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第16話 星羅の儀

 数日後、アロイスの部屋の窓が修復された。    それに伴いシリルが寝泊まりする部屋は再びアロイスの部屋に戻され、彼と一緒に寝起きする生活が再開されることとなった。   「もう勝手に外に飛び出したりするんじゃないぞ」    部屋に戻って早々に窓辺に駆け寄ると、アロイスに釘を刺された。彼も部屋が直ったと聞いて、様子を見にきたようだ。   「そんなことするわけないだろ、オレを馬鹿だと思ってんのか?」    シリルはムッとして言い返した。    自分はただもうすっかり直ったのか、窓を眺めてみたかっただけだ。すっかり元通りになった窓硝子に触れると、ひやりと氷のような冷たさが伝わってきた。   「馬鹿だとも思うさ。私が窓の割れる音を聞いてこの部屋に飛び込んだ時、お前の姿がないのを見てどんな思いをしたと思っている。心臓が凍るかと思ったぞ」 「……悪かったよ」    割れた硝子片と吹き込んできた雪だけが残された部屋を目にした時の彼の心情を思い、改めて反省した。アロイスは自分のことを疎んでいるとばかり思っていたのに、心配してくれたようだ。    だって自分がいるから、不本意にも彼は交わらなければならない。「お前が楽士でなければ誰が触れるものか」と以前口にしていたし、きっと嫌なはずだ。    なのに彼は必死に助けてくれて、裸になってまで温めようとしてくれた。今思い出しても、その事実が嬉しかった。    彼の心配ももっともだと窓辺を離れたシリルに、アロイスが話しかける。   「ところでお前は、今は自由に出歩ける。そのことは認識しているな?」   「ああ。それが何か?」    一体何を言いたいのかと、訝しむ。   「私はこれから星羅の儀を執り行う。お前も見にくるか?」 「せい……なんだって?」    彼が口にしたなんたらの儀とやらに聞き覚えがなく、シリルは聞き返した。   「星羅(せいら)の儀。王の力を塔に満たすための儀式だ。興味があるかと思ってな」    彼の言葉に、シリルは翠緑の瞳を瞬かせた。王の力で塔を満たすのに、儀式が必要だなんて知らなかった。   「へー、見にいってみようかな」    楽士は王の力を増幅させるなんて言われているが、シリルが王の力とやらを実感したことはない。興味が湧いて、目を輝かせた。   「なら、ついてくるがいい」    青いマントを翻すアロイスの後について、星羅の儀とやらを行う場所に向かった。    部屋を出て、王宮の奥の方に彼は歩んでいく。歩きながら、彼はシリルに語りかける。   「これからお前をこの塔の最上階につれていく」 「は、何言っているんだ? この王宮が最上階だろ?」    シリルの戸惑いの声に、彼はくすりと笑って振り返った。   「そうではない。隠された真の最上階があるのだ」 「なんだそれ!」    隠された真の最上階、わくわくする言葉に声が弾んだ。    やがて王宮の最奥と見られる部屋に辿り着いた。そこは小さな礼拝堂のような場所だった。祭壇や座るための長椅子はないが、祈るための場所だと感じさせる厳かさがあった。   「この奥だ」    まっすぐ進んだ先の壁に、アロイスは手を触れた。途端に白い石壁の一部に、光が灯った。彼が手を当て続けていると、光の点が線になり、弧を描き始める。完璧な真円が描かれると、石壁が音を立てて横にズレ、奥に隠されていたものを露わにした。人一人がやっと通れるほど幅の狭い螺旋階段だ。   「これが、真の最上階へと続く……?」 「その通りだ」    アロイスの後に続いて螺旋階段のある空間に入ると、後ろで石壁がひとりでに閉まった。    二人で螺旋階段を上がっていく。階層と階層を結ぶ螺旋階段に比べれば高さのないそれはすぐに終わり、真の最上階へとたどり着いた。    