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第6話 お隣さんへの欲求と冷静の間(はざま)
「あの。片付けを手伝って貰ったお礼に夕飯ご馳走させて下さい。ピザでも頼むんで。一緒に……」
精一杯伝えた。
断られたらどうしようと思うと胸がドキドキする。
河瀬さんが、ニコッと笑う。
「ありがとう。でも、ごめん。お昼食べ過ぎちゃってあんまり食欲が無くて……だから今日は、ごめんね」
ああっ……。
「あっ、いや。俺の方こそごめんなさい」
「何で謝るの?」
「だ、だって。何か……ごめんなさい」
俺は頭を下げた。
今日会ったばかりなのに一緒に食事とか、図々しかっただろうか。
人見知りの俺にしては勇気を出した行動だったけど、上手く行かないものだな。
凄く気持ちが重たい。
タイムスリップしてさっきの自分の台詞を取り消したい。
柄も無く誰かをお誘いする何て事するからこんな事になるんだ。
「また今度、ごちそうになるね」
河瀬さんの笑顔。
俺はさっきの心の声をしまって、「はい。是非」と笑って答えた。
今度。
今度があるなら……。
今度、絶対に今日のお礼をするんだ。
そう、そっと誓う。
気が付けば俺は両手を握っていた。
「じゃあ、これで」
河瀬さんが立ち上がる。
俺も乗っていた椅子から降りて既に廊下に向かっている河瀬さんの後を追う。
河瀬さんの行動は素早く、俺が玄関スペースに着いた頃には河瀬さんはもう靴を履いていた。
慌ててキッチンに置いてある河瀬さんちのパスタが入っていた食器を俺は掴んだ。
それを玄関にいる河瀬さんに渡す。
その時、少し河瀬さんの手に触れてしまい、焦る。
「あの。今日は本当にありがとうございました」
焦り顔を隠す様にペコリと頭を下げて俺は言う。
「とんでもないです。図々しくお邪魔しちゃって返って悪かったかな」と河瀬さん。
「とんでもないです!」
俺は全力で否定した。
「あはは。ありがとう。じゃあ、また」
「はい……また。お疲れ様でした」
「うん。一ノ瀬君もお疲れ様でした」
そう言った後、河瀬さんが俺の頭をポンッと軽く叩いた。
「うわっ」
予想していなかったリアクションに俺は驚く。
「ごめん。馴れ馴れしかったかな。一ノ瀬君が可愛くて、つい」
俺の頭から手を引く河瀬さん。
「か、可愛いとか、からかわないで下さい!」
顔が熱い。
心臓がドキドキしてる。
「からかってなんか無いよ。じゃあ、お邪魔しました」
河瀬さんが玄関扉に手をかける。
「あっ、あっ、ありがとうございました」
何に対してのありがとうなのか。
まともに河瀬さんの顔が見れない俺はお辞儀をしたまま、河瀬さんが外に出て、その姿が消えるまでその場で固まっていた。
河瀬さんがいなくなった部屋の中は何故だか広く感じた。
本当にこれから一人暮らしが始まるんだ、と実感する。
そう思うと少し緊張して来た。
そして、少しお腹も空いて来た。
俺はパーカーを羽織るとリビングダイニングのテーブルの上に置いてある折り畳みの黒い財布(非常に安かった)を手にして夜の街に繰り出した。
目的地はコンビニ。
場所はまだうろ覚えでスマートフォンの地図アプリを見ながら街の中を進む。
この街はどこもかしこも他人の顔をしている。
見上げれば空は暗くて、星も無く。
不安が湧いて来る。
まだ見慣れない街並みを歩く事、十分。
無事にコンビニまで辿り着く。
三十分ほど居座って、カップラーメンを三個と後、飲み物とお菓子。
そして、発売日が今日である漫画本を買ってコンビニを出る。
街を行く楽し気な人達の波をすり抜けてアパートの部屋まで戻る。
玄関扉を閉めて、「ふぅっ」と一息。
外に出るのも緊張する。
見慣れない街並みの馴染まない風景。
まだ新参者の俺をこの街は受け入れてくれていない様に思えてならない。
早くこの街の住人になりたいものだ。
俺はその場でビニール袋からカップラーメンを一つ取り出すと、ビニール袋を片手に、カップラーメンをもう片手に持ちながら玄関スペースからそう遠くないキッチンスペースに移り、真新しいやかんでお湯を沸かす準備をする。
カチッと音を立ててコンロに火が付く。
ふぅっ、とため息。
ため息の後、カップラーメンの封を破り、一足先に蓋を半分開ける。
今日の夕飯はこんなもんだ。
やかんのお湯が沸くまでにその場で考え事にふける。
考えた事は河瀬さんの事。
今日会ったばかりで自分で言うのもなんだけど、かなり仲良くなれた様な気がする。
夕飯を一緒に食べる事はお断りされてしまったが。
河瀬さんの綺麗な顔を頭に浮かべながらニンマリと笑う俺。
河瀬さんの事を考えるとどうしても俺の悪い癖が出て来てしまう。
「はぁっ……」
たまらずにため息を漏らす。
「河瀬さん……」
やかんから湯気が噴き出している。
コンロの火を止めなければ。
だけど、そんな事よりも河瀬さんの事を考えすぎていて体が動かない。
河瀬さん。
河瀬さんを……。
「描きたい」
そう呟いてうっとりとした気持ちに浸る。
俺は美しいものを愛してやまない。
そして、美しいものを描きたい、という欲求がとてもとても強かった。
河瀬さんと一緒にいる時、ずっと我慢していた。
河瀬さんの事を描きたい衝動を抑えるのに必死だった。
いきなり河瀬さんの事を描きだしたりしたらきっと河瀬さんに変に思われただろうし、あなたの事、描かせてください、何て事も初対面の人には言いずらいし、そうで無くても頼みづらい。
いや、頼めない。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
気が付けば換気扇を回すのを忘れていたがために辺り一面、やかんから吹き出る湯気で真っ白だった。
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