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知らぬ間に 4

「友樹さん? 大丈夫ですか?」  誠治が立ち上がり、「顔が真っ青です。どうしました?」と医者の顔で俺を覗き込み、脈を測って首に手を当てる。 「どこか痛いところは? 息苦しさは?」 「せ……誠治……っ」  俺は誠治の腕を慌てて掴んだ。 「やばい……っ、どうしようっ、俺……っ」 「友樹さん、落ち着いてください。ゆっくり深呼吸して」 「落ち着いてられねぇってっ。来たんだよ昨日っ」 「来た……とは、どこに、誰がですか?」  俺が慌てれば慌てるほど、誠治は落ち着いてゆっくりと問いかける。 「イ、イケおじがっ」 「イケおじ……父が、どこに来たんですか?」 「バーに来たんだよっ。昨日っ」  そう伝えると、誠治が険しい顔を見せた。 「……友樹さんのお店に、父がですか?」 「ごめん誠治……っ。俺、顔も知らねぇし全然気づかなくて……っ。どうしよう俺……すげぇ失礼な態度取っちまったかも……っ」  昨日の一連の流れを思い返せば返すほど、いつになく素っ気ない態度で接客をした自分に青くなる。よりによって誠治のお父さんだったとか……マジで終わった……。  絶望してうなだれる俺の腕を、誠治が優しく撫でて「大丈夫です」と慰める。 「あいさつに行く日取りが決まらず父に会わせられなかった私のせいです。友樹さんが気にすることは何もありません」 「いやでもさ……っ」  これじゃ、あいさつに行く前に印象最悪じゃねぇか……っ。 「本当に気にしないでください。それより、友樹さんがそんなに取り乱すなんて……父はいったいどんな迷惑を……」 「いや……迷惑なんてなんもねぇよ。ただ俺の態度がさ……」  なんでもっと愛想良くできなかったんだろう。いくらなんでもあれはねぇ。いつもならもっとちゃんと接客してた。  昨日は誠治のことを早く宣言したくて、頭ん中がそればかりだった。俺はイケおじに楽しい酒を振る舞いもせずにほったらかした。  イケおじは最後、不機嫌な顔で帰って行った。  誠治のお父さんを、俺は怒らせたんだ……。  それらをかいつまんで説明すると、誠治の視線が俺の顔を探るように動いた。 「それだけですか? 父が何か失礼を働いたんじゃ……」 「いや、そんなのはなんもねぇよ」  偶然か意図的か、面倒な酒ばかりを注文されたが、そんなのは迷惑でもなんでもない。頼まれた酒を作るのが俺の仕事だ。 「ほんとごめん、誠治……」 「…………」  なぜか俺を見つめる誠治の目が、まるで真実を見抜こうとしているようで、表情が微妙に強張ったのを感じた。 「何か隠してませんか?」 「……? いや別に何も……」 「もし本当に先程の話通りなら、友樹さんが取り乱す理由は何もないはずです」 「いや、だから……俺がイケおじをほったらかして怒らせたんだって……」 「結婚の報告で頭がいっぱいで接客が素っ気なくなった……ですか?」 「だからそうだって……」 「確かに、父が怒って帰ったなら不安になるのはわかります。でも、多少素っ気なかったとはいえ、普通に考えて怒るほどではないですよね。それなら、怒った理由がわからなくて困惑するだけではないですか? 友樹さんがここまで取り乱す理由にはならないと思うんです」  ギクリとした。思わず動揺が顔に出たのがわかる。  あのときはイケおじにロックオンされたと思っていたから、必要以上に素っ気なくなった。でも、イケおじが誠治の父親だったと知った今、あれは勘違いだったんだろうと思う。  なんで文哉の言葉ひとつひとつにあんなに過剰反応をしていたのか疑問が残るが、そのことを考えるのも羞恥心が刺激される。自分の恥ずかしい勘違いに耐えられなくて、俺は考えるのも伝えるのもやめた。  でも、このことを伝えなかったのは失敗だった。これは話さなきゃダメなのか……? 「友樹さん……やっぱり父が何か失礼なことを言ったんじゃないですか? 友樹さんに不快な思いをさせたんでしょう? そうじゃなきゃ友樹さんがそこまで素っ気ない接客をするはずがないです。