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第1話

 一羽(かずは)は頬杖をついてビールをちびちび舐めている奴を見た。同室者であるが、関わりはない。関わりがないどころか、自ら関わり合いを持とうとしても拒む相手であるから厄介だった。   少しだけ、酔いが覚めつつある。それが怖い。 「もっと注いで~ぇ」  特に親しい友人に空のグラスを突きつける。成海(なるみ)綾舞(りょうま)は眉目秀麗なつらに、「仕方ないな」とばかりの笑みを浮かべて瓶を傾ける。  耳に心地良い(せせらぎ)と、小規模に収まる澄んだ(さざなみ)を眺める。  サークルで温泉旅館に泊まったのだった。何人か欠席者はいたし、伝統でもなく、強制でもなかった。ただ行事に(かこつ)けて飲む。やることは、酒を飲み、騒ぐことである。  グラスに注がれた異臭を放つ水を口元に運ぶと、囃し立てる声が湧く。黄色い声も混ざっていた。そう(おだ)てられては、無視できない。グラスを握り、立ち上がる。 「あまり無理するなよ」  横から成海が浴衣の裾を摘んだ。 「だいじぶ。オレを誰だと思ってんでい」  一羽は胸元をどんと叩いた。彼は真っ赤な顔をしていた。 「お前等、好い加減にな?」  成海は一気飲みを煽る酔っ払いどもを宥めにかかった。盛り上がる席の端で、一人立ち上がる者がいた。だが誰もそれに気付かない。否、一羽は気付いた。これからさらに盛り上がるというところで水を差す。不愉快で、空気の読めない奴がいたものだ。それはこの旅館に於ける同室者であった。酒を飲み、大騒ぎをする以外に、建前にせよこの旅行にも目的がある。交友を深めることだ。しかし、奴はその目的を遂げようともしなかった。にこりともしない。一羽は籤引きによって彼と同室になるまで、出席していたことにも気付かなかった。 「神坂(こうさか)」  酔った自身の声は上擦っていた。広間の端を通って出ていこうとする者に、視線が集中する。背は高いが線の細い、銀縁眼鏡が嫌味っぽい男である。彼は一斉に浴びせられた眼差しに苦々しげであった。そして一羽を見遣る。 「オレ今日部屋戻んないから、電気消しちゃっていいよ。でも鍵は一応開けといて」 「ん」  壁伝いに歩いていく神坂は小さく頷いた。それから一羽は前口上を述べてグラスを呷る。異臭が蓄膿症みたいに頭蓋骨に満ちていく。足の裏が畳を離れていくような浮遊感を覚えた。平衡感覚が分からない。 「大丈夫か?水飲め」  隣から伸びた成海の腕によって、一羽は己の位置を理解し、揺れる視界の中で座ることができた。握らされた冷たいグラスをまた呷った。茫乎とした意識に、一筋の冷感が突き抜けていく。 「にゃるみぃ……床でいいからさ、にゃるみンとこの部屋行っていい?」  一羽は小さく丸まって、成海の膝に頭を乗せた。 「ん~、暮瀬(くれせ)」  成海は一羽からは見えない席へ呼びかける。彼の同室者だった。 「なんだ」  一羽もひょいと起き上がって、そのほうを見た。暮瀬(くれせ)薫は息を呑むほどの美青年だった。だがどこか嫋やか色を帯びている、汗臭さや泥臭さのない小洒落た美しさである。背が高く、顎が小さく、女好きのする端麗ぶりである。一羽はそういう美しさに惹かれなかった。男の身として生まれたからには、成海のような精悍な男らしさに憧れるべきなのだ。 「部屋、一羽と代わってくれないか」  暮瀬は酒も飲まず、残りものの冷めたから揚げを突いていた。レモンの搾り滓から、さらに汁を搾り取ろうとしている。 「籤引きで決めた意味がなくないか」  彼もまた一匹狼のような男であった。神坂と同様に、何故参加したのか分からない。 「そうだな。諦めろ、一羽」  彼は目を閉じた。成海の膝を枕に寝たふりをすることにした。 「一羽、寝たのか」 「すぴー、すぴー」 「起きろ。お前がもっと小さければな、お姫様だっこで運んであげられたけど」 「部屋取り替えなくていいよ。オレ床で寝るから。へーき、へーき!」  しかし、一気飲みが祟った。彼は解散になるまで起きているつもりであった。