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第13話 蜜月
〈一〉
ゴールデンウィーク直前の水曜日。
ユウの家の前にグレーのSUV車が停車した。
中から出てきた細身の青年は、その辺の青年とは一味違うオーラを身に纏っている。
服装は、白のTシャツにグレーのカジュアルジャケット、黒いパンツという、清潔感のある出立ちだ。足元は白のスニーカーで適度に外し、好感が持てる。
深い茶色の髪には自然な癖があり、色素の薄い瞳とよく合っており、薄い唇も上品な印象を受ける。
何より歩く姿勢が非常に良い。
背筋がピンと伸び、長い脚が真っ直ぐに着地する。それに、よく見ると胸板がしっかりしていて、逞しさも窺える。
「ユウ君!なんか凄い人来たけど、本当にお友達?」
母は驚いていた。
「何それ……まぁ、バンドやってるからじゃない?本当に大学の先輩だし。望も知ってる人だよ」
玄関を出る直前に、姿見で自分の服装を確認する。
ボーダーのインナーに黒のカーディガン、
グレーのパンツとハイカットのスニーカー。
(一応ジーパンはやめておいたけど、ボーダーは子供っぽかったかな)
ユウは急に出て行く自信が無くなった。
「随分カッコいい子ね。お母さん、芸能人かと思っちゃった」
「恥ずかしいから出てこないでね。行ってきます」
母は妙にミーハーなところがあるので、釘を刺してから玄関を開けると、ショウさんが少し驚いた顔をしている。
(まさか……)
嫌な予感がして、うんざりしながら振り返れば、予想通りすぐ後方から母がショウさんを興味津々に見つめている。
「あ、すみません、お家の目の前に。ユウ君と同じ大学の周防と申します」
ショウさんはなんとも流暢な挨拶を繰り出した。
「あら!ご丁寧に。いつも仲良くしてくださってありがとう。今日はお世話になります。どうぞ宜しくね」
「もう、母さん!出てこないでって言ったのに。早く行こう、ショウさん」
いろんな気恥ずかしさに耐えられず、ショウさんの背中をグイグイ押しながら慌ただしく車に向かう。
「では失礼します」
「いってらっしゃーい」
母は気にも止めることなく、車が見えなくなるまで優雅に手を振っていた。
「びっくりした! ユウ、お母さんにそっくりなんだね。玄関開いたら、おんなじ顔が二つ並んでて焦った」
運転席のショウは、やや興奮気味だ。
「あぁ……確かに。父よりは母さん似ですかね」
ユウは出だしから疲労困憊だ。
「すいま、ごめんなさい。なんか母が。出てこないでって言ったのに、ショウさんのこと芸能人みたいって騒いじゃって」
「え? それって……いい意味で?」
「もちろん。でもあんまりカッコいいから、本当に俺と仲の良い人なのかって疑われた……」
「えー、俺どんな風に見えてるの? めちゃめちゃカッコつけて車降りちゃったからかなぁ。失敗したかも」
「ふふっ、何ですそれ」
ショウさんがショボくれるのが面白くて、少し気が晴れた。
「お母さんにちゃんと言っといて。俺は、恋人との旅行に兄貴の車借りて頑張っちゃうような、普通の大学生だって」
「え……はい。あ、うん」
『恋人』というワードに胸が高鳴る。
ショウは、ユウの言葉遣いがぎこちなくて笑っている。
「ちょ……笑わないで。そういえばショウさんのお兄さんの話、聞きたかったんだ。二人は、似てる?」
出発の朝、お兄さんの車で迎えに来てくれる話になった時にチラリと話題に上ったが、詳しくは聞けずじまいだった。
「うーん、似てるっちゃ似てるのかな。でも、兄貴の方がガタイがいい」
「仲はいい方?」
「んー……6歳離れてるからなぁ。まぁ、喧嘩になるような事はなかったかも。俺は用がある時以外連絡取らないけど、兄貴は結構どーでもいい事で連絡してくる」
「へぇ、俺は一人っ子だからちょっと羨ましいかも」
「ユウはお兄ちゃんに憧れがありそうだよね。最初の方とか、そんな感じしてたなぁ。なんか懐かしい」
「確かに。ショウさんのこと、こんなお兄さんがいたら……って考えてた時あったかも」
「いいよ。いつでも『お兄ちゃん』て呼んで」
「え!? 今はもういいです」
「はいダメー! 今のは完全に一回ね」
「あぁ〜!! 俺、今日ストレスで死ぬかも」
ユウは目を閉じて、ガクンと首を落とした。
