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第14話
「ああ!あなたが天音くん!」
翌日、開店前に出勤してきたマキコさんに顔を合わせるなり指を差されて天音は面食らった。
「えーと。はい、そうです。佐々乃天音です。マキコさんには僕がいない間、お世話になったって聞いてて…」
「やだ、そんなこと!私もカフェを手伝えてさー、良かったよ。葡萄農園も十年も働いてるとたまには違うことしたくなるのよね」
天音がいない間、流路は誰か手伝ってくれる人を探してワイナリーを経営している中山さんに相談したらしい。すると『まあウチも他の農家も、いまは収穫の時期だけんども…。まあ、うちは従業員たくさんいるからなあ。誰か、やってみたい人いるか、聞いてみてやるよ』と言ってくれて、天音が出て行った翌日から来てくれたのがマキコさんだったというわけだ。
マキコさんの夫はここのあたりでは珍しく農業関係の法人に勤めていて、マキコさんは小五の息子を育てる傍ら葡萄農園の仕事をパートでしているらしい。
「最近は収穫が終わったら冬は冬でジャムだとかソースとかの加工品を作ったりしてるのよ。だから、そろそろ私もナカヤマワイナリーに戻らなきゃいけなかったし、天音くんがちょうどいいタイミングで戻って来れてよかったわ」
「そうなんですか。本当に、ありがとうございました。また何かあったら手伝っていただけたら嬉しいです」
「ええ、来年の夏にでも、忙しくなったらまた声かけてね」
「はい、ぜひ!」
「そうそう、あのさ、天音くんって如月くんと本当に仲がいいのね?」
そう急にふられて天音はギクリとした。
「え、あ、はい……。高校からの友達なんで」
マキコさんの口調にはなんの含みもなさそうなのに、なんとなくしどろもどろになる。
「そうなんだってね。だって、如月くんってばさ、私が来てからもずっとなんだか元気なかったのよ。『相棒の子が帰っちゃったんだって?なに、寂しいの?』って聞いたら『はい……。なんか、やる気なくなっちゃって…』って、暗〜い顔で溜め息吐いたりしてさ。だから『何、言ってんの!経営者でしょ、しゃんとしなさいよ!』って発破をかけたんだけど『はあ…そうですね』とか言っちゃって。常連のおじさんとおばさんも『なんか最近、如月くん顔色悪いよね』『友達と喧嘩でもしたんじゃない』って、ザワついててさ」
「そ、そうだったんですか。ヤだな、流路のヤツ…」
笑顔を浮かべつつも(流路のヤツ、そんな分かりやすい態度じゃダメだろ)と天音は心の中で焦った。
「なのにさー、半月前くらいだっけ?急に明日東京に行くとか言いだして、で、戻って来たと思ったらニコニコしててさ。『今度、天音が帰って来るんです。マキコさんにもやっと会ってもらえるな』とか言っててね。私、さんざんあなたの話を如月くんから聞いてたから今日初めて会ったとは思えないくらいよ。でも流路くんの話ぶりだともっと子供っぽい人なのかと思っちゃってたな。ちゃんと、大人の男の子だったわね」
マキコさんは邪気なくニコニコと笑う。
「え、流路のヤツ、一体何を…?」
「うーん、あなたがこの味付けが好きだったとか、子供みたいな料理が好きだとか…。高校の頃はバレー部とバドミントン部で隣のコートで練習してたとか?『天音は皿を両手で四枚も持てるんだけど、オレは出来ないんですよね』とか?」
「ちょ、そんなことを…」
天音はどんどん恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたいとはこのことだ。
ーーー流路のやつ……!それって惚気みたいなもんだろ…。
当の流路はといえば、牛乳が足りなくなったから何本か買ってくると言って出掛けてしまっている。帰ってきたら口を酸っぱくしてあんまりベラベラ人のことを喋るな、と言わなければ。
「如月くんって愛想はいいけど、もしかして天音くんの他に友達いないの?」
「う…。まあ、そうかもしれないですね。あいつって、そう、あれでいて人に対して壁があったりするし…」