夜通し、飲んで食べて騒ぐつもりであった。ところが、アルコールはそうさせてはくれなかった。目を閉じた意識もないまま、す、と眠りに入ってしまった。そして薄らと目を開いたときには、すでに背中の上であった。 「にゃるみ……?宴は……?」 「解散したから。明日しんどくなるぞ」  一羽は部屋の前で下ろされた。成海は嘘を吐いている。だが一羽ももう眠くなっていた。まだ解散していなかったとしても、ふたたび顔を出す気にはなれなかった。 「ありがと」  頬に冷たいものが当てられる。 「ひょえっ」  ペットボトルであった。水である。 「ちゃんと水飲め。びっくりしたぞ」  頭に大きな掌が乗り、一瞬冷やされた頬へ滑り落ちる。  一羽は女性と見紛うような風貌ではなかった。背丈も極めて高くはないが、特別低くもなく、同年代の男性の平均身長と大差ない。しかし成海は、まるで異性の恋人にするかのような素振りである。否、一羽は彼に対してそのように振る舞ってきたのだ。多少、意図に齟齬があるようだけれど。  一羽は部屋に入った。すでに明かりが消され、彼は腹を立てたが、直後にそうさせたのが誰だか気付いた。二間続きの部屋で布団は1人一間ずつ割り当てられているものと思っていたが、そうではないらしかった。一羽閉ざされた襖をゆっくり、音を殺して開いていった。彼にも良心はある。酔ってもどうにか、寝ているであろう人間を(おもんばか)る程度には、善の心があるのだった。暗い室内に布団が青白く光って見えた。  同室者はすでに床に就いているが、いかんせん寝相が悪いらしい。一羽はぼふ、と布団へ大の字に倒れ込んだが、その横で頻りに衣擦れの音が聞こえた。同室者の神坂は神経質げな見た目をしているが、実際は大雑把らしい。だが気にすることはない。些事である。今宵は酒が入っている。  目を閉じた。成海の膝を枕にしたときのように、眠りに落ちるはずであった。だが、なかなか寝付けない。アルコールが抜けたわけではなかった。自身から薫る異臭はまだ新鮮である。何故寝付けないのか。宴の興奮のためか。違う。原因は隣にある。忙しない物音だ。一羽は怖くなった。格安で予約が取れた話を急に思い出した。ここは事故物件なのではあるまいか。事故物件で、布団の中には怪物がいるのではあるまいか。神坂はこの部屋に巣食う怪物にすでに食われてしまったに違いない。  彼は震えながら隣の布団に手を伸ばした。ここは成海に頼るべきだ。 「………なるみ」  一羽は硬直した。内心を読まれたのかと思った。いいや、実際彼は、自身で成海の名を口にしたとさえ思った。 「え……?」 「なる、み……」  神坂の声だった。何故、ここで成海の名が出てくるのか。思案した。理解した。一羽はこの旅行に合わせて髪を染めた。明るい茶髪を成海のような黒髪に。 「な………るみ………」  その呼び方に寒気がした。甘えるような音吐(おんと)であった。  目が、暗さに慣れていた。布団が蠢く。旅館に入ってきたときにした匂いと、妙に他人っぽい匂いが温気(うんき)を帯びて鼻のなかに竜巻きのごとく流れ込んできた。アルコールの匂いが吹き飛んだ。酒臭さを凌駕するほどの他人の家の匂いがする。  神坂は寝返りをうったらしかった。浴衣の胸元が(はだ)けている。薄ぼんやりと見えた。  冷えた指先を温めたくなった。腹が立ってきた。酒を飲み、気を失うように眠るつもりが、神坂の寝相のために邪魔されたのだ。一羽は無防備に開かれた薄い胸板に掌を当てた。他人の家の匂いに噎せそうになる。他人の匂いだけでなく、他人の体温が指の輪郭を溶かしていくようだ。 「ん……」  酒気が冷静で合理的な思考を奪っているのだろうか。聴覚さえ。  一羽は怖くなってしまった。神坂の鼻にかかった寝息に恐ろしくなってしまった。布団に戻り、アルコールが分解されていくのとと共に忘れてしまうべきだ。だが一歩遅かった。またごそごそと大袈裟な衣擦れの音が(こだま)する。 「あ………ん、ん…………っ」  ごす、ごす、と分厚い布が揺らめく。胸元のさらにずっと下のほうで布団が浮沈する。