隠さず教えてください」 「あ……いや……違……っ」  そうか、そうだよな、そう勘違いするよな。  昨日の自分の勘違いがあまりにも恥ずかしくて、どうしても隠したままでいたかった。  ダメだな。これはもう話すしかないな。……ないよな。  俺は顔を上げられず、歯切れの悪い言葉をもごもごと吐き出すしかなかった。 「じ……実は、さ……」 「はい」 「イケおじに……あ、いや、お前のお父さんに……さ」  イケおじを「お父さん」に言い換えると、余計に口に出すのが恥ずかしい……。 「えぇっと、その……。ロックオンされたって……勘違いしちゃってさ……」 「ロックオン……?」 「あーその……ワンナイトの相手、として?」  誠治が目をぱちくりさせた。 「い、いや、だってさっ。『恋人はいるのか』って聞いてくるし、俺が特定の人は作んねぇ主義だって文哉が余計なこと言えば目がキランって光るしさっ。それに――――……」  俺がまくし立てるように必死で弁解すると、誠治の顔が徐々に緩んでいく。 「父にロックオンされたと思って、素っ気ない接客になっちゃったんですね」 「……うん……まぁ……そういうことだ……」  そう認めるしかなかったが、誠治の明るい反応に、少しだけ気持ちが軽くなった気がする。 「よかったです」 「は、何が」  誠治が微笑みながら続ける。 「友樹さんが父になびかなくてよかった。ライバルが父なんて想像もしたくないです」  思わずその言葉に絶句して息を呑んだ。 「は、馬鹿かっ。なびくわけねぇだろっ」 「だって『イケおじ』なんでしょう?」 「俺は死ぬまでお前だけだって言っただろ!」  声を張り上げた瞬間、誠治のからかうような視線に気づき、顔が熱くなるのを感じて恥ずかしさが込み上げた。 「……ってそんな冗談言ってる場合じゃねぇって……っ」  俺は頭を抱えて深いため息をつく。 「お前のお父さん怒らせてさ……もう終わりじゃん俺……」  状況を振り返るたびに、胃のあたりが重くなる。誠治の父親が帰る時の顔を思い出すだけで、胸が締め付けられた。 「大丈夫です。たぶんそれ、ただガッカリしただけですから」  誠治が、まるでため息のように言った。  でも、その言葉に少しも安堵することができない。 「ガッカリだって……ダメじゃんか……」  ガッカリさせたという事実が重くのしかかり、自己嫌悪がさらに深まる。 「父はたぶん、友樹さんの粗を見つけたかっただけです」 「……粗?」 「すみません。これも伝えずにいましたが、実は父に結婚を反対されていまして」 「……え……マジで……? じゃあもう本当に終わったな……」  俺は、声の震えを隠せなかった。  しかし誠治はそんな俺に首を振って「大丈夫です」と繰り返す。 「私が誰を連れて行ってもどうせ反対なので、そこは本当に気にしないでください。父はたぶん、反対する口実を見つけたかったんですよ。でも何も見つからなくてガッカリしたんでしょう」 「……粗は見つからなくても……俺の態度がさ……。あーもー終わった……」  俺は頭を抱えて、そうつぶやくしかなかった。  誠治の父親が、目を光らせたり光を失ったりしていた本当の理由がわかって、俺は胸の奥に鈍い痛みを感じた。  どうして気づかなかったんだろう。あの視線は、ただ単に俺を値踏みするものじゃなく、大切な息子を守りたい一心で俺を見つめていたんだ。  誠治の父親が、文哉が話す俺についての話ひとつひとつにどれだけ敏感になっていたか、そのことに気づけなかった自分が心底情けなく感じた。  視界の端で、誠治がテーブルに置いたスマホを手に取り、片手で軽く操作する様子が見えた。 「友樹さん」  自己嫌悪のため息をつきながらわずかに目を合わせたが、返事ができない。言葉が喉の奥で詰まったまま、俺はただ黙り込んだ。 「父からメッセージが届いてました。夜中の一時に……」  その言葉を耳にした瞬間、頭の中が真っ白になった。  

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