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第15話 黒は合う

「シリル様、今日は仮縫いがございます」    いつの間にか名前で呼んでくれるようになっていた侍従長が、朝食の時に知らせてくれた。   「仮縫い?」   「以前採寸なされたでしょう。仮で縫われた衣装ができあがったので、お身体に合うかどうか確認するのでございます」    侍従長は丁寧に教えてくれた。    いつものようにシリルが完食するまで見守り続け、食べ終わると食器とトレーを回収する。いつもと違うのは、手錠の鍵をかけていかないことだ。シリルを縛るものは一切なくなっていた。   「あの、侍従長」    去り際の背中に声をかけた。   「侍従長のお名前はなんていうんですか?」    名前で呼ばれるようになったからだろうか、それとも自分からここに残る選択をしたからだろうか。自分の世話をしてくれる人の名前も知らないのが、失礼なことのように思えて尋ねた。   「私はエリクと申します。どうぞ、エリクとお呼びくださいませ」    シリルの変化が伝わったのだろうか、エリクは振り返るとにこりと深く笑い皺を刻んだ。    エリクが教えておいてくれた通り、少ししてアロイスが召使いたちを引き連れて、部屋に入ってきた。忙しいだろうに、アロイスはシリルの仮縫いに付き合ってくれる気らしい。彼の姿を目にした途端、嬉しさを覚えてしまったのが悔しかった。  大人しく腕を広げて直立したシリルに、召使いたちが仮縫いされた衣服を合わせていく。   「え、なんだこの服……っ⁉」    合わされた衣服に、シリルは戸惑いを覚えた。  なぜなら下層で着ていた服とも、囚われてから着せられていた中古の服ともまったく違うものだったからだ。    まず、しっかりとした生地の黒い服を着せられた。裾や袖口が金色の糸で縁取られていて、目が眩むほど豪華だ。にもかかわらず、黒い服の上にさらに上着を羽織らされる。襟と袖口に毛皮のついた上着は、葡萄酒の赤に染められている。これだけ深い赤に染めるにはそれだけ染料が必要なのだ、高価に決まっている。  腿の辺りまで伸びた服の裾から、最初に来た服と同じ黒色のズボンが覗く。最後に腰の辺りで赤い上着の上からベルトを締めて、完成だ。    エミールだって、こんなに立派な格好をしていたことはない。服を壊したりしてはならないと、シリルは固まって動けなくなってしまった。   「少々地味に感じるかもしれませんが、本縫いでは刺繍が加わりますのでご安心ください」    服を合わせている召使いが言う。   「これより豪華になるのか⁉」    今よりもさらに派手になるという事実に慄く。   「私の隣にいても見劣りしないようにせんとな」    アロイスが口を開き、新しい服をまとったシリルを見つめる。   「やはり黒は合うな。シリルの健康的な肌の白さが際立つ」    なんて呟いている。    アロイスは王様らしく見栄っ張りなようだ。王宮の奥に引き篭もっているだけの自分がどんな姿をしていようと、見劣りするだのしないだのなんて関係ないだろうに。   「二着目を」    アロイスは召使いたちに視線を向け、命じた。   「かしこまりました」    合わせていた仮縫いの服を脱がせると、召使いたちはさらなる衣服を取り出してシリルの身体に合わせ出した。今度は下に黒い服、上に黒い服の黒づくめの格好だ。  アロイスはシリルの新しい服装を真剣に見つめ、呟く。   「黒と黒ではやはり雰囲気が重たくなりすぎるか……。素材のよさを活かし切れていないな」   「アロイス、なんだよこれ! 一着だけじゃないのかよ!」    すぐに終わると思っていたシリルは、彼を問い詰めた。   「一着だけでどう着回すつもりだ。まともな服を持っていないのに、一着しか作らないなど非効率にもほどがある」   「ま、毎日着る分作らせるっていうのか⁉」   「もちろんだ」    彼は深く頷いた。    シリルは顎が外れそうになった。こんなに豪華な服を複数、毎日着回せる分だけ新しく作らせるなんて。新しい服が得られるだけで身に余る出来事だと思っていたのに、こんな大事になるとは。   「アロイス、こんなにたくさんいらない!」   「私からの贈り物は不愉快かもしれないが、お前に人間らしい生活を送らせると決めたのだ」   「別に今までの服でも、人間らしくはあったろ!」    今までまとってきた衣服は、中層民用の古着店辺りからシリルのサイズに合うものを買ってきたのであろう。上層民は基本的に仕立てた服を着ているから、古着店は中層より下にしかない。古着とは言っても、シリルが下層で着ていた服よりよほど丈夫で小綺麗だった。   「……お前が元々着ていた服は、私が修復不可能なほどに裂いてしまったからな。その弁償だと思え」    アロイスの言葉に、初めて無理やり抱かれた時に衣服をズタズタに引き裂かれたことを思い出した。   「そういうことなら、まあ」    下層民の着ていたボロキレの代わりが豪華絢爛たる衣服の数々だなんて釣り合っていなさすぎるが、弁償だと言われれば断ることはできない。断れば、「あの時のことを許さない」と言っているのと同じことになる。    シリルは目まぐるしく様々な衣服に着替えさせられた。ジャボやフリルのついたシャツを何着も着させられ、何色ものベストと合わさせられた。暖かな最上階ではまったく必要のない分厚いコートも着させられ、あげくの果てに革靴まで何足も試し履きさせられた。  シリルが着せ替えられている横でアロイスは色味や裾の長さなどにあれやこれやと所感を述べ、本縫いで加えられるという刺繍の図案について召使いに意見を出したりしていた。    仮縫いが終わる頃には、シリルはどっと疲れていた。一日中働いた後の疲労感とも違う気疲れに、仮縫いから解放されるなり寝台の上でうとうとと微睡みに落ちたのだった。

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