上擦り、媚びた声の混じった吐息が合間に差し込まれながら。一羽は健康的な若い肉体を持っていた。男のこの機能と始末について知っている。持て余すほどだった。  一羽はこの枕に仰向けで寝ている人物を凝らしていた。暗闇を浚ったときに、そこにいるのは本当に神坂であろうか。一羽から見て、神経質そうで、人嫌いで、群れるのを嫌がり、他者を見下しているようなあの神坂であろうか。不愛想で抑揚もなく冷淡に応対する神坂の声だったのだろうか。彼の喉はそのような声を出せるのだろうか。  見てはいけない、聞いてはいけない、知ってはいけないものに触れてしまった。 「あ………っ、」  眠りのなかでの自慰は、そうとう気持ちが良いらしかった。一羽は少し、神坂が羨ましくなってしまった。おそらく神坂は女を知らない。性交を。ゆえに自慰などで満足できるのだ。自慰などで、声を漏らすほど快くなるのだ。  一羽は自分の布団があることも忘れ、そこには一組の寝具しかないように、神坂の傍に座っていた。まるで腰が抜けたような有様である。  やがて、手淫は激しさを増す。  静寂に、繊維の摩擦と上擦った吐息が染み入っていく。隣室も存在していいかのように物音がなかった。  そろそろ、射精に至るはずである。だが神坂の手は、それ以上速くは動かせないだろうというところで止まった。寝ながら、彼は恍惚としているのが分かった。手を止めと、寝返りをうつ。一羽はこの同室者が、起きたものだと思った。音を消し、後退る。  掛布団を背負った亀みたいになって、神坂は俯せになると、尻を持ち上げた。 「ふ………っんん……」  神坂はおそらく起きている。素面ではないようだけれど。しかし素面ではないのは一羽もである。 「……なるみ…………」  親友を愚弄された気になった。何故神坂が成海を侮るのか。決まっている。成海は人気者だ。明るく、爽やかで、面倒見が良く、優しい。逞しく屈強で聡明だからだ。神坂のような陰湿な男の(ねた)(そね)みを買うのは仕方がない。  一羽は許せなくなった。甲羅のごとき掛布団を捲る。神坂の首が横を向く。彼の体勢は片腕と両膝で四つ這いを作り、片腕は尻を(まさぐ)っていた。正気の沙汰ではなかった。酒気に()てられていなければ有り得ない。 「成海……」  一羽は成海ではなかった。だが神坂は、一羽を前にして呼ぶのだ、成海と。  一羽には何故、神坂が尻を触っているのかまるで分からなかった。妙な大勢で尻を掻いているものかと思った。 「あ、あ、あ………っ」  たたでさえ上擦っていた声がさらに上擦り、高く、女のもののように感じはじめる。女が男に抱かれたときに発する、あの声によく似ていた。  神坂は、女かも知れない。神坂は肉体こそ男だが、神坂自身は自身について女として認識しているのかもしれない。一羽は恐ろしくなった。神坂が小学生中学生のときにありがちな優等生気取りの潔癖な気難しい女だったとしたら。常に冷淡に無愛想にあしらわれる理由。神坂は中身が堅い女であるがゆえに、男に話しかけられるのを厭うていたのか。だが、しかし。働かない頭を働かせたところで、逆接を重ねるばかり。  女でもない、男らしくもない喘ぎ声のなかに、また成海の名が囁かれる。成海が汚されている。成海が"カマホモ野郎"に穢されている。赦せない。成海には知られたくない。成海に知られてはならない。 「やめろ、それ……!」  一羽は神坂の口を塞ぎにかかった。だが足元が覚束ない。彼は転んだ。神坂の肩を掴み、そのまま転がった。暗さに目が慣れたとて、視界不良であることに変わりはない。仰向けになった同室者が、どういう顔をしていたのかは分からなかった。 「成海……?」  腕に触られている。 「やめろ」  視界がろくに利かずとも、口の位置がどこだかはすぐに判じられた。柔らかなものが掌に当たる。さながら2人で何者か第三者から隠れているかのようであった。 「ん………んんッ」  唇に接した掌から全身の戦慄きが伝わる。女の、絶頂の声にその掠れた小さな響きは似ていた。一羽は目を見開いた。静寂のなかで、何が起きたのか理解しようとした。