王の儀式場と聞いて想像していたよりは小さな部屋だったが、厳かさは想像と違わなかった。純白の室内の床と壁に、線で複雑な紋様が描かれている。    思いの外小さな儀式場を目にして、もしかして召使いなどを一切伴わず王だけが入れる部屋なのではないかと感じた。  軽い気持ちでついてきてしまったが、もしかして王族以外でこの儀式場に入ったのは自分が初めてなのではないだろうか。アロイスは何のつもりで自分をここに入れてくれたのだろうか、と思わざるを得なかった。   「この壁面を見ろ」    紋様が描かれた壁をアロイスが指し示した。そこには、細長く縦に光石がいくつか埋め込まれていた。石の周囲に描かれた模様は、まるで塔を模しているように見えた。石は下の方が緑色に光り、上の方の石ほど橙色に近い明るい色を宿している。   「これは塔にどれだけ王の力が行き渡っているかを示している。ほとんど王の力の恩恵を受けられていない場所は青く、普通程度ならば緑色、充分ならば橙色、多すぎると赤く光る」   「へー」    彼の言う通りならば、王の力は満遍なく塔に行き渡っているようだ。よくよく注意して見ると、下層の中でも下の方がわずかに青に近い緑色に変色しつつあるのが見て取れた。   「お前が現れるまでは、下層にはほとんど力を行き渡らせることができず青いままだった。こうなっているのはお前のおかげだ。……それを伝えたくて、お前をここに入れた」   「じゃあ、今の下層は前よりも暖かいのか」   「その通りだ」    彼の返事に、胸の内がじんわりと熱くなっていくのを感じた。楽士の効力を実感したことなどなかった。理不尽に囚われ、男に犯され辱められるだけの日々でしかなかった。    だが、自分は役に立っていたのだ。下層に住む人々の暮らしは、以前ほどは苦しいものではないに違いない。暖かい下層という夢のような現実を実現するのに、自分が役に立っているなんて信じられなかった。   「石が橙色に灯ると星々が連なっているように見えることから、星羅の儀と名付けられた。さて、儀式を執り行うので隅の方で大人しく見ていてくれたまえ」    シリルは大人しく儀式上の隅に座り込んだ。    アロイスは、円状の紋様が刻み込まれた儀式上の中央に胡坐をかいた。王は今、塔のすべての者の上に座している。急にそのことが意識される。まるでアロイスが、塔のすべてと繋がっているかのような感覚を覚えた。    しばらくは、アロイスは座っているだけに見えた。次第に壁に埋め込まれた石の色が変わりつつあるのに、シリルは気がついた。既に儀式は始まり、王の力が塔に注ぎ込まれつつあるのだ。    一番上の石が一瞬赤くなったかと思うと、力を流し込んでいくかのように下へ下へと色の変化が波及していく。橙色の石が二つ、三つ、四つと増えていく。やがて緑色の石をわずかに数個残し、塔のほとんどが橙色に染まった。狭く薄暗い儀式上内で、石が燦然と輝いていた。    本物の星々を目にしたことはない。神の名として星の概念を知っているだけだ。けれど、星空とはきっとこのように美しいに違いないと思えた。    これが王の力なのだ。  こんなにも美しい光景を見られるなら、楽士を大事にもするだろう。   「星羅の儀はこれで完了だ」    いつの間にか、アロイスが立ち上がっていた。   「凄かった! これ、下層は今ぽっかぽかっていうことだよな! すげー、見に行きたいな!」    心に感じた感動のままに、満面の笑みで答える。アロイスもまた、シリルの笑みに釣られたように微笑みを浮かべた。   「なら、実際に見にいくか?」   「え?」   「現在のお前は自由だから、別に今から見にいってもいいのだがな。どうせなら、服が完成したら一緒に行かないか? 私も、お前の生まれ育った場所を見てみたい」   「アロイスと一緒に……?」    優しい声音に勘違いしそうになる。彼が自分のことを、憎からず思ってくれているように聞こえてしまう。