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第一夜
私の目は右が栗色で左が碧。
左右の瞳の色が違う人間は、うちの家系では稀に生まれてくるのらしい。
祖先に天狗がいたのだとか。
神の遣いと尊ばれ、珍重されていたのは先祖が裕福だった往時の話。土地を追われ、山深い痩せた場所に住み着くようになると、瞳の色より、役に立つ人間か否かが重要になる。
脆弱で体力もなければ体格も人並み以下。
力仕事は不得手で、山仕事に付いて行くたびに出来の悪さをののしられる。
かくして私は、あれこれと理由をつけては物置きに引き籠もり、そこで先祖が残した雑多な書物を眺めて過ごしたりするような「無用な」人間と化していた。
九人兄弟の六番目。食事も物置きでひとりで取った。兄たちからねちねちと嫌みをいわれるのも嫌だったし、自分より下の「有用な」弟たちより粗末な食事をあからさまに与えられるのにもうんざりしていた。
そういうわけで、物見世 小屋の一座に買われたときは気がせいせいとしていた。九つのときだった。
一座の頭 は皆に「親父」と呼ばれていた。
片目で舌足らずな喋りをする小男だったが、実の親よりは話の分かる奴だった。
私の目は金になると教えてくれたし、食事も平等に与えてくれた。
おかげで腹が空きすぎて眠れなくなることはなくなったし、なにより、自分が一人前の有用な人間であることを知れて、私はうれしかった。
移動しながらの旅道中は、しかし、夏は蒸し蒸しと暑いし冬は凍てつくほどに寒い。おまけにお世辞にも衛生的とはいえず、周りの人間もやたらとケモノ臭くていやだった。
だが他に行くあてもない。「自分」さえ抑え込んでしまえば、少なくともここでは「人間」でいられる。そう思っていた。ある晩までは。
刺青だらけの「蛇女」や、人形の手足を体に巻いた「蜘蛛男」などの輩とは違い、私の目は本物だ。最初のうちは、親父は私をたいそう買ってくれていたようだ。
互い違いの色をした目を持つ私の籠の下には「怪奇 異人小僧」などという、なんとも垢抜けしない看板が掲げられた。
縁日で酒に浮かれた客がやってきて、親父に金を払えば籠があがり、私はただじっと客の顔を見る。それだけの仕事でよかった。
客は、私の目を無遠慮に覗き込んでは「へえ」とか「ほおん」とかいって、軽く首をかしげながら次の籠へと興味を移す。
どうやら私の目は地味で面白みがない。
親父がそう気づくのに、たいして時間はかからなかった。
物見世小屋は夜の仕事だ。
闇の中の、提灯や蝋燭のぼんやりした灯りだけでは瞳の色はわかりにくい。
かといって昼間に商売すれば、「蛇女」の鱗や「蜘蛛男」の手足が偽物だとばれてしまう。
別に私のせいではない、そういいつつも、親父は肩を落としていた。
自分の有用性を否定された気持ちがして悲しかったが、それでも親父は私に飯を食わせてくれた。
「これ買えるのかい。」
ある晩男が親父に聞いた。
私はその客がやたらと蝋燭で目のまわりを照らすので、熱くて痛くてたまらず、男の視線が離れた隙に何度も目をこすっていた。
親父はそんな私に、
「しばらく籠から出て目を休めろ。この旦那についていけば、飴を買ってくれるそうだ。帰ったら今日はもう寝ていい。」
といった。
突然の“ご褒美”に、私は喜んで従った。
いわれたとおりに男に手を引かれて目をこすりながら歩いているうち、縁日の狂ったような賑わいがだんだんと遠ざかっていく。灯りも少なくなってきた。
(飴屋は?)