それを見てショウはさらに生き生きする。
「俺のために頑張って。ていうか今までかなり見逃したんだから、コレは完全にアウトです」
「……分かった。いつする?」
「んー、じゃあ次の休憩スポットに着いたら」
意味深な目つきで見つめられ、ユウは居住いが落ち着かない。
ショウは左手でユウの手を取り、指を絡めて握った。右手では器用にハンドル操作をしている。
信号待ちの間、ユウを流し見ると、頬を染めてじっと手を見つめている姿が目に入る。
こういう時のユウは本当に可愛い。
こんなに愛らしく初心なところを見せつけられては堪らない。
ショウは握ったままの手を口元に寄せる。
そして、ユウの手の甲に最大限の愛を込めて口付けた。
ユウはびくりとしてショウを見やるが、ショウは前を向いたまま、自分は少しも関与していないとでも言わんばかりだ。
しかし口付けは止まず、ついには指と指の間にまで舌の先を器用に使い、侵入してくる。
ユウは口寂くて、今にも抱きつきたい気持ちになった。
信号はまだ変わらない。
「あっ、あ……ショウ……」
名前を呼ぶ声に一瞥すると、ユウは完全に熱に浮かされているようだ。
もはやユウは、なりふり構わずショウの口元に触れようと、左手を伸ばし近付いてくる。
ショウは瞬時に信号を確認し、ユウの左腕を掴むと、激しく短いキスをした。
「あっ!!……ふぅ、ん」
ユウは体を震わせる。
その後しばらく二人の間には熱量だけがぐんぐんと膨れ上がっていくものの、なかなか解放することができず歯痒い時間が過ぎて行く。
というのも、ユウが先程の衝撃にすっかり惚けてしまい、唯一自由度が高いショウの左手だけをひたすら、手を使い、唇を使い、果てには柔らかな頬をまでもを駆使して愛撫し続けているからだ。
(あーぁ……生殺しにも程がある。これ、宿まで持つかな……)
この取ってつけたような気軽な罰ゲームで、ショウが得することはあっても、まさか自滅することになろうとは、思いもしなかった。
〈二〉
「二十歳のお祝いの件なんだけど、せっかくだから大人っぽく温泉旅館とかどうかな?」
ライブの翌日、早速ショウさんが連絡をくれた。
実は、ショウさんからライブの後にお誘いを受けたのだが、元々、佐々木がファミレスで誕生日を祝ってくれる事になっていたし、その後となると色々うまく立ち回れるか不安だったので、また別日にお邪魔する事にしたのだ。
ショウさんは、まだ誕生日のことを気にしてくれているが、あんな風に駆けつけてくれただけで、俺としては十分嬉しかった。
強いて言うなら、また近々会ったときに抱きしめてくれれば、それこそ至極最高だ。
なので、温泉旅行まで企画してくれるなんて思いもしなかった。
「行きたいです! あ……でも俺、まだバイト始めたばっかりなので、高級旅館みたいなところはたぶん金銭的に無理ですけど……」
牧野さんのお店は、部材の納品が遅れているとかで、オープンはゴールデンウィーク明けになるそうだ。
今はまだ到底働いているとは言えない状況である。
「いや、そこはお祝いだから全然気にしないで。というか良さそうなところ押さえておきたくて、実はもう宿予約しちゃったんだけど。温泉がどうかっていうのと、日程がオッケーならと思ってさ。あははは」
「えぇっ?」
嬉しいけれど、本当に甘えてしまって良いのだろうか。一応金額を確認しておきたい。
「ちなみに、いくらぐらいなんでしょうか?」
「いやいや。そこは本当に気にしないで。細かい行先も当日まで内緒にしておこうかな。まぁヒントは海の方。兄貴の車借りるから、旅館までの足も気にしないで」
とは言え、考えてみればそもそもショウさんとの初めての旅行なのだし、自分としても何かしたいと食い下がった。
「うーん……じゃあさ、ユウはこの旅行で頑張ってみてよ」
「はい……?」
そこで出されたショウさんからの課題。
『旅行の間はショウさんに対して敬語を使わない事(但し、名前は「さん」付け可)』
そして、それには守れなかった時のペナルティが付加された。
万一敬語を使ったら、その都度名前(この時は「ショウ」)を呼んで、指定された場所にキスをすること。
何だかお茶を濁されたような気もしたが、あんまり頑なになっても仕方がないので、ひとまず納得することにした。