へどもどしながら天音は言い訳するように言った。
「そうなんだ?天音くんには心を許せるってことかあ。共同経営にはそれくらい信頼関係がなきゃダメなのかもねえ」
「…そうですね」
マキコさんがごく純粋な捉え方をしてくれていて助かった、と天音は胸を撫で下ろした。もっと鋭い人だったら二人の関係を疑ったとしても不思議はないだろう。
そのとき、カラン、と音がして「ただいま」とビニール袋をカサカサ言わせながら流路が帰って来た。
「ああ、如月くん、おはようございます」
「マキコさん、おはようございます。今日もよろしく。あ、天音!お前の好きなプリンの新しい味、出てたから買って来たよ」
その言葉を聞いて天音はちょっと頬を赤くし、マキコは「仲良しねえ」と特に含みのない口調で微笑んだ。
「あ、マキコさんにもありますよ。ランチが終わったらまかないと一緒に食べてくださいね」
「はーい、ありがとう!」
マキコさんは屈託なく言い、天音は「…ありがとな」と俯きながら礼を言った。
そんな天音を流路は「?」と不思議そうな顔で見たあと、すぐ笑顔になる。
「じゃ、準備しますか」
「はーい。私は中と外の掃除するね。天音くんはもう手伝うの?」
「あ、はい。じゃ、俺は仕込みを手伝います。マキコさん、よろしくお願いします」
「りょうかーい」
マキコが外の掃き掃除に出て行ったあと、天音は渋い表情を作って「おい、流路」と腰に手を当てて声を掛けた。
「ん、何?天音」
流路はハンバーグを形作る手を休めずにチラリとこちらを見る。
「お前さー、マキコさんに俺のことなんだかんだどうでもいいことまで喋っただろ?『仲良いんだね?』ってニヤニヤしてたぞ?」
「ああ。そうだなあ、マキコさんがなんか頼り甲斐があるから、なんか余計な愚痴まで聞いてもらっちゃって……」
「愚痴ってなんだよ?!他にも何か言ってたのか…?」
「いや、別に本当のこと言ったわけじゃないよ?ただ、『俺の態度が良くなかったから天音は出てっちゃったかもしれなくて……。帰って来ないつもりかもしれないし、こちらから電話することも出来なくて、どうしようかと思ってるんです』とか相談したりして……」
「おまっ…!!マキコさんに紛らわしい相談するんじゃねえよ…!!」
「……そう?マキコさんは単にオレたちが友達同士で揉めたと思ったみたい。『素直に謝って帰って来て欲しいって言えばいいんじゃない?その子、無職だったからここにいたんでしょ?早くしないと本当に就職先見つけて戻って来ないんじゃないの』って言ってくれてさ。それもあって、やっぱり天音を迎えに行こうと思ったんだけど……」
「あ、そ……。はぁ〜〜」天音は深く溜め息を吐いた。
「ダメだったかな……」
「流路のそれって天然?それともわざと?」
「失礼な。わざとなワケないだろ?」
「そんなんじゃ、バレるの時間の問題だぜ?」
天音が呆れたように流路を見ると、流路は仕込みのてをとめてこちらを見た。
「別にバレてもいいから。俺は平気。もし、聞かれたらすぐ言うよ。天音と付き合ってる、って」
「な……!!」
天音は目を見開いた。
「だって、いずれ分かることだよ。もし本当にそれでヘンに思う人がいて、ここにいることが難しくなったら……オレは天音とならどこでもいいって言ったろ?カフェなんて、どこでやったっていいって」
「流路……」
「だから……天音は心配しないで」
流路は挽肉を捏ねるためにしていたビニールの手袋を外すと、天音の手をキッチンの流しの陰で握った。
「俺が、天音のこと守ってやる」
「はあぁ?」
「……不服?」
「バーカ」
天音は流路の手の上からもう片方の手を重ねた。
「俺だって……。流路のこと、守ってやるよ」
「……うん。ありがとう」
ギュ、と流路が天音の手を強く握ると、
「外の掃除、終わりました〜!」
と、勢いよくドアを開けてマキコさんが店内に戻ってきた。
ぱっと手を離した天音は「あ、ありがとうございます!」とドギマギしながら声を掛ける。
「はーい。次は何する?」
「あ、じゃあ、そこにダスターを漂白剤につけ置きしといたバケツがあるから、洗って畳んでおいてもらえます?」