だが男の足はずんずん速まる。
そうなると私はだんだん怖くなってきた。
私の手を引く男の手のひらは異様に汗ばんでいて、やたらと力が強いので指同士がひっついて痛い。手を抜こうとしたら男が振り向いたのがわかった。
「眠くなったのかい。」
そういうと男は突然私の体を抱え上げた。
「動くと落とすぞ?…だーいじょうぶ。おじさんが優しくしてやるから。」
男の声は柔らかだったが、にやついているようでもあって気色が悪かった。
だが私は、いわれたとおりじっとしていた。
動けなかったのだ。
男の肩越しに見える景色は、さっきまでいた縁日の参道よりよっぽどひどく狂っていた。
道端の草むらで、人間の形をした黒い影が何体も蠢いている。
祭りで人だかりが出来上がると町はずれにはたいがい即興の廓 が出来上がり、夜鷹 が出回るものなのだと知ったのは少し後になってからのことだ。
子供の私には意味がまったくわからなかった。
みんな苦しそうに息をしているのに逃げようとしない。
それどころか、お互いの体をぶつけ合っては奇妙な悲鳴をあげている。男と女だったり、男と男だったり。
(なんだこいつら。)まるで地獄の亡者みたいだ。
昔、物置にあった本で見た、地獄の絵を思い出していた。
(ここは地獄なのかもしれない。)
抱え上げられたまま男に頭を何度も撫でつけられ、私はぶるぶると震えていた。
やがて男が場所を決め、私はいよいよ草むらに下ろされることになった。
地獄の中に足を踏み入れるようで、生きた心地がしなかった。
手首を痛いほどつかんでくるのは私が逃げ出すのではないかという用心からだろうが、そんな気力などとうにそげていた。
「なんだ、初めてだと聞いたがずいぶんと落ち着いているんだな。」
男はのんきなことをいった。
着物をはぎ取られると、男は私の体を見るなり妙に息があがった様子になった。
仰向けに転がされると、細長い草の青々とした先端が私の背中にしかれてチクチクと肌を刺した。
足を広げられ、いきなり指で内壁をえぐられる。
のどから悲鳴が上がった。男のいったとおり、初めてだったのだ。そんな場所を刺激されることの意味などわからず、混乱し、体が震えあがった。
なのに男は、「いい声だね、そうだろ、いいだろう?」などといい、さらに激しく指を動かす。
女のような裏声が息と一緒に上がってきて、抑え込めないまま、口から次々とこぼれ落ちる。
自分の声に狼狽する私の様子を眺めながら、男はうっとりとし、
「お前はいい子だ…。そうだ、飴を買ってやるんだったな…。よしよし…どの飴がいいかな…な?」
と熱に浮かされたような声でつぶやいた。
やがて自分の体からくちゃくちゃと奇妙な音がし始めた。男は飴油か何かを塗り込んでいたようだ。
もういっぽうの手で前のほうをこすられると体中から汗が出始めた。男は確かめるように、ときおりその手で私の胸や腹を幾度も撫でまわした。
私の体がその度にびくびく震えると、男は私の頬を触り、私の顔を確認してほほ笑んだ。
「かわいいねえ…お前はかわいいねえ…。」
目は細く吊りあがり、口はますますにたりと裂け、歯の隙間からシューシューと蛇のような息を吐く男の顔を私はまるで鬼のようだと思った。怖かった。
ほどなく男は私に覆いかぶさってきた。
腕を突っぱねて男が近づくのを止めたかったが、体中が震えてしまっていて力が入らない。
背中ごと抱え上げられるようにして、腰が浮いた。
動き回っていた指が抜かれて、少しは楽になれるのかと思ったら、とたんに今度はもっと太くて硬い異様なものが体の中にめり込んでくる。
絶叫した。
なんと叫んだのかは覚えていない。
自分の声のすぐ隣で、男が低く呻きながら荒々しい吐息を繰りかえす。さながら獰猛なケモノのようだった。
痛い。
熱い。
私の中にずぶ、ずぶ、と侵入をつづけるものは、どうやら奴の男根であるらしい。
――いやだ!いやだ!いやだ!……
屈辱と嫌悪感で、私の頭の中は激しく動転し、憤った。
(やめろオ!)