「じゃ、頑張って。俺は、何回敬語使われてもいいからね」
「ぐ……、心して掛かりますよ」
こういう具合だった。
〈三〉
高速に乗るタイミングで、なんとかユウの正気を取り戻すことに成功し、ショウは命からがら、この海沿いに切り立つ崖の上に鎮座する温泉旅館へ辿り着いた。
部屋に着いてすぐにジャケットを脱ぎ捨てると、バタリと畳に倒れ込み、長い手足を大の字に投げ出した。
「俺……行き先変えようか本気で迷ったよ」
虚ろな目で美しい木目の天井を見上げている。
「ごめんなさい……運転お疲れ様。あ、でもすごいね、この部屋!お風呂も楽しみ!」
ユウは海にせり出した広縁の方へ行ったり、板の間に飾られた繊細な生花を見たりと、落ち着きなく部屋を観察している。
「ユウ君。こっち来て起こして」
もう起き上がる力さえ残っていないのか、ショウが気怠げに、手だけを宙に伸ばす。
ユウが漆黒の大きな座卓の反対側へ周り、手を伸ばしたその時。
「うわっ!」
ショウの胸に引き寄せられた。
朝からずっともどかしい思いをしていたので、ショウの体温を感じ、その匂いに包まれるだけで体が痺れる。
ちゅっ……ちゅっ……
額に数回、ショウの温かい粘膜を感じる。
後頭部をゆっくりと弄んでいた手が肩の辺りまで下りてきたところで、ショウに強く抱きしめられた。
「はぁ……」
吐息とともにユウの下腹のあたりをグンと押し返す感触があり、全身が一気に熱くなる。
「今すぐ抱きたい」
ショウの熱が耳にかかり、体中に電流が走り抜ける。
「あっ!ショウさん……」
ユウは、自分の秘部が「もう待ちきれない」とばかりに、自らうねり出したのがわかった。
頭に一気に血が上り、無心のうちに両手でショウの頬を覆い、熱烈に唇を奪う。
「……んっ!」
ショウは生まれて初めて、キスだけで達しそうになるほどの強い衝撃を受ける。
いつも受け身がちなユウから、こんなに濃厚な情熱を浴びせられる事になるとは……
(今日死ぬのは、俺の方かもしれない……)
車内でのユウの言葉が、ふと頭をよぎった。
とはいえ、元来支配欲が非常に強いこの男は、溺愛が過ぎると、どうしても相手を思うがままにコントロールしたい気持ちに駆られてしまう。
無心に貪ってくるユウの唇を交わし、首筋に一噛みすると、ユウが目を点にして一瞬で動きを止める。
「裸になって」
決して大きな声ではないのに、その場にいる誰もが、本能的に逆らえないと感じて跪きたくなるような、天性の声だ。
ユウは何も言わず、カーディガンのボタンに手をかける。
一つ、二つ外しところで、ショウの両手はユウの腰を掴み、より顕著に姿を現した膨らみをグイグイと押し付けてくる。
「あ、んっ……脱げない!それ、やめて」
ユウは堪らなくなり、ショウの手を引き剥がそうとする。
「だめ。早く脱いで」
ショウの有無を言わさぬ視線が、ユウを余計に淫らにさせる。
「あぁ……はぁ……っあ!」
「くっ……っ……っふぅ」
やっとのことでボーダーのトップスを首まで捲り上げる頃、グレーのパンツのファスナーは下ろされていて、下着にはじんわりとシミが浮かび上がっている。
ショウの息も激しく乱れ、衣擦れの音がより一層大きくなる。
「ねぇだめ! ショウさん!」
蕾がキュンキュンと小刻みに収縮をはじめ、ユウはこれ以上服を脱ぐ事を諦め、ショウにしがみつく。
「……っ、……入れて!!」
ショウの薄い瞳に燃え盛るような火が灯り、ほぼ同時にミチミチと音を立ててユウの内襞がこじ開けられていく。
「ああぁぁぁっ!!」
ユウはショウにしがみついたままだ。
そのままトントンと軽く何度か揺すられているうちに、快感の波がどんどん押し寄せる。
「うっ、うっ、ぅ、う……、っあ……!!」
ショウはかろうじて理性を保ちながら、ユウの急所をギリギリの力加減で挿す。
快感でのけ反るユウの動きを利用して、胸元の薄紅をいやらしく喰み、コロコロと舌で弄んでいると、ユウの内襞からはじわじわと粘度の高い蜜が溢れ出してきて、ショウの凶器に絡みついてきた。
ショウはあまりの甘美に、気を抜くとすぐに持っていかれそうになるので、自我を保とうと必死だ。