流路が指示すると、「了解でーす」とマキコさんはキッチンに入って来てバケツの水を流し始めた。
まだドキドキする胸を抑えながら天音はひたすらピーラーでジャガイモの皮を剥いた。チラリと流路を見ると、視線に気づいてニコっとこちらに微笑む。
ーーーこいつ絶対、バレてもいいと思ってやがる。
はぁ、と天音は溜め息を吐いた。けれど自分が危惧していることなんて本当は大したことないのかもしれない、という気持ちも芽生えて来た。
もし本当にここに居られなくなったら、流路と一緒にまたどこかで何かを始めればいいのだ。
「流路……」
天音は流路に近付いてコソッと耳打ちする。
「ん、なに」
「……今日の夜も、しような」
「……はぁ?」
その不意打ちに珍しく流路が顔を赤くしたので、天音はニヤっと笑って流路の背中をバン、と力いっぱい叩いた。
「いてっ!」
そう言って流路は少し顔を顰めてから、ゆっくりと頬を綻ばせた。
すると、「おーい。もうやってる?」と常連のじいさんたちがぞろぞろと顔を出す。
「はーい、いらっしゃいませ」
マキコさんが元気よく応対し、
「おはようございます。いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ!」
流路と天音も彼らのお気に入りの珈琲と食事を用意するために腕まくりをした。
秋が深くなって来て、窓の外の山々はいよいよ紅葉して視界が真っ赤に染まってきている。あの流路から届いた葉書にあった紅葉の景色もあんな風だったな、と天音は手紙を受け取ったときのことを、もう懐かしい気持ちで思い出した。
瑞坂町の冬はきっと都内よりもずっとしんとしていて、もっとキンと冷えることだろう。雪で外に出ることの出来ない日もあるのかもしれない。そんなときは流路と一緒にベッドの中で遅くまでぬくぬくしていればいい。そして起きたら二人で珈琲を淹れて、朝食をゆっくりと用意しよう。
珈琲豆をグラインダーにセットしながらそんなことを考えていたら、天音の頬はいつのまにか緩んでいたようだ。
「あれ、天音くん、ご機嫌だね?」
マキコさんがテーブルに持って行く水をグラスに注ぎながら、こちらに向かって笑いかけてきた。
「あ、すいません、へへ。やっぱり森の音はいい店だなって思っちゃって」
「そうだろ?天音」
流路がなんだか自慢げに言う。
「……うん、ありがとな、流路」
「なあ、天音」
「ん?」
「〈森の音〉っていう名前は、天音から一文字取ったって、知ってた?」
「ええ?嘘だろ?!」
「さあ、どうでしょう」
こちらを見ずに微笑んで料理を続ける流路に、今度は天音の方が頬を染めた。
もう。敵わないや、こいつには。
天音は笑い、ゆっくりと珈琲の香りと陽差しが溢れる〈森の音〉の空気を吸い込んだ。
その夜も、ベッドの中で天音はぎゅう、と抱き締められていた。
「んん、苦しい……流路……」
「あ、ごめん、天音」
「お前、俺を抱き枕かなんかだと思ってるだろ」
「そんなことない……けど、天音が帰って来てからやっとよく眠れるようになった」
「それは……俺もおんなじだけど」
天音だってしばらく睡眠は浅かったが、こちらに戻って来てからようやくぐっすり眠れるようになった。
「天音がいないとオレ、駄目みたいなんだ。だから、もうどっかに行かないで」
「……流路って案外、甘えたがりなんだなあ」
「そうだよ。やっと気づいた?」
「うん。でも、俺もそうみたいなんだけど」
「そう?じゃあ、甘えていいよ、天音」
微笑む流路の胸に顔をうずめて擦りつけ、じんわり広がる幸せな気分でいっぱいになって、いつしか天音は眠りに落ちて行った。
明日になればまたカフェの扉が開く。
柔らかな陽射しが窓から差し込み、遠くからは鳥の鳴き声が聴こえる。
やがて、だんだんと車が近づいてくる音がしてきたら、外に出て開店の看板を出す。
そして笑顔で出迎えるのだ。
「いらっしゃいませ。〈森の音〉へようこそ!」
おわり
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