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第12話 葉月
〈一〉
「じゃあ、来週からよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
来週からは、この人当たりの良い笑顔の人が、俺の雇い主になる。
あれから約一週間。
ショウさんとは、会わない日もメッセージで本屋の攻防を繰り広げたが、最終的には粘り勝ちという結果で終わることが出来た。
(それにしても、なんでお互いあんなに頑なだったんだろうな……)
正直途中からは、ただやり取りが楽しくなっていて、ショウさんも心から止めようとしていなかったように思う。
「ユウ君ももう二十歳だしね。まぁ、初心者だし、いきなり人気店だと確実に足手纏いになるだろうから、ちょうどいいんじゃないかしら」
母からも一応お墨付きをもらった。
お店の改装工事は三週間ほどで終わるらしく、工事の間に顔合わせを兼ねて、一度事前研修をしてもらえることになった。
ちなみにもう一人のアルバイトも、大学生らしい。
ちょうどショウさんは忙しくなる頃だし、もし夏のツアーに着いて行くとしたら、ある程度お金も必要になるはず。
(よしっ、頑張ろう)
知らない世界に一歩踏み出せた気がして、深呼吸すると気持ちがいい。
春の匂いだ。
夜、ショウさんから着信があったので、今日の報告をした。
「とうとう決まってしまったか……暇な時はずっと店で見張ってるから、ユウは安心して働きなさい」
ショウさんは、過保護パパネタを相変わらず引き摺っていて面白い。声色もおかしい。
この頃はこんなお茶目な一面も見れて、当初の「カッコいいお兄さん像」が崩壊し始めているのをユウは嬉しくも思っていた。
「もう、勘弁してくださいよ。ショウさんも好きな店だから行くのはもちろん自由ですけど、俺がいても変なことしないでくださいね」
もはや軽口を叩けるくらいに対応も慣れてきている。
「ちなみにもう一人って会った?」
急に通常モードに戻ったショウさんが尋ねる。
「同い年の大学生の人に決まりそうだって聞きましたよ。来週の研修で顔合わせがあるみたいです。あ、スポーツマンで真面目そうだって言ってた気がするけど、あんまり細かいところまではまだ……」
「そか。了解。まぁ、気張らずぼちぼちやるんだよ。せっかくなら楽しんで」
「はい、ありがとうございます」
「ねぇ、そろそろ敬語辞めてよ」
急に声のトーンが変わり、ドキリとする。
ユウは、ショウが少し命令口調で囁く、この低くて耳に響く声に弱い。
しかも電話越しだと直接脳に届くみたいで、おなかの辺りがキュッとなる。
ショウさんは最近言葉遣いにうるさい。
敬語だと、どうしても壁を感じるのだそうだ。
「……わ、かってる。んんっ、……ありがとう。おやすみショウ」
顔のあたりがむず痒い。
「ん、いい感じ。おやすみ、また明日」
〈二〉
新しい季節がやってくると、キャンパスにはユウよりもあどけなくて初々しい顔ぶれが、ちらほらと見られるようになった。
ユウもジュンも難なく単位を取得し、二年目を迎えている。
「そういえば望くん、補講大丈夫だったのかな?」
「あぁ、なんとかなったらしいよ。一年にして必修単位落としかけるとか、佐々木らしいよね」
「はははっ確かに。バンドにバイトに頑張ってるもんね」
長い春休みの間、三人で会えたのは一度きりだったが、それぞれ個々には近況報告をしたり、時間を見つけで会ったりはしていた。
佐々木には、ショウさんとの事を結局話せずじまいになっているが、本人はとにかくバンドに夢中なので、さほど気にしていないようなのが有り難かった。
「その後、ショウさんとはどう?」
ジュンは自然にショウさんとのことを気に掛けてくれる。
「うん……敬語にならないように、頑張ってる」
「あははっ、そっか!がんばれ」
ジュンはコロコロと笑った。
ショウさんはというと、四年生になって授業が少ないのもあるし、ライブが近いので、このタイミングで校内で会うのは難しかった。
そのまま迎えたライブ前夜。
ユウの二十歳の誕生日。
バタバタしてるだろうから、声を聞くのは我慢しようと思い、メッセージを送っておいた。
“ショウさん、明日のライブ楽しみにしてます
頑張ってください
俺も今日で晴れて大人の仲間入り”
直後に着信音が鳴ったので、驚いて手が滑りそうになりながら電話に出た。
「うわっ、も……もしもし」
「もしもし、ユウ? メッセージありがとう。大人の仲間入りって?どうしたの??」
ショウは少し慌てているようで、矢継ぎ早に話し掛けてくる。
「あ、驚かせてごめんなさい。あの、俺、今日誕生日だったから……」
余計な事をしてしまったかもしれない。
と思ったその瞬間、
「え、ええぇっ!!!!」
スピーカー越しに耳を劈くような大声が響く。
「ま、ちょっと!!俺知らないよ!」
ショウさんが狼狽えている様子が、声と息遣いだけでも十分伝わってきて、ユウもユウでとてつもなく動揺して言葉が詰まる。
「うわ、ごご、ごめんさい!なんか、言うタイミング逃しちゃって……あの……」
なぜかユウも慌てだしたので、ショウは少し我に帰った。
そして、頭をフル回転させながらも心を鎮めようとゆっくり言葉を繋いでいく。
「いや……いやいや。俺こそごめん……そういう話してなかったよね。そっかぁ。えーと、二十歳だよね。うわー……そっか」
「うん……」
ユウはなんだかとても悪いことをしてしまった気分になったが、ショウの方がしょんぼりした声を出すので、何とかしてショウに立ち直ってもらえるよう戯けてみせた。
「いや、明日ライブだし……ほら、お祝いに、あの、ファンサとか、してもらおっかな……あははは、はは……」
自分で言っておきながら、虚しくて恥ずかしくなった。
「……ショウ、さん?」
反応が怖すぎて声をかけずにはいられなかった。
「バカ……」
(えっ??)