鮮烈な印象が目蓋の裏を閃いてい治まらない。  成海の前では女にされてきたように、或いは己が抱く女に対する理想と期待を演じてきたが、一羽は自身を女性とは認識はしていないし、女性になりたいわけでもなく、また同性愛者でもなかった。しかし。しかし、酒気と、(おぞ)ましく突き刺さる天啓的な情報が彼を狂わせた。  何ということはない!神坂の中身は女なのだ。  一羽は神坂に乗った。唇に噛みつく。酒臭さのなかに、歯磨き粉のミントの匂いが混ざった。 「ん………っく、」  柔らかく、神坂の唇は一羽を迎える。薄い胸板に肥り過ぎても痩せ過ぎてもいない肉付きの胸元を擦り寄せる。  同室者はやはり寝ているのかもしれない。口腔を漁り合いながら、彼はまだここにはいない者の名を囁こうとする。だが一羽はそれを食ってしまった。  身体を擦り付け合い、下腹部に垂れた(こぶ)をぶつけ合う。  酒臭さで何も分からなかった。呼吸も忘れて、舌を絡めた。溺れるように絡めた。神坂の腕が頭に巻きつく。一羽は神坂との身体の間に片腕を潜り込ませた。前が苦しい。神坂のように自慰に耽りたい。ところが、頭に巻きついていた腕がさらに一羽を抱き寄せた。 「……抱いて」  それは本当に神坂の声であったのだろうか。妖怪が彼に取り憑いているのではないだろうか。  しかし一羽はそうするつもりになっていた。セックスの選択肢を提示されておきながら、何故マスターベーションを選ぶのだろう。 「い………っ、う、うぅ………」  一羽は神坂の下半身の奥へ身を沈めた。強く拒まむ力が働く。強い眠気と、その眠気を快くする感覚を期待して、腰を押し進め続ける。 「成海……」  誰かの名前を呼んでいるが、一羽はくらくらしていた。眠るのが先か、組み敷いた何者かとセックスしてしまうのが先か…… 「おねがい……」  泣きそうな声は覚えていた。  喉の渇きと酒臭さ、頭痛で目が覚める。肌寒く感じたのは、布団を掛けていないからだろう。浴衣も乱れていた。そしてすぐ傍に、人が寝ている。胸板を晒して。哺乳類ならば雄雌関係なくついている部位が目に入り、一羽は目を逸らした。隣の、手付かずの布団が視界に入った。薄ぼんやりと、夢かもしれない光景が断片的に甦る。だが現実味がない。朦朧として、曖昧で、どちらでも有り得そうで、どちらでも納得できなかった。  けれど強烈に感じるのである。それは確信に近い。神坂と何かあった。己の内に発生する確信を疑いたかった。だが、否定し続けるにはあまりにも生々しい。  一羽は逃げ出した。3つ隣が成海の部屋だった。 「にゃるみぃ~!」  ノックもせずに引戸を開ける。不用心である。鍵が掛かっていない。居間に入り、襖を開ける。布団が2つ盛り上がっていた。片方が、むくりとさらに膨らんだ。眠そうな成海である。 「うっう、にゃるみ。寂しくて来ちゃった」  猫でも迎えるような所作で、成海は掛布団を開いた。入ってこいというわけだ。一羽は中へ潜り込む。大の男2人には狭い。 「酒臭……」  一羽はそこでもう一眠りした。徐々に訳が分かりはじめてきた。ゆっくりと染み入るように。神坂、成海そして自身―一羽。何が起こったのか。神坂と何をしたのか。何故そうなったのか。  朝飯は広間で食った。一羽は神坂と2人きりになりたくなかった。顔を合わせたくなかった。10時から、この旅館から少し離れた観光地を散策する予定だった。手荷物を持って一羽は成海の部屋へ逃げ込んできていた。 「神坂が具合悪いらしいからさ、おれ、残るわ。1回ここ、来たことあるしな」  同室者の暮瀬は呑気に茶を飲んでいる。彼は常に何かしら飲み食いしていた。だが線の細いなりに筋肉質であるから羨ましい話であった。 「急病?」  一羽が不満を言いかけるのを、暮瀬は咥えた湯呑みから覗く切長の目で制した。 「そういう感じじゃないみたいだけど」 「子供でもあるまいに」 「でも退屈だろ?せっかくの旅行だし、幹事のひとりとしても、みんなに楽しんでほしいんだ」  「――だそうだ」とばかりに暮瀬は成海から一羽へ目を戻す。 