自分が主導権を握っていると思っていたが、奥へ奥へと誘い込まれていくうちに、最後に精も魂も吸い尽くされているのは自分の方なのではと、そんなことを考えて、心の中で自分を嘲笑ったのも束の間、ユウの中が激しく痙攣し、一襞一襞に押し潰されそうな快感を受け取ると、すぐさま達してしまった。
溜まりに溜まった欲望を解放し、少し落ち着いてきて、二人はやっとこの後の予定を相談する気になった。
脱ぎ捨ててクシャクシャになったり、畳に擦れてシワシワになった服は、ハンガーにきちんと掛け直し、今は用意されていたお揃いの浴衣に着替えている。
ショウは和座椅子の背もたれに体を預け、その胸元でユウの頭を支えている。
「ショウさん、重くない?」
「うん。大丈夫」
ユウはほんの少し体を強張らせつつも、ショウに包まれる幸せを噛みしめている。
「さぁてと。夕飯までまだ時間あるし、風呂に行こうか」
「いいですね、そうしましょう!」
『あっ!(あっ……)』
ショウはニヤリと口角を上げ、
ユウは天を仰いだ。
「まぁ、今回はほっぺにしとこ」
ショウは人差し指で自分の頬を指す。
「……分かった。んんんっ、」
ユウは咳払いして少し気合を入れてから、ショウの名を呼び、頬にキスをした。
〈四〉
ユウは旅館に泊まる事自体、家族旅行と修学旅行以外では初めての経験だ。
ましてやそれが、好きな相手と二人きりの旅行になるなんて……
大浴場ではさすがに変な事にはならなかったけれど、素肌に浴衣だけ羽織ったショウが想像以上に色っぽくて、肌けた瞬間を直視できなかった。
思い出すだけで赤面して、地団駄を踏みたくなる。
「お待た……せ、顔覆って何してんの?のぼせた?」
もしかしたら、地団駄も踏んでいたかもしれない。
「別に……行こ。あっちに飲み物売ってたよ!」
ユウはそそくさと先を急いだ。
湯上がりの牛乳ビン片手に、休処のベンチに腰掛けて風に当たる。
これぞ温泉の醍醐味だ。
「ぷはー、染みる!」
ショウさん、お手本のような飲みっぷりだ。
「ショウさんって長風呂なんだね。俺も、もっと入っていたかったけど、すぐのぼせちゃって」
「んー?そうだね。大きいお風呂好きだよ。それに温泉ってテンション上がるのか、なるべく長くたくさん入りたいって思っちゃうんだよね。今日の夕飯の後と、明日の朝一には必ず入るから、予定しといて」
「ふふふ、分かり……った!」
ショウさんはニヤリとしたが、ぽすん、と頭に手が乗っただけで、何も言わなかった。
体の火照りを沈めてから部屋に戻ると、改めて部屋の景色の素晴らしさに感動した。
広縁の大きな窓からベランダに出る。
その先には、海と空しかない。
絶え間ない穏やかな波のさざめきが、風と共に心地よく体を抜けていく。
水面はキラキラと輝き、手前は少し薄く、奥にかけてだんだんと深い青に変化している。
「俺、こんなに海が近いところ初めて」
「俺も。しかもこれ、明日最高に綺麗な朝日が拝めるんじゃない?」
「確かに。えっと、明日の日の出は……」
スマホを取りに行こうと体を翻すと、
「四時五十一分。明日は晴れのち曇り」
まるで予言を唱えるかのような声がした。
「えっ!?」
驚いて振り向くと、
「ふふん、さっきそこの新聞見た」
ショウがしたり顔でこちらを見ている。
「……はは、っははは!何そのドヤ顔」
とてつもなくくだらない事なのに、ユウは笑いが止まらない。
「ふふ、びっくりしたくせに。ま、自分持ってますんで」
ショウは片腕を曲げ、ポンポンと叩くジェスチャーをしてみせた。
「あっはっは、うわ、くだらな! ほんと何言ってんですか! あははは……は。あっ!!」
三回目。
ユウは頭を抱えてしゃがみ込む。
「俺のバカ……」
「ユウ、約束は約束だから。さて、次はどうしようかな〜」
ショウが浮かれた様子でユウの前にしゃがみ、からかい紛れに顔を覗こうとした時。
「……ん!!」
ユウが突然ショウの唇を奪う。
そしていつもショウがするように、耳たぶを甘噛みして、耳元のすぐそばで囁く。
「はぁっ…ショウ……」
「おぁっ……!?」
ショウは、尻餅をついてぱちくりと目を瞬かせ、暫し呆然とする。
ユウはやる事だけやり終えたら、顔を真っ赤にして部屋の中へ走り去った。
「……やるな」
一人残されたショウと、寄せては返す波の音。
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