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第16話 吸血、怖し

「一ノ瀬君の気持ちは嬉しいけど、やっぱり一ノ瀬君から血をもらう何て、気が引けます」と河瀬さんは困り顔で言う。 「だって、河瀬さん、血を吸わないと消えちゃうんだろ。そんなの嫌だ。お願いだから俺の血を吸ってくれ」 「で、でも」 「河瀬さんに生きてて欲しい。だから、お願いっ!」  俺は頭を下げた。 「でも、やっぱり……」  それでも遠慮する河瀬さんに何だか俺はイラついて来た。 「じゃあ、交換条件っていうのはどうです?」 「へ?」  河瀬さんが目を丸くする。  俺はたじろいだ。  イライラの勢いに任せて何て事を言うんだ俺の口は。  でも、こうなったらやってやる。  俺は握りこぶしを作るとソファーからすっくと立ち上がった。 「俺は河瀬さんの美しい姿を絵に描きたいんです。人間の血を飲んだら河瀬さんは若返るんですよね? 俺は完璧に美しい河瀬さんを描きたい。だから、俺の血を飲む代わりに俺の絵のモデルになってくれませんか?」  ソファーから俺を見上げる河瀬さんに俺の情熱をぶちまけた。  河瀬さんは今でも十分に麗しいが、血を吸って若返ったらもっと美しいだろう。  その河瀬さんの姿を俺は絵にしたい。 「まだ、俺の絵は実力不足だ。でも、絶対に上手く描ける様になるから! だから、河瀬さん、俺の血を飲んで!」  よくこんな大声が出せるな、と自分でも思った。  ご近所迷惑極まりない大声だ。  でも、そんな事に構って何かいられない。  目の前の最高のモデルをこのまま衰えさせてなるものか! 「河瀬さんが血を吸うのを嫌だって言うなら俺が手でも切って無理やりにでも河瀬さんに俺の血を飲ませます!」  そう言った後で、タイミングよく、テーブルにペーパーナイフがあるのを見つける。  俺はそれを手に取ると、手首に当てがった。 「ちょっ……何してるの? 止めて! 分かったから止めて!」  河瀬さんが悲鳴を上げる。 「河瀬さんが俺の血を吸ってくれるまで止めるか!」  俺はペーパーナイフを持つ手に力を入れる。  俺は本気だ。  決してノリに任せて動いている訳じゃない。  俺の美に掛ける情熱が俺を突き動かしている。  目の前の美の神(河瀬さん)の為なら血の一つや二つ、どうにでも、だ。 「待って、待って! 分かったから! 一ノ瀬君から血を貰うから、だから止めて!」  ふるふる震えながら言う河瀬さん。 「本当ですね」  俺は念を押す。 「神に誓って」と河瀬さん。  お互い、しばらくの間、ピクリとも動かなかった。  スローモーションの様に時間が流れる。 「今から、一ノ瀬君の血を頂きます」  沈黙を破るその台詞を聞いて、俺はペーパーナイフを落とした。  河瀬さんは素早く床に落ちたペーパーナイフを拾うと、「これは預かっておきます」と言った。  俺は大分神経が尖っていたらしく、そのまま動けずにいた。  やっと俺の気分が落ち着いた頃。  俺はソファーに座りながら今度は緊張で身を固くしていた。 「じゃあ、これから血を吸いますから」  俺の目の前にしゃがみ込んだ河瀬さんが言う。 「は、はい」と、何とか喋る。  自分から言い出した事とはいえ、いざこれから血を吸われるとなると不安と恐怖が溢れて来る。  血なんて、蚊くらいにしか吸われた事の無い俺。  河瀬さんのあの、獰猛そうな牙を思い出し、あの牙で刺されたらさぞかし痛いだろうな、何て良からぬ想像をしてしまい、吐きそうだ。  そんな俺を見てか、河瀬さんは柔らかい笑みを浮かべて「痛いのは最初だけだから」と言う。  やっぱり痛いのか。  俺の体が震えだす。  怖い。  怖すぎる。 「やっぱり止める?」と河瀬さん。  俺は固まった体を何とか動かして首を振った。 「ふぅっ」と河瀬さんからため息が漏れる。 「金の目を外に出すと、吸血鬼は物凄く食欲が湧くんです。だから、今、僕は凄く我慢をしていて。今にも一ノ瀬君に食らいつきたいのを何とか抑えているんです。だから、嫌なら今、言って下さい」  河瀬さんの台詞に俺はまたしても首を振る。  此処で諦めたらなんとやら、だ。 「はぁっ……一ノ瀬君、仕方の無い人ですね」  そう言って河瀬さんは俺の着ているシャツに手をかけた。 「初めてだから、とびきり優しくしますから」  そう言って河瀬さんは俺のシャツのボタンを外していく。  心臓が壊れそうなほど、早く動いている。  このまま止まるんじゃないか、と思えるほどだ。 「一ノ瀬君。怖かったら僕の目を見ていて下さい。少しは落ち着いてくるはずです」  河瀬さんの台詞に小さく頷く。  河瀬さんの目に俺は視線を向けた。  金色の目。  光を飲み込んで妖しく輝くその目を見ていたら何だか頭がぼんやりとして来て、次第に心臓も落ち着いて来た。  不思議だ。 「吸血鬼の目は見る人をリラックスさせる事が出来るんです」  そう河瀬さんに説明されて納得だ。  河瀬さんは俺のシャツのボタンを全部外すと、前を開いた。  俺の男にしてはあまりにも軟弱な体が露になる。  は、恥ずかしい。  俺は首を横に向けて河瀬さんから視線を逸らした。 「一ノ瀬君、凄く綺麗です」  甘くそう囁かれ、恥ずかしさが二倍になる。 「つっ……早く、して下さい」  恥ずかし過ぎて、もう早く済ませたい。 「分かりました。でも、直ぐにとは行きません」 「ど、どうして?」  俺は再び河瀬さんに視線を合わせる。 「このまま吸血したら、一ノ瀬君は物凄く痛い思いをする事になります。だから、吸血する前の準備が必要です」  しごく真面目に言う河瀬さん。 「準備……ですか?」 「はい。一ノ瀬君も、痛いのは嫌でしょう?」  言われて直ぐに頷く俺。 「僕も直ぐにでも一ノ瀬君に齧り付きたいですが、何とか我慢します。だから、一ノ瀬君は全部僕に任せて下さい」  俺は二度、頷く。  河瀬さんは、すぅっと大きく息を吸い込むと、「それじゃあ、始めます」と言って俺の肩に顔を埋めた。

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