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第17話 二人の湯浴み
二人きりかと思いきや、召使いたちを伴って湯浴みに行くことになった。
脱衣所と呼ばれる空間につくと、召使いたちが恭しくアロイスとシリルの服を脱がせた。今までは自分が拘束されているから服を脱がせてくれているのかと思っていたが、関係なく貴人は召使いに服を脱がせてもらうもののようだ。
思わず彼の裸体をちらりと見つめる。交わる時にはいつも必要最低限しか脱がない彼の裸を目にする機会は、さほど多くない。細く背が高い彼の身体はしかし、薄く筋肉に覆われておりしっかりとした印象を受ける。
二人の衣服を脱がせ終わった召使いが恭しく扉を開けると、その先に湯殿が広がっていた。
「わあ……」
大量の蒸気に白く煙っている湯殿に、シリルは驚きの声を上げた。
蒸気の向こうに、たっぷりのお湯で満たされた湯舟があった。湯舟を見て、シリルは池を想起した。魚を育てている中層のフロアには池というものがあり、水が入った大きな穴で魚たちが泳いでいるのだ。湯舟というものは、水の代わりにお湯の入った池だと感じた。こんな池を魚が泳いだら、あっという間に茹で上がるだろう。
服を着たままの召使いが一緒に入ってきて、アロイスとシリルの身体に湯殿から汲んだお湯をそっとかける。
「さあ、入ろう」
湯舟に入っていくアロイスを見習って、シリルも恐る恐る湯舟に足を踏み入れた。湯舟に身体を沈めると、お湯が身体を包み込む。身体が芯から温められていくようだ。こんなにも温かいものは初めてだと思った。
「いい心地だろう?」
アロイスが隣で微笑む。
「ああ、本当だな。気持ちがいい。オレが塔の外に飛び出した時も、これに入れてくれればすぐに温まったのに」
シリルがうっとりと呟くと、彼ははっとした顔になった。
「……すまない、思いつかなかった」
軽い気持ちで言ってみただけだったのに、彼は申し訳なさそうな顔になって落ち込んだ。
「あー……仕方ねえよ。外に飛び出して低体温症? だとかになる奴なんて、早々いないだろうし。咄嗟に思いつかなくってもしょうがないって」
アロイスでも間が抜けることはあるのだなと、微笑ましくなりながら慰めた。それに、視野が狭くなるくらい必死だったということだろう。それが嬉しかった。
「髪をお洗いします」
湯舟に浸かるアロイスたちの元に、二人の召使いがやってくる。
「シリルの髪は私が洗うから、私の分だけでいい」
「かしこまりました」
アロイスは本当に自分の髪を洗ってくれる気のようだ。
アロイスが湯舟の縁に頭をもたれかけさせて、長い黒髪を湯舟の外に出す。召使いたちが彼の黒髪に湯をかけた。黒髪は艶やかに光を照り返して広がった。召使いは石鹸を使って彼の頭を泡立たせると、ゆっくりと頭皮をマッサージする。彼は気持ちよさそうに目を閉じている。
アロイスが髪を洗ってくれるということは、あれらの行為を彼がやってくれるということだ。こんな甲斐甲斐しいことを、あのアロイスが? どうせ、適当に洗って終わりにする気に違いない。
髪を洗い終わり丁寧に水を切ると、召使いたちは湯殿を後にした。
「さて今度は私が髪を洗おう」
アロイスが湯舟から出たので、シリルは先ほどの彼を真似して湯舟から髪を出してみた。そこに彼が桶に汲んだ湯をかけていく。顔にかからぬように丁寧に。
髪が石鹸を使って泡立てられ、彼の指が穏やかな手つきで頭皮を揉んでいく。てっきりおざなりにやるのだと思っていたのに、彼の手つきは酷く優しかった。丁寧に頭を揉まれる感触は、驚くほど快い。頭をマッサージされるのがこんなに気持ちいいことだなんて、知らなかった。シリルはされるがままに身を委ねた。
こんなに穏やかな気持ちで、彼に触れられる日が来るとは思わなかった。
「……」
うつらうつらとしていると、不意に彼の手が止まった。泡を洗い流すのだろうかと、目が覚める。だが振り返ると、彼の視線が一点に注がれていることがわかった。視線を辿ると、湯の中で自分の中心が兆していた。
「こ、これは違う! そういう気分なわけじゃない!」
真っ赤になって、両手で下肢を覆い隠した。
「案ずるな、湯殿で襲ったりはしない。人は眠くなるとそうなるものだ。生理現象だと理解している」
彼は努めて平静を装っているような声で言った。
「なら見るな、馬鹿!」
彼の言う通り、眠気による生理現象かもしれない。だが、彼に触れられてたのが心地よかったせいではないかとシリルは感じていた。その危惧が、シリルの羞恥心を煽った。
「もう触るな!」
頭に泡をつけたままシリルは湯舟に沈み、湯が泡で汚れた。アロイスが心配になって抱き上げるまで、シリルは湯舟に沈んでいた。
シリルがのぼせ気味になったので、二人は湯舟から上がった。湯殿から出てきた二人の身体を、召使いたちがすかさず拭く。水滴が一つ残らず拭き取られて衣服をまとわされると、今度は髪が含んだ水分を拭き取られていく。
「身体が暖かくなりすぎても苦しいだなんて、知らなかったな」
のぼせるという現象を初めて経験したシリルは、髪を乾かされながら零した。
「暖かすぎることを暑いというのだよ」
「ふーん、『暑い』か。普通だったら一生縁のない言葉だったな」
寒いのが当たり前で、少しでも暖かくなれればそれが幸福。そんな日常を過ごしてきた自分が、暑いなんていう言葉を覚えるなんて。今日、自分は池のように大量の湯に身体を浸したのだ。夢のようだ。
髪の水分をおおよそ拭き取り終わると、召使いはアロイスの黒髪に油をつけ始めた。あれが髪油か、と興味深く見つめる。黒髪の艶がさらに増していく。こうして彼は艶のある黒髪を手にしていたようだ。
アロイスの髪にだけ油を塗り終わると、髪油が入っている瓶を残して召使いたちは下がる。もはやアロイスが説明するまでもなく、自分の分は彼が塗ることに決まっているようだ。
「どれ、油を塗ってやろう」
アロイスが立ち上がり、髪油の瓶の蓋を開ける。彼の細長い指が、シリルの湿った金髪に油を塗り始めた。
先ほど自身が反応してしまったことを思い出し、シリルは俯く。今度は眠くなったりしないよう、強く膝を握り締めた。
丁寧に毛先に油を塗られていく。髪であっても彼に触れられている時間は嬉しく、ずっと続いてほしいと願ってしまう。だが、髪油を塗られる時間はすぐに終わってしまった。
「終わったぞ」
髪油を塗り終わり、アロイスは手鏡を差し出した。シリルは手鏡に映った自分を覗き込んだ。
まだわずかに湿っているせいかもしれないが、金髪はいつもよりずっと艶があるように見えた。鏡の中の自分は、まるで下層民ではないかのようだった。上層民の子息のように見える。
こんなに髪が長くなっていたのか、と内心で驚く。少し彼に近づけたような気がした。
「どうだ、仕立てた服に見劣りせぬのではないか?」
「少しは……そうかもな」
髪を洗い、油を塗り。どうしてアロイスはここまでしてくれるのだろうか。優しさに勘違いしてしまいそうだ。
綺麗になったことそのものよりも、彼が手を入れてくれた結果だということが嬉しくて、髪が乾くまでの間しげしげと手鏡の中の自分を眺め続けた。
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