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第32話 今は昔……と今

 写真に写る河瀬さんとマスターは今よりもずっと若く見える。  河瀬さんに至っては未成年かと疑いたくなる感じだ。  俺は写真の中で笑顔を浮かべる若々しい河瀬さんの姿に魅了された。  凄く綺麗だ。  感動すら覚える。  こんな河瀬さんを描きたいな、と思う。  それにしても、と思う。  これは何年前の写真だろうか。  白黒で色あせた写真は時代を感じさせた。  河瀬さんは初めて会った時に、二十四歳だと俺に語ったが、本当は何歳なんだろう。  吸血鬼の正体を明かした時は随分長い事生きて来たと河瀬さんは言った。 「あの、河瀬さんが吸血鬼だって知る前に河瀬さんに年齢の話をしたら二十四歳って言われたんですが、本当は何歳なんですか?」  素直にマスターに訊いてみた。  マスターは「二十四か。そいつは若く見積もったな」と苦笑いした後、「そんなの君が想像するよりずっとずっと長く生きてるさ」と言うのだった。  やはり、マスターは河瀬さんについての詳しいプロフィールは答えてくれないのか。  残念だ。 「この写真は初めて日本に来た時にこの店の前で撮ったものなんだ」とマスター。  そう言われて写真を見てみると確かに背景にはこの店が写っている。  しかし、店は今よりは随分と真新しく感じる。 「店の大家が俺達が喫茶店を開店する記念に撮ってくれたんだ。その大家も随分と昔に亡くなって。その後、この店は俺の物になった」  何かを懐かしむ様な表情をマスターはする。  昔を思い出してそんな顔が出来る事が羨ましい。  俺は後悔する事しか無かったから。 「河瀬さんと始めた店だったんですね」 「ああ。此処で生きて行くために。日本に来て、三年くらい、あいつと一緒に暮した」  俺は相づちを打つ。  三年か。  長い様で短い時間だと思う。  でも、それだけの時間、いや、きっとそれ以上に河瀬さんとマスターは一緒にいたんだ。  その事が何だか羨ましくて、どぎまぎしてしてしまう。  ちょっとした苛立ちもある。  この感情は何なのか。  俺が自分の気持ちを確かめている間にも、マスターの話は続いた。 「あいつが料理を作って接客をして。俺はコーヒーだけを入れていたっけな。懐かしい。あいつに任せきりで俺はほとんど働いて無かった」 「今はめちゃくちゃ働いてますよね」 「まぁな」  そう言ってマスターはウイスキーを一口。  俺もコーヒーを一口飲んだ。  コーヒーの温かさが心地よく体に広がる。  その心地よさを求めて俺はもう一口コーヒーを飲んだ。 「日本に来たがったのはあいつの方なんだ」  マスターの話を聞いて俺は顔を上げてマスターを見る。 「どうして河瀬さんは日本に?」  そう疑問をぶつけてみた。  マスターは、「さあな」と言った後で、「でも……と続けた」  その、でもの続きを俺は待った。  しかし。 「昔話はこれくらいで良いだろ。コーヒー、冷めないうちに飲めよ」  そう言って俺の方に向けて立てかけられている写真を手に取るとマスターは厨房へと消えた。  何だか話をはぐらかされたみたいだな、と俺は頬を膨らませた。  でも、河瀬さんの事、結構聞けたな。  にんまりとして、俺はほろ苦いコーヒーを味わった。  マスターに挨拶をしてシュメッタリンを出て、河瀬さんに、今帰ると連絡を入れて、その後、俺は走ってアパートまで帰った。  アパートに着くころは普段運動をしないせいもあり、大分息が上がって苦しくなっていた。  俺はヘロヘロとアパートの外階段を音を鳴らしながら上り、目指す四階に辿り着くと自分の部屋では無くてお隣の河瀬さんの部屋の玄関扉の前に立った。  河瀬さんが夕飯を作って俺を待っていてくれていると思ったら自分の部屋に何か寄っている暇はなかった。  乱れた髪を手で整えてからインターホンを鳴らすと、直ぐに玄関扉は開かれた。 「秋君、お仕事、お疲れ様です」  笑顔の河瀬さんが俺を出迎えてくれた。  ああ、癒される。 「さあ、上がって」  言われて、「はい」と返事をして俺は河瀬さんの部屋にお邪魔した。  玄関扉を潜った瞬間、夕飯の良い匂いがした。 「今日は春巻きを揚げたから。本の部屋の方で待ってて」  本の部屋とはリビングダイニングの事だ。 「あの、支度、手伝います」  そう申し立てる。 「いいよ。秋君仕事で疲れているんだから。ソファーでくつろいで待ってて下さい。そうしてくれた方が僕も嬉しいから」  そんな事を極上の笑顔で言われたら従わないわけにはいかない。  俺は大人しくリビングダイニングへと向かい、カバンを床に置いてソファーに腰を落ち着けた。  しばらくするとお盆に料理を載せた河瀬さんが現れた。  河瀬さんは慎重にお盆を運んでいる。  俺は思わず立ち上がる。  つかさず河瀬さんが「座って」と言う。  俺は再びソファーに身を沈めた。  河瀬さんが片付いたテーブルにお盆を載せる。  お盆には二人分の食事が載せられている。  春巻きにわかめのスープ。  漬物と白いご飯。  どれも美味しそうだ。 「さ、食べようか」  ソファーに座った河瀬さんが言う。  二人で箸を取り「頂きます」と手を合わせて食事に箸を付ける。  まず、春巻きから頂く。  春巻きは噛むと、サクッとして、上げたてだと分る。  じんわりとしたうま味が口の中いっぱいに広がる。  春巻きの中身は沢山のキャベツとツナ。  そして春雨に椎茸だった。  春巻きはツナで味付けされている為か、マヨネーズが添えられている。  マヨネーズを付けて頂いてみると更に美味かった。  その美味さは絵にも描けない。 「美味しい」  幸せいっぱいに声を漏らす。 「良かった」と河瀬さんが嬉しそうに、にこり。  河瀬さんの笑顔を肴に食べる料理は最高だ。  食べながら河瀬さんの方を見ると、河瀬さんはいつもより食事を食べているみたいだった。  少しは元気が出て来たのかな、と思うと嬉しい。  こうやって河瀬さんと過ごす何気ない時間が本当に幸せだと思う。  お互いの部屋を行き来して一緒に家事をしたり、本を読んだり。  とりとめのない話をするのが嬉しくて。  これじゃ、一人暮らしじゃ無くて二人暮らしだな、何て思って、良いじゃん、と感じ入る。  二人暮らし、良いじゃん! 「秋君、お代わりありますよ」 「あ、もらいます」 「ふふふっ。今、持って来ますから」  河瀬さんの笑顔。  良いじゃん。  二人暮らし、最高じゃん!

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