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第17話 これって何なの、と意味を求める

「本当は首を噛んだ方が吸いやすいんですけど、跡が付いちゃうから目立たない所にしますね」 「は、はい」  俺の心臓の音がずっと鳴りやまない。  当たり前だ。  これから未知の世界を体験しようというのに落ち着いていられるほど、俺は強くない。  俺の心は間違いなく、豆腐で出来ていると言える。 「出来るだけ、早く済ませますから」  河瀬さんの台詞に俺は首を縦に動かす。  俺と河瀬さんの会話が途切れる。  蝋燭の炎が揺らめく部屋の中はとても静かだった。  そして少し寒い。  シャツの前を開き、肌をさらけ出している俺にはなおさらだ。  寒気を感じている中で俺の肩に河瀬さんの吐く温かい息を感じてゾクッとした。  これから俺は河瀬さんに何をされるんだろう。  河瀬さんは吸血する前に準備が必用だと言っていた。  それが怖い事じゃ無い事を祈る。  俺は目をぎゅっと閉じた。  何だか怖くて目を開けていられなかったのだ。  肌に柔らかい感触を感じた。  ちゅっ、と音がする。  それは何度か繰り返された。  それがくすぐったくて、笑いそうになって、思わず目を開く。 「か……河瀬さんくすぐったいです。何してるんですか?」  訊いてみると河瀬さんは、「キスです」とさらりと言ったもんだ。 「きききっ、キスぅ?」  俺は驚いて河瀬さんから身を引く。 「何でそんな事っ」  血を吸うのにキスが必用なのか。  そんなのがある何て予想外だ。  キスなんて生まれて初めてのはずだ。  俺は大いに戸惑う。 「一ノ瀬君に負担を掛けずに血を吸う為です。嫌かも知れないですが、我慢して下さい。それに血を吸う前にこうして肌に触れられる感覚に慣れておいた方が良いです」 「うっ……はい」  此処で既にもう嫌だったが、俺の血を吸わないと河瀬さんが危ない事を考えると我慢するしかなかった。 「続けても?」  言われて俺は、「はい」と弱弱しく答える。  河瀬さんの唇が再び俺の肩に触れる。  ちゅっ。  ちゅっ。  部屋に響くこの音が河瀬さんが俺の肩にキスをしているからだと思うと恥ずかしさでこの場から立ち去りたい衝動に駆られる。  しばらく、河瀬さんのキスは続いた。  自分の心臓の音がうるさくて耳を塞ぎたくなる。  早く終わってくれ。  そう願う。  その願いが天に届いたのか、河瀬さんはキスを止めた。  でも。  今度はザラりとした感覚を感じた。  少し暖かくて、湿った感じが俺の肌を伝う。 「なっ……にっ……してるんですか」  目を閉じている俺には訳も分からず質問をした。 「一ノ瀬君の肩を舌で舐めてます。丁度血を吸う所」と河瀬さんは答えを返した。 「舐めてるって、何で?」 「一ノ瀬君の負担を減らすためです。血を吸う前、僕の唾液を肌に擦り付ける事で噛んだ時に痛みが多少、和らぎます。注射の前の消毒的な意味もあるのでこれはしないと。それに、特別な効果もありますし」  実に淡々として河瀬さんは言う。  まるで、歯磨きの前には歯ブラシに歯磨き粉を載せますよ、と言うくらいの淡々さだ。  きっと河瀬さんはこうやって何万回も人間の生き血を吸って来たんだろう。  何せ、もう、ずっと長い事生きて来た、らしいから。  慣れた手順でこうして説明しながら美人の首筋に齧り付いている河瀬さんの姿が想像出来て、何だか眩暈でも起こしそうだった。  俺は薄く目を開く。 「一ノ瀬君、不安ですか?」  河瀬さんが俺の顔の方に視線を向けて言う。  俺はちょっぴり頷く。  ビビっていると思われるのが嫌だったから。 「大丈夫ですから」  そう言って河瀬さんは片手を俺の髪に潜り込ませた。  そのまま、優しく頭を撫でられる。  まだシャワーを浴びていない俺の髪はゴワゴワとしている。  河瀬さんが手を動かすたびに河瀬さんの指に俺の髪が引っ掛かる。  それを丁寧にほどいて河瀬さんは俺の頭を撫で続けた。  こうして頭を撫でられていると何だか眠たくなる。  人間に毛を撫でられる時の犬の気持ちが分かった気がした。  瞼が緩む。  俺は目を細めた。  河瀬さんは片手で俺の頭を撫でながら再び俺の肩に舌を這わす。  何だろう。  河瀬さんが舐めている所がジンジンする。  甘く痺れている様な、そんな感覚。  頭を撫でられている事も、何だかとても気持ちが良くて。  何だかこのまま眠ってしまいそうだ。 「一ノ瀬君、気分はどうですか?」  訊かれてもウトウトしてしまって答えられない。  俺は意思表示の意味を込めて河瀬さんを見つめた。  河瀬さんから柔らかなため息が漏れる。 「大丈夫そうですね。一ノ瀬君、僕の舌の感覚に意識を集中して」  俺は催眠術にでもかかったかの様に河瀬さんの言う通りにする。  暖かな河瀬さんの舌が俺の肌を滑っている。  何だろう。  河瀬さんの舌は濡れていてアイスでも舐める様に俺の肌をくすぐる。  くすぐったいと言うか、ゾクゾクとする様な感じだ。  な、何か変な感じだ。  河瀬さんが、ちゅっ、と音を立てて俺の肌を唇で吸った。  その瞬間、俺の口から、「んぅぅっ」と声が漏れた。  その甘ったるい声に自分でもびっくりとしてしまう。  一体何が……どうなって。  河瀬さんは戸惑う俺を置き去りにして俺の肌に口づけを繰り返した。  河瀬さんの唇が触れる度に、唇が触れたそこが熱くなって、甘く痺れて。 「んっ……ふっ……」  俺は両手で口を押えて何とか声が漏れない様にした。 「はぁっ……」  呼吸が乱れている。  苦しいのに……。  き、気持ち良い?  頭に浮かんだ言葉に唖然とする。  こんな事をされておいて俺は一体何を考えているんだ。 「はぁっ……かわっ……せさっ……ちょっ……」  ちょっと待ってくれ。  そう言おうとした時。 「そろそろ大丈夫だと思いますから血を吸わせて頂きますね」と言う河瀬さんの台詞が耳に入った。  ねぇ、待って。  俺、全然大丈夫じゃ無いんです。  待って、河瀬さん。 「まっ……」  俺が言うよりも先に河瀬さんは動いた。  ああっ。  思いっきり目を瞑る。  来るであろう痛みに備えて。

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