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第16話 似た者どうし①

 刀以外のすべてを失くした幻乃が行ける場所といったら、自由に使っていいと言われた直澄の部屋だけだった。元よりあの男が意味も分からず幻乃を生かさなければ、こんなことにはなっていないのだ。 (療養しろと言ったのはあの人だ。居着けるだけ居着いてやる……!)    顔馴染みの門番に挨拶をして、幻乃は夕焼けに照らされた門をくぐる。療養していたときから客人扱いをされているからか、屋敷の奥へと早足に進む幻乃を見ても、誰も止めようとはしなかった。己の居場所であったはずの街からは追い出されたというのに、敵地であったはずの場所には当たり前のように受け入れられるというのだから、皮肉なものだ。  静謐な美をたたえる石庭を横目に、幻乃はずんずんと廊下を進む。探し人の姿は、寝室にたどり着く直前で見つかった。  彦丸と立ち話をしていたらしい直澄は、幻乃に気付くとぱっと口を閉ざした。対照的に、目を見開いた彦丸は、皺の多い顔をさらに皺だらけにして、「幻乃さん! あんたという人はまったく!」と呆れたような声を上げる。   「やーっと戻ってきおったか! 幻乃さん、あんた、療養の意味が分かっとるのかね。何も言わずに出てったと思ったら、三日経っても戻ってこないとは何事じゃ! 隣の藩に出掛けて行ったとお鶴ちゃんから聞いて、儂がどれだけ肝を冷やしたことか!」  ぷりぷりと怒る彦丸は、本気で幻乃を案じてくれていたのだろう。その優しさが眩しく思えて、幻乃は思わず唇を綻ばせる。   「ご心配をおかけしたようですみません。でも、無茶はしていませんから」 「腹をぱっくり斬られた者が、ひと月もせんと山越えするのは無茶っちゅうんじゃ、この阿呆! ちょっと自分の体が強いからって、侍というのはどいつもこいつも!」  宥めるつもりで声をかけたが、火に油を注いでしまったらしい。かんかんになって怒る彦丸の勢いにたじろいでいると、それまで口を閉ざしていた直澄が、取りなすように「彦爺」と間に入ってくれる。 「そこまでにしておけ。世の情勢を幻乃に伝えたのは俺だ。縁ある地が戦火に呑まれたと聞けば、気になりもするだろうさ」 「儂は、患者を興奮させるようなことを伝えるのは控えていただきたいと再三進言しましたぞ、直澄さま。大体、あなた様もあなた様です。ここのところ生傷が多すぎます。藩主はあなた様おひとりなのですから、お体をもっと大切にですな――」 「分かった、分かった。そう興奮するな、彦爺」  控えめながら、直澄は紛れもない笑みを唇に浮かべて彦丸を宥める。その人間味あふれた柔らかい表情を見て、幻乃は思わず硬直した。  笑えるのか。――と言うのもおかしな話だが、こういう人間らしい顔もできるのかと驚いたのだ。  何しろこれまで幻乃が見たことのある直澄の表情といえば、せいぜい冷笑か仏頂面くらいだ。ともすれば、凶悪な笑みを浮かべて人を斬っているところしか印象に残っていない。てっきり氷のように冷酷な、血の通わない人間かと思っていた。  幻乃が固まっている間にも、好青年然とした笑みを浮かべた直澄は、困ったように彦丸と言葉を交わし続ける。 「彦爺が俺を気にかけてくれていることは嬉しく思うが、今は状況が状況だ。藩主とはいえ……いや、藩主だからこそ、動かなければならないこともある。許せ」 「む……、直澄さまがお決めになられたことに、反対するつもりはないのです。ただ、心配している者は儂だけではないのですぞ。どうか、お忘れなきよう」 「分かっているとも。……さあ、そろそろ夕餉どきだ。行くと良い。引き止めてすまなかったな。手当てをしてくれて、ありがとう」  その言葉に直澄の体をざっと眺めれば、なるほど腕に軟膏を塗ったばかりと思わしき、細かい傷がいくつも伺えた。ちょうど手当てを受けていたところだったらしい。   「薬はこまめに塗り直してくだされ。では、儂はこれで」 「ああ、よく休んでくれ。……幻乃」  名を呼ばれて、ぴくりと幻乃は肩を揺らした。彦丸に向けていた穏やかな顔とは打って変わった仏頂面で、ついて来いとばかりに直澄は顎をしゃくる。  彦丸に会釈をしながらその場を辞し、幻乃は無言のまま、直澄の背を追いかけた。屋敷の裏口と思わしき場所で竹刀を二本取り上げて、直澄はそのまま森の中へと足を伸ばす。どこまで行く気かと眉を顰めたそのとき、周囲と比べて開けた場所で、ぴたりと直澄は足を止めた。  竹刀を一本放られて、反射的に受け取った後で、幻乃は口元を引きつらせる。   「何のおつもりですか?」 「気晴らしだ。付き合え、幻乃」 「直澄さんは、真剣しか握らないのかと思っていましたよ」 「普段はな。今は別だ。勝負の見える斬り合いをしても、昂らない」 「……なるほど?」  要は、幻乃は直澄より弱いと言っているのだ。あからさまな挑発だが、幻乃は乗ることにした。榊藩での出来事のせいで、内心穏やかではなかったし、いい加減斬り合いに飢えていたというのもある。練習用の竹刀を使ったお遊びでも、ないよりはましだ。 「いいですよ。気晴らしをしましょう――か!」

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