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第二夜
私の、人間としての有用性に対する在り方は、この晩から変わってしまった。
女物の着物を着て籠に入り、期待できそうな客には「色目」を使う。
互い違いのこの目で作る色目の効果はてきめんで、薄暗い照明も後押しすると、狙った客はたいがい落ちた。
昔は神の遣いと珍重された瞳の色がこんなところで役に立つとは可笑しなものだ。
神も色者も紙一重。私は一座の稼ぎ頭となった。
祭りがある日、親父は私だけに飯とは別に飴をくれた。
籠のなかで飴を舐めながら、縁日の客をぼんやり見ていて思った。
この飴が私の有用性の証?
…いや、ちがうな。
別に私が有用になったわけじゃない。
この世が、あまりに無用なだけだ。
客は私に声をあげろといったり出すなといったり、腰を振れだの動くなだのいう。
私は玩具も同然。人形と代わらない。
別に私でなくてもいいのだと思うと死にたくなる。だが、しょせんこの世は、無機質で空虚。
私のためにあるわけじゃない。でも、誰かのためにあるわけでもない。
味気などなく、あまりに無意味。
どうあがいたところで、そこには絶望しかない。
それがわかり、そのことを受け入れさえすれば、どんな客に抱かれていても心は不思議と楽になれた。
籠が上がり、提灯を向けられる。
客が顔をのぞきこめば、小首を傾げて少し困ったふうな顔を作る。
互い違いの目で上目づかいにほほ笑めば、ほら、この男だって、よろこんで私と同じ地獄に堕ちる。
そんな日々をのそのそと過ごして旅を続けているうちに、私の目はほとんど見えなくなっていた。
目を熱い蝋燭で照らされつづけていたせいだろう。おまけに、互い違いの目を面白がって指で触ってくる馬鹿もたまにいる。行為の最中に舌で舐め回されたこともあった。
そんなわけで、眼の色はいつの間にかくすんで両方白っぽくなり、景色も白っぽく、ぼんやりとかすんでしか見えなくなった。
相手の様子を見定めることも難しくなったが、要するに金さえ稼げればいいのだ。金さえ払える奴とならどんな地獄にも落ちてやった。
荷物も持たずに台車に揺られて旅をした。稼ぎ頭だから誰も文句はいわない。蛇女だけは、たまに自分の隣に乗せてやった。
その日の祭りは山深いどこかの集落で催されていた。
かなり栄えた町のようだ。人がざわざわと大勢いる気配がして、どいつも他の町の人間に比べて裕福そうだった。旦那たちが心づけを弾むのだと蛇女がうれしそうに教えてくれた。鉱山があるのらしい。
そうか。それなら今日は思い切りふっかけてやろう。払えないといわれたら次を待てばいい。
籠の中、自分の値打ちをいくらぐらいとふんでやるか、きせるで煙をくゆらせながら考えていた。
ぼんやりとした灯りが一座の向こうに見えて、縁日の通りを大勢の人間の影が行き来している。
いつもの光景。
物見世小屋の客はいつもより多い。蜘蛛男が調子に乗ってくるくると回ってみせている。五、六人の男たちが、それを見て歓声をあげているところだった。
あれだけの集団はめずらしい。おまけに、普通なら看板を見て一つか二つを確認すればたいがいの客は満足するのに、よほど金が有り余っているんだろう、片っ端から籠を上げている。
籠をあげるには一人一人が見物料を支払う必要があるから、かなり羽振りのいい一団だ。親父も付きっきりで付いて回っている。
その中の一番長身の男が兄貴分らしい。そいつが動くと皆それに従い、いそいそと付いてまわる。
金は子分たちが払っているようだ。どうやら兄貴分を喜ばそうと必死の様子。
だがなかなか難しそうな男だ。籠が上がるのを見て大げさに歓声をあげる弟分たちをしり目に、その兄貴分だけはつまらなそうにふいと次の籠へと移動する。そうすると弟分たちも半ばあわてて付いていく。
「なあ。」「そうだ、さっきのは、いまいちだった。」
弟分たちの声だけが聞こえる。おもしろい光景だ。なんとなく気になった。
(間近で見てみたい。)こっちまで来るといいな。
思っていたら、兄貴分があまりに飽きるのが早いのでわりとすぐに私の籠の近くまで来た。
どんな顔をしているのか。籠の隙間から見えない目で様子を探っていたら、籠が動いた。
提灯で顔を照らされる。
提灯のかさはいつものようにすぐ下げられて、蝋燭がじかに目にあたるようになる。
弟分たちが代わりばんこに覗き込んできた。凡庸な顔がぼんやりと浮かんでは消える。
こいつらに色目を使っても仕方ない。その気になられて、こんな奴らに舐め回されるのはごめんだ。
兄貴分の顔を確認したかったが、どうやらその前に飽きられてしまったようだ。
「次、蛇女だってよ!」
蝋燭はすぐに遠ざかった。
なんだ。どれが兄貴なのかもわからなかった。まあいい。
籠が下がったのできせるに煙草をつめていたら、ふいにまた籠が上がった。
驚いて見上げると、男が籠を持って立っている。男は籠を自分の横へ乱暴に落とすと、今度は膝を折って私の顔を覗き込んできた。
男の体からはいい匂いがした。灯りがないので顔が見えなかったが、思ったより若そうだ。
「お前、その目、見えてるのか?」
低いが、まだ若い青年の声。
「えっ、若 、気に入ったんですかあ?」
蛇女の籠を見ていた集団の一人が男に寄ってくる。
「うるせえな。お前ら、とっとと先に行け。」
“若”とよばれたその男がすごんだ声を出すと、声をかけた男は「へ、へえ」と慌てて集団に戻った。どうやらこいつが兄貴分らしい。