ところが怒声をあげようとしても口から出るのは妙な悲鳴ばかり。
手足にも力が入らない有様で、それでもなんとか力を入れてそこから男を押し出そうとするのだが、いきむたびになぜだか男の先端はぐいぐいと奥へすすんでくる。
また口から悲鳴があがり、すると男は、
「いいねえ…お前、…なかなかわかってるじゃないか…」
ますます興奮しきりになった。
男の吐息には呻き声と同時にわずかばかりの笑みも含まれていて、すでに狂乱の様相を呈していた。
そうなるとこの状況がまた無性に怖くなり、あれだけ激しく憤っていた感情すら怯えて息をひそめると、私にはただ、屈辱と恐怖と、絶望だけが残った。
「爪が痛いぞ、手は上にあげていろ。」
とっさに男の腕から手を離し、頭の上の草むらをつかむ。
男の言いなりになっている。私は、この男に支配されている。
「顔を見せてごらん」「…んん…!」
男に唇を吸われる。
やっぱり笑っている。
気持ちの悪い生温かな舌に、口の中を舐め回される。
男の荒く熱い息が自分の息と入り交じる。
このまま食われるのではないか。鼓動はますます早くなる。恐怖がどんどん増してゆく。
激しく揺さぶられる下腹部は、まるで熱を持ったように熱い。
男が顔をあげると、その向こうには、黒い、黒い、墨汁みたいな空が見えた。
男が腰を揺さぶる。粘膜がこすり上げられ、そこが突き破られるようだった。
「あああ!やめてえ!」
悲鳴の隙間から必死で命乞いをした。
「おじさん…ア…かっ…勘弁して…!……」
「ハァッ…いいぞ!お前の目は…ほんとうに美しい…いいか…そのまま私を見てろ…目をそらすなよ…」
「…ひ…い…!…――」
男と繋がっているそこがくぽくぽと生々しい音をたて、あたかも、私の悲鳴に調子を合わせて音を奏でる楽器のようだった。
この男をさらに悦ばせようとでもしているのか。
なぜだかそのとき、とてつもない悪事を働いた罪人にでもなったような気分になり、私は吐き気を覚えた。
男がのけぞり、胸を見せる。
「アア…イク…、…ひひっ…」
男は空を仰いだまま、狂気じみた笑みをいっそう濃くすると「…ひぐっ…」…一度、大きく跳ねた。
繋がった部分に泡のような生ぬるい液体がぶちまけられる。とてつもない違和感に全身が泡立った。
「う…ア…!」
刹那、自分の下腹から胸に向かっても、何か生温かなものが駆け上がった。
衝撃で目の前がチカチカとし、背中をそらせて上を見ると、そこには逆さまになった地面が映しだされた。
「…アア!…アハハハ…!いいぞ!ヒャハハハ…」
男は今度こそ発狂したように笑い出した。笑いながら腰をまた何度も振った。
身体に無数の水滴が落ちてくる。
雨。
ふと自分の悲鳴が何かに似ていると思った。
さっき聞こえていた、地獄の亡者たちのそれと、同じだ。
ああ。私は地獄にいる。
まわりの亡者の悲鳴と自分のそれとが混じりあい、雨音に溶け合って一個の大きなうねりと化すと、それは一つのケモノとなり、瀑布のように落ちてきて私を地面に抑えつけ、圧した。
私の存在は淘汰され、かき消された。
無用な人間だから、こんな目に遭う。
だから、こうして、ほかの罪人たちと一緒に、地獄に、突き落とされるのだ。
私の指に根元から引き抜かれた草の根の、その合間から湧き出した土。
それは雨に濡れていて、真っ黒だった。
空も闇。
地も闇。
ここは、生ける亡者の地獄。
…地獄だ。
私の意識は、そこで終わった。
目が覚めると一座に戻っていた。
いつもの、地面の上に敷かれた硬い茣蓙 の上に仰向けで寝ていて、他の皆の寝息が聞こえた。
体を動かすと腰と尻とがひどく痛い。昨夜のことが夢でないことは明らかだった。
胸からするりと何かが落ちたので、体を半分だけ起こして確認すると、着物の中に、棒に刺さった平たいべっこう飴があった。(飴を買ってくれるそうだ。)…なるほど。
男がくれたのは飴だけではなかったようだ。着物も真新しくなっていて、それは、大きな菊の花が何個もついた、赤い、女物の着物だった。
茣蓙にひっくり返り、寝たままでべっこう飴を舐めた。甘くてうまい。
蛇女が目を覚ましたらしく、私を覗き込んできた。
「あんた、今日は大変だったねえ。」
女は私の髪をすいた。
「あたしもたまにあるから、きもちわかるよ。あたしは蛇だから平気なんだけど、あんたは人間だから、だめだよね、かわいそうにねえ。」
女はそういって泣いた。
自分の涙はぬぐわずに、私の涙ばかり、何度も何度もぬぐってくれた。
(つづく)
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