「でも神坂ってさ、」  嫌な感覚が、さっ、と胸を掃くように過ぎていった。不安が通り過ぎていった。だがその正体が分からない。何か靄めいたものが去来し、忘れてしまう。 「ん?」  成海は人懐こそうに眉を上げ、続きを促す。 「いや……別に……」  おそらく自身は成海の前で神坂の話をしたくないらしい。それを漠然と一羽は理解した。 「なんだよ?」 「話すこと、なくない?っていうか……神坂、ウザがるじゃん、そういうの」 「でも、1人くらいは残ったほうがいいだろ」  もし、その体調不良者が神坂でさえなかったら。たとえ暮瀬でも、「オレが残る!」と言っただろう。成海の軽快な自己犠牲的な精神が時折り、気に入らなくなる。成海に我慢をさせたくない。成海が譲るくらいならば自分が譲る。一羽はム、と唇を尖らせた。 「十宮(とおみや)――」  目の前の瞬時の戦慄。一羽は成海の話を飛ばしかけた。暮瀬が大きく肩を跳ねさせたことに一羽も驚いてしまった。茶を飲み損じた「ひゅっ」という音が聞こえた。 「――残るって言ってくれたんだけど、あいつがめちゃくちゃこの旅行楽しみにしてたからさ。おれとちょっと昨日飲み過ぎちゃったし。神坂誘ってトランプでもしてるわ。何かあったらWINEしてくれよ」 「うん」  だが結局、つまらないものだった。成海がいないのなら、一羽も旅館に残留してしまっても構わなかった。だがそれでは成海を困らせるだけである。  先程成海が口にした十宮はもう1人の幹事であった。成海は幹事長のような働きをしたが表向きは副幹事のようなもので、建前上の幹事長は彼である。彼とは成海を介して仲良くなった。無邪気で、小柄な見た目どおり子供っぽさの残る、しかし「少年」というより「小僧」といった感じの人物である。やる気はあるようだが、幹事を遂行する能力に欠けた。散策の最中、その彼は一羽に対して腫れ物に触るような扱いだった。  結城一羽は幼稚であった。成海の不在についてあからさまに、露骨に、不機嫌を主張した。結局、気を回そうとする十宮を突き放した。かといって旅館に悄々(すごすご)と引き下がるわけにもいくまい。十宮には散々気を遣わせ、それを省みることさえしなかったが、成海には嫌だった。成海の前では可愛らしくありたいのだった。彼はファストフード店にこもってしまった。  席につき、暇潰しにスマートフォンを持ったはいいが、インターネットに繋いでも内容は頭に入ってこなかった。情報は視界に入るが、脳を通さない。ただ急に、直前まで引き止め、食い下がり、機嫌を窺っていた十宮に済まなく思った。しかし徐々に雲散していく。  すべて神坂のせいだ。神坂が飲める酒の量を見誤るのがいけないのだ。朝飯時に集まったはずだ。そのときはどうだったのだろう。  一羽は意識的に神坂を排していた。だが今の一羽はそれを認めもしないだろう。そもそも神坂は目立つ人物ではない。倒れたり、吐いたりなどの騒ぎはなかった。心配など不要な程度の体調不良だろう。何故…… ――成海と2人きりになるために。  閃光のごとき回答がちらつき、一羽は吃逆めいた声を漏らしかけた。そのような発想に行き着く己が嫌になってしまった。何を理由に、神坂は成海と2人きりになろうなどと画策する必要があるのか。  フラッシュバック。声まで甦る。  一羽は泥状になったバニラのドリンクを吸った。冷たく重い甘味が先走る妄想を纏めて肚の奥へ沈めていっていく、こともない。  彼は旅館に帰ることにした。神坂は何を企んでいる?否、何も企んではいない。愚かな妄想であったと確かめにいくだけである。 『おねがい……』  泣きそうな声が鼓膜の奥にふと現れた。蕩けた口付けの夢が、生々しかった。バニラのドリンクの氷が、いつもより粗削りだったからに違いない。舌先が夢の中で味わった感触を求めている。(とろ)んでいく、あの感触を。  しかしそんなものは初めから知らないのだ。夢のなかの話なのだ。脳の錯覚なのだ。思い込まされた非現実なのだ。  それを確かめに行く。

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