「俺が見えるか?」
男はまた私にいった。
灯りがないのに見えるわけがない。男をぼんやり見上げていたら、
「おい。」
頬をぺしぺしと軽くたたかれた。反射的に男の顔のあたりをにらむ。
「…もったいねえな。濁ってやがる。」
男は夜目が効くのらしい。いや、それとも私の目が悪いのか。なにしろすぐ目の前にいる男の顔がわからない。(くそ。)また悪化しているようだ。
「喋れないのか?」
…なんだこの男は。
まあいい。金も持っていそうだし、今日はこいつに売ってやるか。
小首を傾げて困ったふうな顔を作る。男は黙って私を見ている。
上目づかいにほほ笑んでみせた。男は少し考えてから、「親父!」と叫んで立った。(よし。)
「この籠の、もう一回り大きいのはあるか?」
(……。)
…なんだ。私を買う気になったんじゃないのか。
とんだ肩透かしをくらった気分になる。
親父が「へえへえ」とやってきて、「へ?籠のほうですか?」と私と同じ疑問をぶつける。
弟分たちも聞きつけ、『エーッ、なになにアニキー』とワイワイ小躍りでこちらへ来ようとするのを、“若”は「おめーら来るな!今日はもう先帰ってろ!」と一喝して止めた。
「籠、これが一番大きいですかね…ほら、旦那の籠よりはこっちのほうが。」
「あと、棕櫚縄かなんか。」
「…あの、旦那、うちは道具屋じゃ、 「あー、あれでいい、あそこのむしろを束ねてあるやつ。ついでにむしろも1枚よこせ。濡れてないやつ。 「いや、旦那、だから道具屋なら
「うるせえな金なら払う。」
ごそごそ音がして、親父が息を飲むのがわかった。
「へっ…だん…、こんなに 「こいつを買い受ける。」
男があまりにあっさりいうので、私も親父も最初は何の事だかわからなかった。
「この籠に入れて連れて帰る。わかったらさっさとしろ。医者が寝る。」
親父はよほどの大金を渡されたらしい。あたふたとし始めた。
「!」
体が易々と持ち上げられ、次に下ろされた場所がぐらぐらと狭いので、ひっくり返された籠の中に入れられたのだとわかる。中にはむしろが敷いてある。
「親父、持ってろ。」
「へっ、へえ」
立ち上がろうとして上から抑え込まれた。
「おい、頭下げてろ。」
どうやら一回り大きい籠を蓋代わりに被せてきているところのようだ。なにがおきてる?
がたがたと揺さぶられ、さらに上下に激しく揺すられて、いい加減文句をいってやろうと思ったら、男が「よし。あ、やっぱちょっと重 。ま、いけるか。」というのが背後から聞こえた。
籠ごと男の背中にくくりつけられたのだと知る。
「どしたんだい?」蛇女の声。
心配してのぞきに来てくれたようだ。だが私にもわけがわからない。
「女、さらばだ。」
なぜか男が蛇女に挨拶して、そして私は、男の背中に揺られるまま一座の門を出た。
縁日の灯りでようやく籠の様子がぼんやりわかる。
籠が二重になっているせいで、むしろの隙間から見える竹の網目は複雑に絡み合い、さらにそこへ縄がぐるぐると巻き付いている。そこでようやく思った。
――ああ、なんだ。私は、「籠」から「檻」にうつされたのか。
今からこの男の玩具になるんだ。一座に返せなくなるほどいたぶられて、たぶん、死ぬ。
果たして私の命もここまでか。…まあどうせ、どこまでいってもこの世は地獄。
「私は逃げたりはしない。」
つぶやくと、男は少し驚いたようで
「なんだ喋れるのか。」
といい、それから
「ちがうよ、蓋が無ければ盗まれるだろうが。」
といった。
男の背中に揺られながら、縁日の賑わいが遠のいてゆく。
死ぬ前にせめて、もう一服しておきたかった。きせると煙草が欲しい。
しばらくすると完全に暗くなった。
男が戸を激しく叩く音で目が覚める。うとうとしていた。着いたのか。
戸が開く音がして、
「…なんだ、お前、こんな夜更けに。」
しわがれた年寄りの声がした。
「今度はどこをやった。」
「ちげーよ俺じゃねえ、後ろの奴。あんた目は治せるか?」
医者が寝る、と男はいった。
どうやら私を医者に見せる気のようだ。
籠から出され、年寄りが私の目を開いて見た。
「んー…なんとかなるか。」
それからしばらくはまさに地獄で、しかも味わったことのないたぐいのものだった。
縄で縛られ、男に羽交い絞めにされて動けなくされ、両目を針みたいなもので痛めつけられたあげく、湿った布のようなものを被せられるとこれがまたひどく目にしみてとにかく痛い。
私がわめきまわるのを、二人の男はまったく気にせず悠長に会話などしている。
「今日は親父の法事だったろ、うまくいったか。」
「あー知らん。祭り見物に出てきた。」
「お前な、今から一族をしょって立つわけだから少しは落ち着いてみせろ。」
「今の俺にそんな口きけるのはあんたくらいだよ、じじい。」
「ははっ。」
湿った布をかぶせられたまま包帯みたいなもので目をぐるぐる巻きにされる頃には、ほとほとぐったり疲れ果てていた。
「薬草を染み込ませてあるから一日おきに替えて、まあ、二、三日ってとこか。このヒョロっこい兄ちゃんの体力が持てばの話だがな。」
頬を叩かれ「兄ちゃん、目ぇこするなよ。」といわれたところで、最後の力を振り絞って年寄りの手に噛みつこうとして、「はは。まだ元気だな。」意識が切れた。
(つづく)
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