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第1話
「ハッピーバースデー、俺」
俺は今ちょうど、100均で買ってきたチョコプレートに白のチョコペンで、
『ゆーた 17才 たんじょうびおめでとう!』
と渾身の力を込めて書いたところだ。
自らコンビニで買ってきたイチゴショートの蓋を開け、チョコプレートを飾る。
「よし」
満足げな俺の声は、自分以外誰もいない室内に空虚に響いた。
だが、それはいつもの事だ。今更気にはならない。
ショートケーキのカケラをフォークで切り取る。
最初のひと口を口に運ぼうとした、その瞬間。
シャララ〜ンッ♩
突然、頭上でウィンドチャイムのようなシャラシャラした、清涼だが派手な音が鳴った。
「えっ?」
ショートケーキを待ち構えて半開きになった口のまま、俺は部屋の中を見回した。
「おめでとーーございまーーす!!!」
ポンポンポンッ
目の前の空中に複数の花が湧き出て、中心にソフトボール球くらいの毛玉が飛び出してきた。
「どわぁっ!?」
あまりの驚きに、俺は咄嗟に手にしていたショートケーキ付きフォークを毛玉に向かって放っていた。
「いたっ!? いたーーい!!!」
コンビニのプラスチックフォークは毛玉にクリーンヒットした。流石に刺し貫くだけの強度はなく、毛玉本体にべっとり生クリームだけ残し、からんとテーブルの上に落ちた。
「ちょっと! 何するんですか!!」
「な、な、な……」
なんだこの物体は!
毛玉が喋っているというだけじゃなく、ふよふよと空中に浮いている。
それは猫の被毛のようにふわふわした毛で包まれているだけで、羽のようなものはどこにも無さそうだ。完全に重力の法則に反している。
しかも、一緒に湧き出てきた花も、実体を持って部屋の床に転がっていた。
――え、これ現実?
これが、恐怖を喚起するような物体だったならば、叫び声を上げていたかも知れない。
しかし、花と毛玉。しかも毛玉ときたら、白黒ブチの牛柄だ。
驚きを通り越して半ば呆れた気分で、気づけば口をあんぐりさせていた。
「ちょっと! せっかく30歳のお誕生日に、まだ童貞のあなたに童貞卒業のチャンスを運んできたというのに、いきなりフォークを投げつけるなんてヒドイじゃないですか!!」
毛玉がぷるると身体を震わせるのに合わせて、クリームが散った。
「――なんて?」
毛玉は急にもったいぶって、コホンと咳払いをした。
「童貞のまま30歳になったあなたは! この度、童貞卒業のため魔法でバックアップを受ける権利に当選しましたー!!!」
「……は?」
いや、だからなんて?
俺は異常な場面にも関わらず、あまりにも的外れな状況に、思わず通常のトーンでツッコミを入れた。
「いや俺、現役男子高校生ですけど?」
――完全に時が止まった。
毛玉の視線が、俺の上から下までをゆっくりと移動していった。
「……えーと。……さいとうゆうたさん?」
「人違いです」
「え? え? 人違い? え? どういう? え?」
目の前の毛玉は、とてもわかりやすく動揺し始めた。
まず、言ってる事がほとんど文章になってない。
そして、空中で右往左往している。まさに、右へ左へ、思いの外俊敏な動きで行ったり来たりを繰り返している。
時々目が合うのだが、おそらく混乱のあまりしっかり見えてないのだろう。目線がせわしなく泳いでいる。
そんな様子を、俺はどこか他人事のようにメタの視点から眺めていた。
やはり、異常な状況には変わりない。
この世に羽根も動力もなく浮く物体は無いし、このサイズの生き物(生物だったとして)が人間の言葉を喋る事例も聞いた事がない。
俺はもっと目の前の状況に驚くべきなのか?
いや、それとも恐怖を感じるべきか?
しかし、毛玉が焦りを見せれば見せるほど、俺は自分が冷静になっていくのを感じていた。
いい加減、半泣きの毛玉が不憫になり、正確な情報を与えてやることにした。
「いや俺、『さとう・ゆうた』だから。17になったばっかだから」
「えええぇぇーー!?!?」
おぉ。大声で驚いた毛玉の毛が逆立って、1.5倍くらいの大きさに膨らんだ。
マジで猫の尻尾のようだ。不覚にも、若干触りたくなってしまったじゃないか。
「いやいや、でもですね、確かにここに……」
何処からともなく、毛玉の前にB5サイズくらいの紙が現れた。
いったい何処から出した!? ――とツッコミたいところだが、今更だ。そのツッコミを入れるなら、最初の空中に花が飛び出てきたタイミングで入れておくべきだっただろう。
完全にタイミングを逸した後だったので、敢えてツッコまずに受け入れる事にした。
「あ、あれ……?」
毛玉はそのB5サイズの紙と俺を交互に見比べている。
「見せろ」
奪い取って紙を見てみると、それは履歴書のような形式の書類だった。
上から、名前、住所、年齢、性別と続き、略歴のようなものまで書いてある。
左上には顔写真。ずんぐりとしていて、前髪が目にかかっていて暗そうで、ついでに脂臭そうでニキビだらけの老けた男が写っていた。
うおぉーい。
このオッサンと間違われたのか、俺。
これで30歳? 嘘だろ?
いや、そりゃ俺だって、イケメンと言う訳ではない。それは自覚している。
このさいとうゆうたも俺も、モブ系の顔には変わりない。
だが、コイツと俺ではモブの種類が違う。
この書類に載っている顔は、モブはモブでも、どちらかと言うと粗悪な扱いを受けそうなモブ顔だった。
なんなら、鬼畜系エロ小説ではヒロインを拉致監禁する、主要登場人物にもなれる可能性を秘めた容姿だ。
それに比べて俺は、モブ中のモブと言って良い。言わば真のモブ。
何処にでもいる中肉中背の体格。何処にでもいる平均偏差値の顔面。何処にでもいる当たり障りのない性格でもある。
確かにコイツと同じ、黒い前髪が目にかかってしまってはいるが、見た目の共通点と言えばそれくらいじゃないだろうか。
「だいたいコイツ、さいとうゆうた? アパート住まいじゃん。ここは一軒家だし、どうやって間違えるんだよ。ちゃんと見ろよ」
しかも、もっと根本的な事を言えば、佐藤と齋藤では画数が圧倒的に違うし。さいとう宅の方は知らんが、うちにはちゃんと表札も掛かっている。
「ほら、苗字の漢字も違うじゃねぇか」
「いやあの、主にふりがなの方を読んでいてですね……」
なるほど。おツムが足りなかったのか。
まあ、人違いだとわかったことだし、ここは速やかに帰ってもらうのが得策だろう。
ここまで普通に対応してしまったが、これ以上この変な生き物に関わるのは何か良くない気がする。俺の勘がそう言っている。
「じゃあ、そういう訳なんで。俺関係ないんで。早くその、さいとうゆうたさん? のところへ行っちゃってもらえます?」
別れの挨拶のつもりで片手を上げた。
それを見た毛玉は、急にぷるぷると震え出した。
え、毛玉なのに、なんかすげぇ絶望感出してきてるんだが?
「……リ……」
「は?」
「もう……もう、魔法かけちゃったからムリ……」
「は……?」
毛玉は目を潤ませながら、依然としてぷるぷる震えている。
「だから……もう、かけちゃったんですよぅ、童貞卒業アシスト魔法」
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