胸の内がとくとくと高鳴る。   「臣下たちは猛反対するだろうな。下層に行くなんてとんでもない、病気を移されると。――だが、お前の発揮した冒険心に比べれば些細なことだろう」    お前の影響だ、と彼の不敵な笑みが言っている気がした。    以前のアロイスならば、きっと下層に行きたいだなんて考えもしなかったのだろう。その彼が、自分に影響されて、自分の生まれ育った場所を見てみたいと言ってくれた。嬉しく感じないわけがない。    どうにも自分は、アロイスにある種の感情を抱いてしまったようだ。胸の内の暖かい気持ちが、そう言っている。    不本意極まりない、よりにもよってこんな男に――恋してしまうなんて。   「……わかった、一緒に行こう」    彼と一緒ならば楽しいはずだ、と頷いた。  共に下層を訪れる瞬間を想像して、甘味を口にしたわけでもないのに甘酸っぱさ胸の内に広がっていくような心地を覚えた。   「そうなると、この髪をなんとかしなければな」    アロイスは、シリルのくすんだ金髪に触れた。急に伸びてきた手に、ドキリと心臓が跳ねた。   「ああ、ちょっと髪伸びたかもな。切るか」    もともと伸びていた髪を切るのが面倒で、後ろで結んでいたのだ。囚われの身になってからも切っていないし、見苦しい長さになっていてもおかしくはないとシリルは思った。  自分はそんな不格好な姿で、今まで彼と対峙していたのか。気にも留めていなかった髪型が、急に気になり出した。   「切るなんてとんでもない。そうではなく、服と比べて髪の毛の質がみすぼらしいだろう? 食事が改善された分、初めて会った時よりはマシになっているが」   「けっ、どうせオレには分不相応だよ」    自分がみすぼらしいのはわかっていたことだ。今さらそれがなんだというのか。お前が勝手に煌びやかすぎる服を与えたんだろうが、と睨みつける。   「だから、この髪に艶を与えないとな」    金髪を見つめて呟いた一言は、愛おしげな響きを伴って聞こえた。自分の耳が都合よく変換しているのだろうか。   「これからは、髪も私が洗ってやろう。私が使っているのと同じ石鹸と髪油を使ってやる。同じ湯舟に浸かろう」   「湯舟……?」    シリルはポカンとした。湯舟なんて、知らない単語だった。   「王宮ならば、人が浸かれるほど大量の湯を沸かすことができるのだ」    アロイスは優しく説明する。    人が浸かれるほど大量の湯! とんでもない贅沢に、目が眩むかと思った。    水は王の力によって湧いてくるもので、料理などに利用するために水を沸かす湯沸かし場も王の力によって維持されている。王の力が足りないからなのか下層の湯沸かし場は使えず、湯を手に入れることすら中層以上でないとできない。そのお湯を人間が浸かるほど大量に用意するなんて、流石は王宮だ。   「星羅の儀を終えた後は体力を消耗しているので、政務はやらなくていいことになっている。もっとも、お前と共に暮らすようになってからは、さほど疲弊しなくなっているのだがな。ともかくこの後は時間がある。どうだ、さっそく共に湯に浸からぬか?」    問いかけに、心臓が跳ねるのを感じた。    湯に浸かるというくらいだから、互いに裸になるのだろう。もう何度も彼に裸を見せてきたとはいえ、自分の想いを自覚した直後だ。意識せざるを得ず、顔が熱くなるのがわかる。赤面を見られまいと、シリルは俯いた。   「……そうか、私と一緒に湯浴みは嫌か」    シリルの想いを知ってか知らずか、アロイスは寂しげな呟きを漏らす。そんな寂しげな響きを聞いて、嫌とは言えない。   「別に、嫌じゃねえけど」 「そうか」    睨みつけるように顔を上げると、彼の嬉しそうな微笑みが目に入った。

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