予想外すぎる言葉にほんの少し怒りを覚えた。
「ちょっ、馬鹿って……ええっ?!」
「ちがう、ごめんね、ありがとう」
ショウの声色が少し回復していて、ユウは安心した。
「ねぇ。今から会いに行っていい? 少しだけ、近くで会えない?」
「え……嬉しい……けど、」
「けどは要らない。すぐ行くから。また電話する」
ショウの誠実な声。
すぐに足元がぐらつくユウを導く強い力。
ユウは次の着信が来るまで、胸が苦しくて仕方なかった。
〈三〉
♪〜
二度目の着信音が鳴り、急いで電話に出る。
「もしもし!ショウさん?」
「おぉ元気、よかった。あのさ、小学校の横に公園あるじゃん。あそこで待ち合わせられたりする?」
「すぐ行きます!」
(あんなの、完全に自己満足だ。あんな匂わせ方したら、ショウさんならきっと何かしてくれるって……どっかで思ってたんだ。……最悪だ)
着信を待っている間、ユウは心から今日の事を悔やんだ。
悔しくて、走って、公園に向かう間も胸が痛かった。
息を切らせてたどり着くと、愛しい愛しい彼の人が、長い脚を持て余しながらブランコの周りの柵に腰掛けている。
ユウの姿を見つけると立ち上がり、軽く手を降る。
「ごめんね、お待たせ」
月明かりが似合う、あの笑顔だ。
「違う!ごめんなさい! ごめんなさい!!」
ユウはショウに駆け寄り、縋り付くように胸に飛び込んでいく。
「どうした? なんでユウが謝るんだよぉ」
両腕の自由が効かないほど強くユウに抱きつかれているので、ユウの頭にコツコツと顎でキスをする。
「俺、前にライブの日程聞いた時、我慢しようと思ったんです。なのに、たぶん……どこかでショウさんにおめでとうって抱きしめて欲しくて……結局こうやって、迷惑かけてしまって」
ユウは勢いで抱きついてしまった腕をほどき、
心から謝罪した。
「んーん。いいんだよ、ユウ」
ショウは、本当に気にしていない素振りでユウの頭を撫でる。
「俺だって。自分のことでいっぱいいっぱいで、ユウの大事な日、ちゃんと祝ってやれなかった」
ショウは気まずそうにそっぽを向きながら、何やらごそごそと上着のポケットから小さな紙袋を取り出す。
「これ、本っっっ当に取り急ぎ。もう店が終わりかけで、なんか綺麗なやつこれしか無くて」
紙袋の中から綺麗にラッピングされたパステルカラーのマカロンが出てきた。
「わっ、ありがとうございます!」
ユウはもう十分過ぎるほど嬉しかったが、ショウは大きくため息をつき、ユウを抱き寄せる。
「ほんとカッコつかねぇ。しかも二十歳だよ……大人の階段登っちゃったよぉ。あーもぉー」
「ふふふ。俺、誕生日なんて最近は家族と……あとジュンくらいからしか祝ってもらってないので、別に普段と変わらないです」
「ジュンちゃん。やるな……やっぱ女の子だなぁ。でも、だったら尚更俺が独り占めして祝いたかった。ほんっとごめん!近々本当に仕切り直させてほしい!明日は全力でライブ頑張るから!めちゃめちゃユウにファンサしまくるから!!」
(ショウさんが手を合わせて……こんなに必死に頼み事をするなんて)
「……ぷっ、はは!なんか、ごめんなさい!変な意味じゃなくて……はは、俺が悪いのにそんな、必死に……あははは!」
嬉しいし、可笑しいし、安心したら視界が滲んできたので、気付かれないように横を向いた。
「なんか……笑ってもらえるなら、よかったわ」
ユウの目元をそっと拭いながら、ショウも笑った。
「ファンサ……しなくていいので、明日のライブ頑張ってください」
〈四〉
「家まで送る」
ショウがユウの手を握り、そのまま上着のポケットに仕舞った。
「あっ……」
ユウは周りを見渡す。
「大丈夫だよ。暗いし、誰も見てない」
ショウは星空を見上げながら笑っている。
「……うん」
ユウも同じようにした。
「ちなみにショウさん。ショウさんのお誕生日は?」
「俺は八月二十五日。こう見えて夏男」
ユウはすぐさま頭の中で日付を三回唱える。
「覚えました!じゃあ、今日のお礼に何でも言うこと聞くので、考えておいてください!」
「……へぇ、どんな願いでも聞いてくれるんだ。じゃあ、こないだ活躍できなかったツブツブのあいつを……」
ショウは空いている左手を何度も握るそぶりをして、ユウの前でチラつかせる。
「ちょっ……と! ショウさん、最近キャラおかしいですよ!そういうお願いじゃないやつ!」
「残念ながら、これが俺です。でも、ユウが何でもって言ったんでしょ」
ショウが口を横いっぱいに広げて笑う。
最近はこの笑顔の方がむしろショウらしいと思えてきて、ユウは少し心が温かくなった。
「そういうのは、別に。いつだってすればいいでしょ……」
ショウが歩みを止めた。
そしてユウの首筋に腕を回して引き寄せる。
耳元でショウがくすぐるように囁くと、下腹部が僅かに震えた気がした。
「ユウ、今すぐ俺ん家帰る?」
思わず赤面して体を強張らせると、ショウがクククっと笑いをこぼし始めた。
「なっ、ちょっ…!もう!やぁめてください!」
「はははっ!ほんと可愛いな、ユウ」
ショウはユウの頭を優しく二回叩いた。
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