ育った場所ですからね、そうでございましょうとも。けれども、決して万が一があってはならないのです」
エリクの言い分もわかる。アロイスに万が一のことがあれば、塔にいるすべての人の未来がなくなる。それでも悔しくて、シリルは歯噛みした。
そんなシリルを見ると、アロイスは口を開いた。
「下層での感染症による死者数と、殺人を犯した者の数を文官に調べさせよう。それらの情報で、大臣らを説得すればよいのであろう?」
「アロイス!」
猛反対を受けてもなお、下層に一緒に行くとの言葉を彼は実現しようとしてくれている。不覚にも目が潤みそうになった。
「……意志は固いようでございますね。わかりました。他の方々の許可が得られれば、私は反対いたしません」
エリクはにこりと微笑みを見せる。
「なにより、このように活き活きとされている陛下は初めて見ますから」
どうやら、今のアロイスは活き活きとしている部類のようだ。本当か、とアロイスをチラリと見上げると蒼い瞳と視線が合った。彼に笑いかけられ、気恥ずかしくなって視線を外した。
数週間後、アロイスは下層へ行く許可をもぎ取った。その頃にはシリルの服も何着かが完成し、共に下層へと赴く準備が整った。
当日、シリルは襟元に毛皮のついた服を着付けられ、さらにその上からコートをまとわされそうになったので突っぱねた。
「今の下層は暖かいんでしょう? コートなんていらないです!」
コートをシリルに着せようとするエリクに、拒否の意志を伝える。
「今より寒かった時に薄っぺらい服一枚で過ごしていたんですから、大丈夫です」
正直、コートをまとっていると汗が出るくらい暑い。新しい衣服を汗で汚してしまう方が、よほど気にかかった。
「下層民の方はコートも着用しないのですか?」
エリクが目を丸くした。
「いえ、普通はコートくらい着ますよ。けど下層民にとっては、上着は身にまとうことのできる財産でもあるんです。丁寧に扱っていれば、古着屋で高値で売れますから。だからある程度金が貯まれば、下層民は古着屋で金を上着に替えます。反対に何かあった時は、上着を売って生活費にするんです」
親方が死ぬ前は、シリルだってコートを持っていた。今まとわされようとしているコートとは、比べものにならないボロではあったが。もちろん、食うに困った際に売り払ってしまった。
「思い至らず、申し訳ございません……!」
嫌なことを話させてしまったと思ったのか、エリクは頭を下げて謝った。
「謝らないでください、何でもないですから。そうだ、コートは手に持っていきます。寒くなったら羽織るので」
「いえいえ、シリル様に持っていただくなんてことはできません! 私も御伴いたしますから、私がお持ちします」
自分が楽士として大切にされていることは感じていたが、それだけではなくエリクは自分を貴人のように扱ってくれる。そんな大層な人間ではないのだが、とむず痒くなってしまう。
「オレはただの下層民なんですから、そんな風に畏まらなくっていいのに……」
「何をおっしゃるのですか、楽士であるシリル様は陛下の次に貴いお方です。ぞんざいに扱うなど、できかねます」
塔の役に立つと、身分も偉くなるのだろうか。楽士だから偉いという理屈に釈然としない中、身支度を終えた。
「見違えたな」
顔を合わせるなり、アロイスはシリルの外見を褒めた。
エリクにきちんと髪を梳かしてもらい、服を着付けてもらった甲斐があったと嬉しくなる。
今日のシリルは艶の出た金髪を下ろしている。後ろから見れば、女性に見えるかもしれないと我ながら思った。
光を受けてキラキラと輝く金髪が、装飾品のようにシリルを着飾っている。アロイスの贈ってくれた豪華な装いに見劣りしないばかりか、金髪の方に王宮の人々の視線が行くくらいだ。
彼の隣にいて恥ずかしくないばかりか、誇らしささえ感じられた。
髪を切るなんてもったいない、と彼が髪油を甲斐甲斐しく塗ってくれた意味が理解できた。まさか自分の髪がここまで綺麗になるなんて、思ってもみなかった。
「お前の美しさが前面に出ている。私の見立てに間違いはなかったな」
美しさがどうのと言われて、一瞬で頭が沸騰した。言葉一つでこんなにも身体が熱くなることがあるなんて、知らなかった。
「う、美し……⁉ なに変なこと言ってんだよ!」
なんと返事したものかわからず、混乱したシリルは咄嗟に彼の身体を叩いてしまっていた。
「うっ。この粗暴さがなければ完璧なのだがな」
「け、余計なお世話だよ」
口調とは裏腹に、呻くほど強く叩くつもりはなかったのにとシリルは俯いた。
どんなに見た目を整えてもらっても、育ちの悪さは隠せない。反射的に出てしまった自分の素行に、物悲しさと恥ずかしさを覚えた。
「シリル、行こう。お前の生まれ育ったところへと」
「……うん」
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